ナーベラルからの報告を受けたオロチは、彼女の探知魔法が反応したという座標に向かっていた。
しかしどうも森の様子がおかしい。
これだけ広大な森ならばモンスターの気配があっても良いはずなのだが、周囲にはモンスターの影も形もなかった。
それどころか、この森に入ってからというもの肌がひりつくような感覚に襲われている。
この奇妙な感覚は以前、コキュートスやシャルティアと模擬戦を行った時にも同様の感覚があった。
血が沸き立ち、頭の中が闘争心に支配されていくような感覚。
つまりこの近くには、シャルティアたち階層守護者クラスの敵が潜んでいる可能性があるということだ。
少なくともクレマンティーヌ程度の強さはあるはず。
オロチはこの世界に来てからというもの、満足いくような戦いを行えていない。
現地の人間は弱すぎてそもそも戦いにすらならず、ナザリックの配下たちでは無意識のうちに手心を加えてしまい、命を削り合うような戦闘が行えないのだ。
だからこそ、こうして強者が近くにいるというのはオロチにとって非常に喜ばしいことだった。
一切の手加減無く相手を蹂躙できるのだから。
これから起こるであろう戦闘を誰にも邪魔されたくないオロチは、ナーベラルに連絡を取る。
「ナーベラル、聞こえるか?」
『はい、オロチ様。森の様子は如何でしたか?』
「どうやらお前は正しかったようだ。相手の実力は未知数だが、可能性としては階層守護者くらいの強さを持っているかもしれん」
『なっ!? アルベド様たちレベルの敵……。ならばすぐにナザリックから救援の要請を――』
「不要だ。俺一人で相手をする。アインズさんにもそう報告しておけ」
『お、お待ちくださいオロチ様! それでは――』
オロチはナーベラルの言葉を全て聞き終わる前に、彼女との通信を一方的に切った。
彼を止めようとしたナーベラルは配下として正しい。
配下とは違うが、オロチもアインズが同じことをしようとすれば必死に止めるだろう。
だが、今のオロチはもう誰にも止められはしない。
ずっと燻っていた鬼としての本能が刺激された今、もはや自分の意思ですら止めることは難しい状態だ。
ユグドラシルでも戦闘を楽しいとは思っていた。
たが、それはあくまでゲームとして楽しんでいただけであり、今のように命を削った戦いを望むようなことは決してない。
それは肉体だけではなく、精神も完全に鬼となっているという証拠だろう。
それをどこか心地良く感じているオロチは、いつのまにか凶暴な笑みを浮かべて森の中を進んでいった。
「クハハ、久しぶりに楽しめそうな相手がいるかもしれないな。とても――タノシミダ」
その瞬間、暴力的な魔力をその身に迸らせオロチの姿が変貌していく。
額からは二本のツノが生え、白かった皮膚が赤黒く変色していき筋肉が膨張している。
そしてオロチが装備していたアイテムが全て強制的に解除された。
その代わりに別の装備がオロチの体に出現し、両手足には千切れた拘束具、防具はボロ布を身に纏うだけ。
装備と呼べるほど上等なものではないが、それがこのスキル、『鬼の覚醒』の効果だ。
発動すれば装備していたアイテムがアイテムストレージへとしまわれ、拘束具とボロ布を強制的に装備させられる。
一見なんのメリットも感じないスキルのようだが、このスキルの真価は別にあった。
それは肉体。
少年のような容姿から一変したオロチの姿は、まさしく異業種と呼ぶに相応しい鬼のバケモノとなっている。
今の彼がひとたび拳を振るえば、それだけで地形が変わるほどの一撃となるだろう。
しかし実は、このスキルを発動したのはオロチの意思ではなかった。
ユグドラシルでは完全にシステムによって支配されていたが、今はゲームが現実となったことで若干の差異が生まれている。
今回は鬼としての感情が暴走したため、勝手にスキルが発動するという事態となっているのだ。
だがオロチはそれに気づかない。
鬼としての本能は飽くなき闘争心がオロチの思考を鈍らせていた。
ゲーム時代に好んで使用していた鬼形態のアバターは、既に遊びで使用するものではなくなっている。
