鬼神と死の支配者26

 目の前の鬼は果たして人間が倒せるような存在なのだろうか。
 漆黒聖典の隊長は、その中性的な顔を引きつらせながらそんな弱気なことを考えていた。

 その鬼はニヤリと凶暴な笑みを浮かべ、その巨体に似合わない速度で真っ直ぐ突進してくる。
 隊長は頭の中から恐怖を追い払い、自らを奮い立たせるように周りに指示を飛ばす。

「全員でカイレ様を守れ! カイレ様はアイテムの使用を!」

 この鬼に勝利する方法はただ一つ。カイレが装備している真なる神器の力しかない。
 真なる神器とは、かつてスレイン法国を建国した六大神が所持していた強力なアイテムのことだ。
 長い間法国に受け継がれており、その圧倒的な力から限られた者にしか使用が許されていないほど。

 そしてカイレが装備している神器の名前は『傾城傾国』。
 この神器を使用すればいかなる人、モンスターであっても精神を支配することができ、今までこの支配から逃れた者はいない。

 自らの愛槍を強く握りしめ、凶悪な鬼を迎え撃つべく立ち向かう。

「はあぁぁあああ!!!」

「――ジャマダ」

 しかし青年が放った渾身の一撃は、まるで蝿を払うように軽々と弾かれてしまった。
 そしてその鬼は槍を弾いた手とは反対の手で、青年の頭を鷲掴みにする。

「ぐあぁああ……」

 頭を握り潰されるような痛みで顔を歪め、そんな弱々しい声が青年の口から漏れた。
 反対にその叫びを聞いた鬼は邪悪に嗤う。
 周りの人間たちが青年を助けようと鬼に向かって攻撃するのだが、まるで効いていないとばかりに無視している。

 実際その鬼――オロチには彼らの攻撃は効いていない。
 今のオロチは身体能力が大幅に上昇し、自然治癒力が極限まで強化されている状態だ。
 生半可な攻撃では鬼の身体に傷をつけることさえできず、できたとしても直ぐに回復してしまう。

 青年の悲鳴に満足したオロチは、そのまま彼の仲間の方に投げ捨てた。
 この程度であればいつでも殺せる。しかし、戦いはまだ始まったばかりなのだ。
 簡単に殺してはつまらない。

 そしてオロチの手からようやく離れることができた青年は、フラフラになりながらも立ち上がる。
 だがその顔には、まるで勝利を確信したかのような表情を浮かべていた。

「――使え」

 青年が短くそう呟いた。
 彼が勝利を確信した理由、それは『傾城傾国』を装備したカイレの準備が整ったからだ。

 カイレから龍の姿を模した光が放たれ、それが一直線にオロチへと向かってくる。
 オロチはそれを当然――避けずに黒い焔を右腕に宿し、全力で振り抜いた。

 パリン、とガラスが割れるような乾いた音が鳴り、光の龍は跡形もなく消滅してしまう。
 自分たちの切り札であった傾城傾国があっさりと破られ、動揺を隠しきれていない漆黒聖典の面々。
 そんな彼らにオロチはゆっくりと近づいていく。一歩ずつ、恐怖を与えるように。

「フハハ! ドウシタ、ニンゲン。ハヤクカカッテコイ」

「……くっ! もう一度やるぞ、時間を稼げ!」

 青年は諦めない。
 ここで自分たちが敗れるようなことがあれば、この鬼は多くの人間を殺すだろう。
 人類の守護者としてそんなことは到底認めることができなかった。

 カイレが傾城傾国をもう一度発動する時間を稼ぐため、青年を含めた人間たちが勇敢にもオロチに立ち向かう。
 それは魔王を討ち倒さんとする勇者のような光景だった。

「タリン、タリンゾ! ソノテイドデハ、オレハコロセン!」

 しかし、勇者が魔王に必ず勝利するのは物語の中だけだ。
 一人、また一人と惨たらしく死んでいく人間たち。ある者は頭部を握り潰され、ある者は体を拳で貫かれた。

 その光景を目の当たりにした彼らは一気に恐怖心が溢れてくる。
 それがまた判断ミスに繋がり、あっさりとオロチに殺されてしまう。

「い、嫌だ! こんなバケモノの相手をするなんて聞いていないぞ!」

 ついに隊員のひとりがオロチから逃げ出した。そしてそれを皮切りに次々と逃げ出す隊員たち。
 しかし、逃げたからといってそれを見逃すほどオロチは甘くない。

 その巨体からは想像ができないほどの速度で逃げ出した彼らを殺して回る。
 その速度は今までの比ではなく、先ほどまでは手を抜かれていたのだと青年は絶望した。

 ――この鬼には決して勝てない、と。

「小僧ども、残っているのはお前さんら二人だけだ! あのバケモノの動きをなんとか封じろ。奴は死んでもここで倒さなきゃならん!」

 カイレが項垂れていた青年を叱咤した。
 そして大盾を背負っているセドランが彼の腕を掴み、無理やり立たせる。

「あのバケモノは間違いなく人類の敵だ。何としてもここで倒さないといけねぇ。幸い、今は逃げた奴らを殺して回ってる。その隙をついてなんとか奴の動きを封じる。いいな?」

