オロチがアインズに土下座での謝罪を行ったことは配下たちにとって衝撃的だった。
至高の存在の中でも圧倒的な力を持っているオロチが、自分たちの目も憚らずアインズに土下座をしたのだから当然だろう。
だがオロチが行った謝罪は、配下たちの忠誠心が上限を超えて上がるほど好印象だった。
そもそもオロチ以外は彼の失態を失態と思っておらず、むしろ称賛されて然るべきだとさえ思っている。
にもかかわらずアインズの信頼を裏切ってしまったと真摯に向き合うオロチの姿は、流石は自分たちの創造主のひとりであると誇らしく思ったのだ。
「なぁデミウルゴス、本当にこれで良いのか? 俺はお前ほど賢くないからそんなに強くはないぞ?」
「いえいえ、私などはアインズ様の叡智の前では足元にも及びません。それに我が創造主であるウルベルト様が、オロチ様の戦術は斬新で面白いという話をしていたのを聞いたことがあります。それを聞いた時からオロチ様とは一戦交えたいと思っていたのです」
「ま、弱すぎると思われない程度には頑張るよ」
そう言ってオロチはアイテムストレージの中からチェス盤を取り出し、テーブルの上に静かに置いた。
そのチェス盤は豪華な装飾がされており、一目で価値があることが分かる。
それを見たデミウルゴスは驚嘆の声をこぼした。
「おぉ、それはまさしくウルベルト様が愛用していたチェス盤……! いち配下である私が、そのような貴重なものでチェスを打ってもよろしいのですか?」
「チェス盤なんだから使わないと勿体ないだろ? ……と言ってもウルベルトさんが引退してからは、中々相手がいなかったからストレージの肥やしになってたんだけどな」
オロチは少しだけ寂しそうにチェス盤を撫でた。
彼が思い返すのは偽悪主義で厨二病が抜けきらないかつての仲間、ウルベルトの姿だった。
彼は価値観の違いからユグドラシルではよく『たっち・みー』と喧嘩をしており、出会うたびにウルベルトが因縁を付けて突っかかっていたのを覚えている。
しかし、本当にお互いのことを嫌い合っていたわけではないことをオロチは知っていた。
このナザリックをギルドの拠点にするため総力を挙げて攻略した時、たしかにその二人は仲良く喜び合っていたのだ。
本人たちは決して認めないだろうが、その二人には似たところが多くあり、一種の同族嫌悪のようなものだったのだろう。
「さぁ始めようか。ただ、普通に勝負するだけじゃ面白くない。だから賭けをしないか?」
「フフフ、いいですよ。悪魔は皆、賭け事が大好きですからね」
「ははっ、そりゃ良かった。じゃあそうだな……俺が勝ったら1つだけ頼みを聞いてくれ。それでデミウルゴス、お前が勝ったら……このチェス盤をやるよ」
「っ!? 私が勝てばこのチェス盤を頂けるのですか!?」
オロチの言葉に、常に冷静沈着な参謀であるデミウルゴスがつい声を荒げてしまう。
彼にとってこのチェス盤は豪華なだけのチェス盤ではない。
自らの創造主であるウルベルトが愛用していた思い入れのある品物なのだ。
NPCにとって自分たちの創造主は特別な存在であり、言わば父や母のようなもの。
そんな人物が大切にしていた品を自分が手にできるかもしれないと思い、デミウルゴスはより一層やる気を漲らせた。
そうして始まったチェスの試合。
一手、二手と積み重ねられていき、部屋の中には駒を動かす音しか聞こえない。
それだけオロチとデミウルゴスの二人は集中し、緊迫した空気を醸し出している。
序盤、押していたのは意外にもオロチの方だった。
オロチのチェスの腕前は、高くとも上の下といったところ。平均よりは強いがそれだけだ。
反対にデミウルゴスはナザリックの参謀として作成されたNPCであり、さらに作成者であるウルベルトが『チェスの腕前はグランドマスターを軽くひねれるレベル』というような設定を面白半分で追加した為かなりの実力を持っている。
なので本来であれば、一時的にもオロチがデミウルゴスを押していることなどあり得ないのだが、その絶望的なまでの実力差をなんとか奇策で補っていたのだ。
デミウルゴスは設定でこそグランドマスター以上の腕前だが、実際にチェスをプレイした回数はかなり少ない。
だからオロチはそこにつけ込み、デミウルゴスが知らないような突飛な戦術で戦うことにした。
しかし、あくまでオロチが行なっているのは相手を混乱させ、自分が優位に立てるようにするやり方だ。
手を重ねるごとに、そんなオロチの奇策も通用しなくなっていく。
「……慣れるの早すぎね?」
「危ないところでした。何度もヒヤリとさせられましたし、あそこで勝負が決まっていてもおかしくなかったです。流石はウルベルト様の盟友であるオロチ様、お見事です」
「おいおい、もう勝ったつもりでいるのか? 勝負は最後まで分からないんだぜ?」
「これはとんだ失礼を。では私も気を抜かず全力で参ります」
オロチは強がってみせるが勝敗はほぼ既に決していた。
やっていることは最後の悪足掻きと同じで、どんな罠を張り巡らせようとも、デミウルゴスはその悉くを看破し苛烈に攻め立てていく。
「これでチェック……いや、チェックメイトですね」
「――参りました。やっぱり負けちまったか。流石はナザリックの参謀だな。最後の方なんて完全に動きを読まれていたよ」
「お誉めに預かり光栄です。これほど充実した時間を過ごさせて頂き、ありがとうございます」
ついにデミウルゴスの勝利で幕を閉じた。
勝ったデミウルゴスはもちろん、負けたオロチもどこか清々しい表情を浮かべてお互いを褒め合う。
あの場面の一手は良かった、あそこはこうした方が良かった、そう試合を振り返りながらチェス談義に花を咲かせる二人の姿は、まるでオロチとウルベルトが語り合っているかのように幻視させる。
「それにしてもお前はウルベルトさんと同じような打ち方をするな」
「私がウルベルト様と?」
「ああ。勝負所での大胆さや、相手の策を逆に利用する性格の悪さがそっくりだよ」
「フフフ、それは褒め言葉として受け取っておきます」
ウルベルトと似ているとオロチから言われ、デミウルゴスは頬を緩ませる。
「もちろん褒め言葉だ。……おっと、約束通りこのチェス盤はお前の物だ。受け取ってくれ」
「……このチェス盤はウルベルト様とオロチ様の友誼の証。そんな大切な品を私が受け取ってしまっても本当によろしいのですか?」
「俺だってデミウルゴス以外になら渡そうとは思わなかったさ。でも、お前だからこのチェス盤を譲るんだ。だから遠慮せず受け取れ。きっとウルベルトさんもその方が喜ぶ」
「あ、ありがとうございます……! 我が生涯の家宝とし、一生大切にすることをナザリック地下大墳墓の名にかけて誓います!」
デミウルゴスはオロチの想いに感激し、オロチやこの機会を与えてくれたアインズが最高の支配者であることを再確認した。
そしてオロチからチェス盤を恭しく受け取り、自身のアイテムストレージへと保管する。後ほど自室に飾ろうと胸を躍らせながら。
「今日はもう疲れたけど、また暇な時にでもやろう。ウルベルトさんはあまりやらなかったが、他にも将棋や囲碁なんて言うボードゲームもあるし、他の配下やアインズさんも誘ってトランプをするのも面白そうだ」
そして、オロチとデミウルゴスの二人はしばらくの間そうして他愛ない話を続けるのだった。