この状態になってしまえば最後、自らの内にある戦闘欲求が解消されるまで暴れ続けるだろう。
「ミナゴロシダ……ヒトリ、ノコラズ。ハハ、ハハハ!」
◆◆◆
「今夜はずいぶんと嫌な風が吹くな。何も無ければ良いが……」
「おいおい隊長さんよ、お前さんほどの男が何をそんな弱気になっているんだ? それに今回は陽光聖典の連中をぶっ殺したっていうガキを探してんだろう? 別にヤバいモンスターと戦えってわけじゃないんだ。気楽にいこうぜ」
「セドラン……そうだな。少し肩に力が入りすぎていたみたいだ」
そう言って隊長と呼ばれた青年は苦笑を浮かべた。
自分たちの任務は人探しであって討伐ではない。
相手の出方次第では戦闘に突入するかもしれないが、それは最後の手段であって進んで取りたい選択ではないのだから。
それに今この場にいるのは精鋭中の精鋭だ。
たとえドラゴンの群れに襲われたとしても撃退する自信があった。
だから何も心配する必要は無いと、青年は自分に言い聞かせる。
すると、そんな二人の元にチャイナ服のような装備を身に纏った老婆が近づいていった。
「たかが小僧一人にここまでの戦力が必要なのかは疑問だがね。それにこんな年寄りまで引っ張り出すなんて……もっと老人を労って欲しいもんだよ」
「この場にいるだれもが、カイレ様のことをただのご老人とは思っていませんよ。漆黒聖典第一席次と持て囃される私でも、まだまだ貴女には及ばぬところがありますから」
「そうだな。カイレ様のかつての美貌はすっかり見る影も無いが、その実力は――イテテ! 冗談だって!」
老婆に対して軽口を叩いたセドランが、いとも簡単に倒されて関節技を決められてしまう。
周りにいる者たちはそのあまりにも綺麗な武術に思わず感嘆が漏れた。
「小僧、私の美貌がなんだって?」
セドランは必死に抜け出そうとするがカイレがそれを許さない。
別に本気で怒っているわけではなかったが、最近なにかと弛んでいる彼に喝を入れるため、少々痛い目に合わせてやろうという老婆心からの行動だった。
そういった彼女の気持ちは、残念ながらセドランにはまったく伝わっていないのだが。
「それくらいにしてやって下さいカイレ様。セドラン、お前も口が過ぎるぞ」
「……フン、仕方ないのう」
そう言われてカイレはようやくセドランの拘束を解いた。倒せれていたセドランが肩をさすりながら起き上がる。
しかし、その目には反省や後悔などが微塵も感じられなかった。
「イテテ、エライ目にあったぜ」
「はぁ、まったくお主という奴は……そんなことではいずれ取り返しのつかないことになるぞ?」
「そんな時は隊長やカイレ様が助けてくれよ。もっとも、俺よりも強い奴なんて漆黒聖典以外にいるとは思えないがな」
セドランの言う通り、彼ら漆黒聖典は人類の中でも最強の存在だ。
最強と謳われるリ・エスティーゼ王国のガゼフ・ストロノーフでさえ、彼らの前では格下に過ぎない。
もっとも、漆黒聖典には人類の守護者としての役割があるので、王国が人類の敵とならない限りは戦うことは無いだろう。
「――っ! 構えろ! なにかくるぞ!!」
その時、隊長と呼ばれた青年が焦ったような声を上げた。そしてそんな声を聞き、皆が一斉に戦闘態勢へと移行する。
徐々に大きく強力になっていく気配。この場にいるだけで押しつぶされてしまいそうだった。
現に漆黒聖典に所属している青年とセドラン、カイレ以外の者たちの中には腰が抜けている者もいるくらいだ。
そして遂に森の中から気配の主が姿を現した。
その姿を一言で言い表せば、鬼。
ゴブリンやオーガなどではなく、もっと根本的に違う何か。
視認できるほど濃い魔力をその身に纏い、こちらに向けて殺気をばら撒いている。
恐ろしい。
この場にいる者が全員思っているかんじょうだ。
自分たちは人類の守護者。
その誇りと義務感でなんとか逃げ出さずにいる。もし、それらが無ければ一目散に逃げ出していたことだろう。
「――コロス!」
鬼が彼らに真っ直ぐ突っ込んでくる。
その鬼は獰猛な牙を見せ、嗤っていた。