クレマンティーヌの視線の先に広がっているのは豪華絢爛な玉座。今まで生きてきて、ここまで贅の限りを尽くされている部屋を見たことがない。
それだけでも萎縮してしまうというのに、クレマンティーヌは今にも泣け叫びそうになる程の恐怖を感じていた。
何故なら自分を容易く殺せるであろう者達――階層守護者と呼ばれている存在がこちらを睨みつけているからだ。
(こ、怖いよぉ! ご主人様に会えるって言うから喜んで来たのに、出てきたのは底が見えないバケモノじゃない!!)
もしかするとここに連れてこられたのはナーベラルの罠なのではないか、そんなことまで考え始める始末。
彼女であれば、クレマンティーヌを殺すのにこんなまどろっこしい手段を取らないと少し考えればわかるのだが、今のクレマンティーヌの状態では冷静な思考ができないほど混乱していた。
唯一の救いとしては、隣で同じように震えている魔獣がいることだろう。
もちろんその魔獣とはハムスケだ。
突然コンスケによって連れてこられたのだが、何をするのかという事は一切聞かされていない。
この場で知っている顔は自らが殿と仰ぐコンスケ、そして自分の皮を執拗に剥ごうとしていたアウラだけだった。
といってもコンスケは自分の側におらずアウラの肩に乗っている為、いつもの安心感はまるでない。
そんな一人と一匹。種族は違えど同じ境遇の者として早くもお互いに親近感を抱いていた。
本来この世界であればクレマンティーヌもハムスケも強者として君臨できる筈なのだが、ここではただの雑魚でしかない。
すると後ろから扉が広く音が聞こえてくる。
まだ増えるのかと軽く絶望するが、クレマンティーヌはふと違和感を覚えた。
(ん? この気配ってもしかして……)
側にいるだけで不安が安らいでいくような存在感。そんな人物はクレマンティーヌが知る限り一人だけだ。
ゆっくりと後ろを振り返ると……
「よぉ、久しぶりだなクレマンティーヌ」
「ご主人様ー!!」
そこに居たのはやはりオロチ。
恋い焦がれていた念願の本人の登場にクレマンティーヌは喜びを隠せない。
そしてその勢いのままオロチに抱きついた。
「ははっ、元気にしてたか? ナーベラルからお前の活躍は聞いてる。俺の抜けた穴をしっかりと補ってくれたんだってな。ありがとう、クレマンティーヌ」
「フフ、そんなの全然大丈夫だよー。ご主人様の為なら、私はどんなことでもやっちゃうからねー」
クレマンティーヌは久方ぶりに再会したオロチに恍惚の表情を浮かべて笑いかける。
もしも彼女に尻尾があれば、それこそコンスケと同じくらいの速度でブンブン振り回していた事だろう。
しかしクレマンティーヌはオロチの登場により、自身が置かれている立場を忘れてしまっていた。
ここはナザリック。至高の41人を崇拝し、その中でも最後まで残っていたオロチとアインズを絶対視している場所。
そんなところで人間であるクレマンティーヌがオロチに気安く接すればどうなるか、それは――
「オマエ……オロチ様に向かってその態度、覚悟はできてんだろうなぁ……!」
「ひっ!」
シャルティアが濃厚な殺気をクレマンティーヌに向けて放った。
他の階層守護者たちは殺気を放つまではいかないが顔を顰め、クレマンティーヌの態度を好ましく思っていないのは明らかだ。
シャルティアからすれば、人間ごときがオロチに気安く接するなどありえない。
事前にあの人間がオロチのペットだとは聞いている。
しかし、オロチへのあのような言動は許せるはずがなかった。
何より自分が殺気を放った後、咄嗟にオロチの背後に隠れたことが気に食わない。
「家畜風情が調子に乗るな……!」
一触即発。
流石に少しまずいなと思ったオロチが口を開こうとして……すぐに閉ざす。
ピリピリとしたこの場の空気を変えたのは、ナザリックの支配者の声だった。
「――騒々しい、静かにせよ……!」
その威厳のある重厚な言葉が発せられた瞬間、剣呑な雰囲気だった守護者たちが一斉に膝をつき、転移にて玉座に現れていたアインズに忠誠を示す。
急な出来事についていけなかったクレマンティーヌとハムスケも、周りに合わせて慌てて膝をついた。
アインズと同格であるはずのオロチまで何故か膝をついている。
「……オロチさん、貴方にまでそうされると非常にやり難いです」
「ええまぁ、俺は賭けに負けましたからね」
オロチは肩を竦めて苦笑いを浮かべた。
配下たちは皆一様に『賭けとは?』と疑問に思うのだが、この場には口を挟む者は誰もいない。
そんな彼らに気がついたアインズが口を開く。
「実は先ほど私とオロチさんでとある賭けをした。その内容は……デミウルゴス、何か分かるか?」
「はっ、おそらくそこに居るオロチ様のペットに関係があるのではないでしょうか?」
ほとんど考える時間を取ることなく、デミウルゴスはすぐさま答えを返した。
それによって一斉に視線を向けられたクレマンティーヌと、その近くにいたハムスケの体がビクつき、小刻みに震わせる。
「正解だデミウルゴス。私とオロチさんは、そこに居る人間と魔獣について賭けをした。オロチさんのペットである人間のクレマンティーヌ、そしてコンスケの配下であるハムスケ。ナザリックの新たな同胞である彼女らに敵意を向けるか否か、というな」
アインズがそこまで言うと、ナザリック勢の配下たちが一様に顔を青ざめさせる。
自分たちの主人は敵には一片の甘さなど見せないが、身内に関しては非常に寛大なのだ。
だが、アインズが今身内と言ったクレマンティーヌとハムスケに自分達は何をした?
ハムスケはともかく、クレマンティーヌには殺気すら放っている。事前にオロチが連れてきたと聞かされていたのに、だ。
それを一時の感情で殺そうとしてしまうなど明らかに配下としては越権行為。
そして止めようともしなかった者も同罪だろう。
配下たちは自らの失敗を悟り項垂れた。
「……申し訳ありません。私自身、あの女のオロチ様への言動は耐え難いものがありました。この罰は如何様にでも謹んでお受け致します」
「フフフ、お前たちを責めるつもりは無い。主人であるオロチさんを軽んじられたと思えば、お前たちが怒るのも無理はない。むしろその忠義を褒めるべきだろう」
「その通りだ。そもそも今回はお前たちがどんな反応をするか見るため、敢えてクレマンティーヌに演技してもらっていたのだからな」
オロチの言葉に驚愕を隠せない一同。
まさかあれが全て演技だとは思いもしなかった。何せクレマンティーヌは明らかに配下たちよりも格下なのだ。
そんな中で誰にも疑われる事なく騙し通すほどの演技力と胆力は、ただの有象無象の人間と切り捨てるにはあまりにも素晴らしかった。
こうして配下たちの中でクレマンティーヌの評価が一段階引き上げられる。
その一方、話の行方を真剣な眼差しで見守るクレマンティーヌは――驚愕を顔に出さないように必死だった。
何故ならそんな話は微塵も聞かされていなかったのだから。
(ご主人様!? いったい私にどうしろと!?!?)
(……拙者、ここは空気に徹するでござるよ)