「……ああ、分かった」

 青年はそんな生返事を返した。
 理解してしまったのだ。自分たちでは逆立ちしてもあの鬼には勝てないことを。
 それこそ漆黒聖典第一席次である自分よりも強い、番外席次の女であってもあのバケモノには敵わないだろうと。

 しかし、それでも立ち上がる。
 自分が尊敬しているカイレと友であるセドランが諦めていないのだ。
 まだやれる、青年は自分にそう言い聞かせた。

「俺が何としても奴の攻撃を受け止める。だからお前は全力の一撃を食らわせろ。そうすればカイレ様が撃ち込む隙くらいはできるだろう」

「……わかった」

 セドランの作戦とも言えないようなその提案はひどく楽観的なものだった。
 まずオロチの攻撃をセドランが受け止められるとは到底思えず、青年は自身の攻撃がオロチに届かないのを知っている。

 それを指摘しないのは他に良い案が思いつかないからだ。
 この状況を打破できるようなものは何も無い。
 だから何も言わない――否、言えないのだ。

「ツギハ、オマエラダ。――ケシトベ」

 逃げ出した者たちを殺し尽くしたオロチが、弾丸のような速度で向かってくる。
 その速度は人類最高峰の実力を有しているはずの彼らであっても目で追うのがやっと。
 しかしその速度に身体が反応できるかは微妙だった。

 そして遂に両者が交錯する瞬間――オロチの姿が消えた。

「……は? いったい何処に?」

 そんな疑問を青年とセドランが抱いた。
 当然だろう。三メートルはあろうかという巨体が目の前から瞬時に消え失せるなどあり得ない。
 魔法を使う様子もなかったので尚更そう思う。

 しかし、ふと後ろを振り返ると……そこには首の無いカイレの姿があった。

「か、カイレ様が……何故……?」

「ふむ。ドウやらこの婆サンが暴走シタ原因のヨウダな。まさか鬼の力にコンナ副作用があったトハ」

 カイレを殺したことである程度の理性を取り戻したオロチ。
 何となくではあるが、自身が暴走状態に入った時の記憶もオロチにはあった。
 そして自らが殺した老婆を見下ろし、おそらくこの女の装備していたワールドアイテムが原因だと当たりをつける。

 そのアイテムはユグドラシル時代にも見かけたことがあった。
『傾城傾国』と呼ばれるNPCやモンスターを強制的に支配するアイテムであり、対抗するにはNPCにワールドアイテムを装備させなければならない。

 ただ言ってしまえばそれだけの外れアイテムだ。
 ゲームの倫理観的にプレイヤーを操ることはできないので、プレイヤーたちで装備者を叩けば良いだけ。
 強力なワールドアイテムの中ではハズレ枠と言えるだろう。

 もちろん、あくまでワールドアイテムにしてはということであり、神器級のアイテムと比べれば凄まじい効果を秘めている。

 そんな精神に作用するアイテムだったからか、又はワールドアイテムだったからかオロチは近くにいる人間を殺したいという感情に支配されてしまった。
 目の前が真っ赤に染まっていき、そしてスイッチが入ったかのように意識が塗りつぶされたのだ。

 今後も暴走してしまえば厄介な事この上ない。早急に対策を取らねばならないだろう。

 一方、今まで知性をほとんど感じなかった鬼がまだ辿々しさがあるとはいえ、しっかりとした言葉を話したことに青年とセドランは驚愕した。
 そしてカイレが殺された事と重なり、二人の頭の中は混乱を極めている。

「……お前はいったい何者だ? どうして私たちを攻撃する?」

「お前タチを攻撃した時には俺の意識は無かっタ。不運だったナ」

「ふ、ふざけんな! 不運だっただと? テメェは人の命を何だと――」

 声を荒げたセドランの心臓をオロチが貫いた。

「セ、セドラン!!」

「人間の命ナど、ゴミにしか感じない」

 セドランの心臓を貫いたオロチは感情をまったく感じさせない様子でそう言い放つ。
 人間であってもそれが仲間であれば何よりも大切にするオロチだが、それ以外には等しく興味が無かった。
 セドランを殺した事も喧しい虫ケラを潰した程度の感覚しかない。

「さて、お前もそろそろ死んでおけ。まぁまぁ愉しめたぞ」

 完全に言葉が戻ったオロチ。
 カタコトだった口調も完全に元に戻り、さっさと青年を殺そうとする。
 しかし、ここで予想外なことが起きる。

「……消えた。転移か?」

 目の前にいた青年が光に包まれ忽然と姿を消した。

「…………やらかした」

 みすみす敵を逃したオロチはそう言って頭を抱えたのだった。

 

   

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