鬼神と死の支配者183

「――ッ!」

 声にならない悲鳴をあげる特殊個体のビーストマン。
 身体が吹き飛ばされるほどの衝撃が突然襲い、受け身を取る余裕すらもなく何度も地面に叩きつけられる。
 そして最後には、身体が木の幹に衝突してようやく停止した。

 あまりに突然の事に何がなんだか理解が追い付いていない様子だ。
 受けたダメージも相まって、もしかすると意識が混濁しているのかもしれない。

「不本意ではありますがオロチ様からあの男のことを任されている以上、みすみす殺させはしませんよ。私としては邪魔者でしかないので死んでも一向に構いませんけど」

 思ったよりは善戦したようですが、とそんな声が聞こえてくる。
 徐々に意識を取り戻していき、霞む視界で周囲を見渡すと、離れた場所のあちこちに同族の血が飛び散っているのが見えた。

 しかし、仲間の姿は何処にも見当たらない。
 虐殺の跡はしっかりと残っているのに仲間は消えている、そんな奇妙な光景に特殊個体は不気味さを感じずにはいられなかった。

「……私の仲間たちを何処へやった?」

「その様子だと自分の戦闘に集中し過ぎて見ていなかったようですね。ご安心を。しっかりと恐怖を刻み込んだ後に慈悲深く息の根を止めて差し上げました。彼らの死体はこちらで有効活用するので、そちらもご心配なく」

 もはや驚きはなく想像通りではある。
 だが、やはりこんな状況でも家族同然の仲間が殺されたと聞けば悲しみも怒りも湧いてくるものだ。
 惜しむべきは自分の身体。
 先ほどのナーベラルの攻撃がトドメとなってもう立ち上がることさえ出来ず、自分の死を待つしか道は無い。
 なんと無様な事だろうかと自嘲した。

「同胞たちがそんな目に合っていることに気付かないとは、あの剣士に気取られ過ぎたか。これでは王として失格だな……」

「大丈夫ですよ。既にビーストマンの駆除は終了しているので、誰からも責められることはありません」

「……森の中から同胞たちの気配がしなくなっている、か。あぁ、どうやら本当らしい。つくづく忌々しい連中だよ、貴様達は」

 ナーベラルの言う通り、この牢獄の中に囚われたビーストマンの生き残りはもはや特殊個体だけである。
 クレマンティーヌたち別のチームがしっかりと掃討を完了していたのだ。
 戦闘に夢中になっていた彼はそれに全く気づいていなかった。
 ここまで来ると絶望すら湧いてこない。

「そうですか。あなたのようは塵芥からどう思われても関係ありません。――しかし、貴様はオロチ様の期待を裏切った。その罪は大きい。よって、これより永遠の苦痛を貴様に与える」

 ナーベラルの端正な顔が歪に歪み、狂気を孕んだ邪悪の化身が降臨した。
 そこから感じる圧力は死に掛けている特殊個体から見ても思わず息を呑んでしまうほど。
 改めて死を覚悟する。
 そして同時に、死んでいった全ての同胞達に心から謝罪した。

 こんなバケモノと敵対した哀れな私を許してくれ、と。

 死神の足音が聞こえてくる。
 自分の心臓の鼓動が、思い出したかのように早く脈打っていた。
 
「――ですが、オロチ様はあの人間の成長を期待されています。ここで私の気を晴らすよりも、もっと大切なことがある」

 一変してそんな軽い調子でナーベラルは倒れているブレインに近付いていく。
 そしてアイテムストレージから赤色のポーションを取り出し、それを顔に向かって躊躇なくドボドボと雑に振り掛けた。

「…………ゴボボボ……ぷはっ! は!?」

 死にかけて気を失っていたブレインはポーションで体力を強制的に回復させられ、しかもそのポーションによって息が出来なくなり飛び起きた。
 まさか彼もこんな山の中で溺れかけるとは思わなかっただろう。

「寝ていないでさっさと起きなさい」

 そこからさらに厳しい言葉を投げ掛けるナーベラル。
 まさに鬼畜の所業である。
 ある意味で平常運転ではあるが、とてもじゃないが気を失っている者に対する処置ではない。

 飛び起きたブレインは自分の状況を何となく把握すると、もう少し優しくポーションを使う方法だってあるだろうと文句を言いたかったが、相手が相手なのでそれも出来ずに弱々しく『……はい』と言ってその憤りを頭から追い出した。

(助けてもらったことには違いないんだ。それで文句を言うのはお門違い……だよな?)

 既に下っ端根性が染み付いてしまっている彼には強く出る事はできなかった。
 もっとも、出たところでもっと酷い仕打ちが待っているのでそれが正解ではある。

「助けてもらってみたいっすね。ありがとうございます、ナーベラルさん」

「礼は結構。それよりも早くあの死に損ないにトドメを刺してきなさい。あれは元々あなたが追い詰めた獲物です。なので、それを横取りするような真似はしたくありません」

「え、良いんですか?」

 ナーベラルが他人に、それも人間であるブレインに配慮するとは何事か。
 思わず聞き返してしまったブレイン。
 しかしそれは名状しがたいオーラによって封殺されることになる。

「しつこい早くしろ殺すぞ」

「はい! あ、でも俺いま武器が無くて……」

「あれに武器は必要ないでしょう。素手で二、三発殴れば死にますよ。それとも私が代わりにやりましょうか? その場合、あなたにもうっかり魔法が飛び火するかもしれな――」

「直ちにやらせて頂きます!」

「よろしい」

 綺麗な敬礼をしてから、ブレインはグッタリしている特殊個体に歩み寄っていく。
 これ以上何かを言えば先に自分が殺されてしまう。
 せっかく助かった命を無駄にする趣味は無い。
 なのでブレインには迷いも無かった。

「元々そっちの方が人数は多かったんだ。卑怯だなんて言うなよ?」

「卑怯者」

「おいおい、言ってるそばからかよ……」

 口には出さなかったが、あの恐ろしいバケモノに殺されるよりはこの普通の人間に殺された方が遥かにマシである。
 と、特殊個体は密かに安堵していた。

「まぁいい。それじゃあ、あばよ」

 ブレインは拳を振り上げた。

「地獄で待っているぞ、青髪の剣士よ」

 グチャ、グチャ、グチャ……。
 鈍い音が三度響いたのを最後に、小鳥の囀りさえ聞こえて来ない無音の世界が出来上がったのだった。

 

   

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