「おぉ、やっと戻って来てくれたのか! 突然君が姿を見せなくなるから心配していたんだぞ?」
エ・ランテルにある冒険者組合、そこの組合長室に入るとそんな言葉が聞こえてきた。
その言葉の主はもちろん組合長であるプルトンであり、その様子から本気でオロチを心配していたことが分かる。
(契約を結んでからすぐに姿を消してしまえば、そりゃ不安にも思うか)
オロチはそんな事を考えて一人で納得する。
しかし自分が消えていた本当の理由など話せる筈もないので、この件についてはあまり多くは口に出さない方がいいだろう。
腹芸というものが得意とは言えないオロチでは、つい会話の弾みで余計な事まで口走ってしまいかねないのだから。
本音を言えば、クレマンティーヌからの情報で判明したオロチと交戦したスレイン法国の漆黒聖典、その逃した一人の情報をそれとなく聞きたいところだったが、それだけを聞く話術などオロチは持ち合わせていなかった。
もっとも、既にあの男が逃げ出してからかなりの時間が経過しているので、オロチの情報はある程度スレイン法国に伝わっていると思った方が良い。
だから今更慌てて探す必要もなく、絶対に聞き出す必要があるというわけではなかった。
「ああ、心配かけたな。でも俺が居なくてもコイツらがちゃんと依頼をこなしてただろう? それに、何かあればすぐに戻ってくるつもりでいたしな」
「そうだな。彼女達がしっかり働いてくれていたから、冒険者組合としては非常に助かっているよ」
事実、かなり難しいとされている依頼を、ナーベラルとクレマンティーヌの二人でこなしている。
それこそエ・ランテルにいる冒険者であれば達成できないような依頼も、だ。
この街にいる冒険者は、オロチ達を除外すれば最高でもミスリル程度の者達しかいない。
だから本来であれば他の街から冒険者を呼び寄せなければならないような案件を、彼女たちは複数成功させている。
これほどの成果を挙げているので、プルトンに不満があろう筈がなかった。
「あ、そういえばどうやら君たちのチーム名が決められたみたいだ」
「へぇ、いったいどんなだ?」
「『月華』それがチームの名前だ。今ならそれほど多く呼ばれていないから、希望があるのなら変更できるが……どうする?」
「月華、か。……中々良いじゃないか。気に入ったよ」
少しだけ考え込んだオロチはプルトンにそう答える。
オロチはコンスケやハムスケという名付けからも分かるように、名前に対してこだわりはそれほど強くない。
だから月華という名前であっても特に困ることはなかった。
「そうか、ではこちらで改めてチーム名を『月華』として登録しておこう。それからこれを渡しておく」
プルトンが机の引き出しから鍵の束を取り出し、それをオロチに差し出した。
「これは?」
「君たちの要望だった屋敷を無事に押さえることが出来たから、後で誰かに案内させる。ただ、貴族が所有していた屋敷なにでかなりの広さがあるんだが……本当に管理する者を手配しなくても良いのか?」
「こっちで用意するから問題ない。それに、俺は知らない奴に自分の家をうろちょろされるのが一番嫌いなんだ」
「ふむ、そうか。一応今日からでも住むことはできるが、家具の類いは新調した方が良いだろう。その際の購入費用は全てこちらで持とう」
「……えらく気前がいいな。そこまでされると変に勘繰ってしまうんだが?」
オロチは少しだけ目を細めてプルトンの目を見る。
威圧しているわけではないが、それでも嘘は許さないという瞳。
そもそも屋敷はあれば便利というだけであって、無くても別に困らない。
だからもし、プルトンがオロチに恩を売っておこうという以上の考えを持っていれば面倒だった。
「そう心配するな。家具については礼だよ」
「礼?」
「ブレイン・アングラウスを弟子にしたのだろう? そのおかげで彼を冒険者に引きずり込むことが出来た。だから遠慮はいらない。もちろん、これで恩を感じてくれるのは大歓迎だがね」
そう言ってプルトンは嬉しそうな笑みを浮かべた。
ブレイン・アングラウスと言えば、このリ・エスティーゼ王国で最強と謳われる王国戦士長――ガゼフ・ストロノーフと互角に渡り合った剣士として有名だ。
そしてそんな彼を倒すどころか自分の弟子にし、そのおかげでブレインを冒険者にすることに成功する。
いったい何をすればブレインほどの男を弟子にできるのかとプルトンは疑問が尽きないが、オロチやブレインは自分では到達できない領域にいる為、凡人には理解出来ない何かがあるのだと勝手に納得していた。
「いやいや、弟子云々はアイツが強引に決めた事だ。つい勢いに流されただけで、俺が弟子にしたいと思っていたわけじゃないぞ?」
「それでもあのブレイン・アングラウスだぞ? 既にこの街でもちょっとした噂になっている。ブレイン・アングラウスがアダマンタイト級冒険者に弟子入りしたってな」
「マジかよ……今からでもクビにした方が良い気がし――」
そこでふとオロチは思った。
ブレインの名はリ・エスティーゼ王国ではかなり広く知れ渡っており、他国でも情報に聡い者達の間では有名人だ。
(あの程度の強さでも、知名度だけで言えば俺よりも上だ。弟子や師匠なんてこっぱずかしいから嫌だが、名声を高めるっていう意味なら使えなくもない……のか?)
オロチがそんな事を考えていると、ドタドタと慌ただしい音が聞こえてくる。
そして扉がドーンと勢いよく開かれた。
室内に入ってきたのはボサボサな青髪の男。まさに今話題に上がっていたブレイン・アングラウスだった。
ブレインは室内を見渡し、そしてオロチを見つけると満面の笑みを浮かべて口を開く。
「師匠、待っていましたよ師匠! さぁ、俺に剣の真髄を教え――」
「オロチ様は取り込み中だ。少し黙っていろ、蛆虫。それとも永眠させてやろうか?」
『またイジメちゃうよー?』
ブレインの発言を遮るようにナーベラル、そして仮面によって声が変わっているタマがそれぞれ言い放った。
格上の二人に気圧されたブレインは一気に興奮を冷まされ、みるみるうちに大人しくなる。
「……俺の扱いひどくない?」
そんな言葉が聞こえてきた気がするが、当然オロチには届かなかった。
そしてあまりにも雑な扱いを受けるブレインに、プルトンは同じ男として同情を禁じ得ない。
「あー、その、流石にその扱いは……いや、なんでもない」
その同情心から苦言を呈しようとしたが、今のブレインはオロチの弟子であり、自分がとやかく言う事ではないと思い直して口を閉ざした。
「それはそうとブレイン、言いつけ通りその木刀以外使っていないだろうな?」
「は、はいっ。もちろん師匠から頂いたこの木刀しか使っていません!」
「なら良い。じゃあこの後少しだけ稽古を付けてやるよ」
オロチがそう言うと、ブレインは再び興奮した様子で騒ぎ始める。
「っ!ありがとうございます! このブレイン、全身全霊で臨ませていただきます!!」
そんなやる気を漲らせるブレインとは対照的に、オロチからはやる気がほとんど――いや、まったく感じられなかった。
(何が楽しくて野郎を鍛えにゃならんのだ。いくら名声を高める為とは言え面倒だ……)
オロチがそんな事を考えているとは知らず、ブレインはキラキラとした目を向けている。
そんな真っ直ぐな視線を送られたオロチは何だかんだ言いつつも、ブレインをどのように鍛えるかを考え始めるのだった。