鬼神と死の支配者46

 エ・ランテルの街にある、貴族や商人たちが所有する屋敷などが立ち並ぶ上流階級の人間が住む区画の一角。
 そこにブレインを担いだオロチと、それを出迎えるナーベラルの姿があった。

「お帰りなさいませ、オロチ様」

「ああ、出迎えご苦労さん。もう腹が減って死にそうだ」

 そう言ってオロチは担いでいたブレインを雑に地面に落とした。
 曲がりなりにも弟子である男に対する扱いではないのだが、ブレインにとって不幸にもそれを指摘する者はこの場にはいない。

 むしろナーベラルは、人間ごときがオロチの手を煩わせていると不快感さえ覚えているほどだった。

「へぶっ!? ……はっ、ここはどこだ?」

 地面に落とされた衝撃でブレインが眼を覚ます。

「やっと気がついたか。ここまで運んでやった心優しい師匠に感謝しろよ?」

「え? あ、ありがとうございます?」

 突然感謝しろと言われ、ブレインはわけも分からず感謝の言葉を口にした。
 今までの自身の扱いを見ていればそんな言葉は口が裂けても出てこないのだが、ブレインにとってそれは知らない方が幸せなことかもしれない。

 落とされた拍子に地面にぶつけたのか、鼻をさすりながら辺りをキョロキョロするブレイン。
 そんな弟子の姿には目もくれずにオロチが口を開く。

「にしても、思っていたよりもちょっとだけデカイな」

 オロチは目の前の屋敷を見上げながらそう言った。

 プルトンが報酬としてオロチに進呈した屋敷はエ・ランテルの中でもかなり立派な屋敷だ。
 それこそ敷地の広さや建物の大きさなど、総合的に考えれば街の中でトップクラスの優良物件だろう。

 決してちょっとデカイだけではないのだが、ナザリックという規格外な場所に本拠地があるオロチたちからすれば、この程度では驚くことはなかった。
 現に一度だけナザリックに足を運んだことがあるクレマンティーヌでさえ、この物件を見ても『大きいねー』という薄い反応しかしていないのだから。

「オロチ様のお住まいと考えれば、ギリギリ及第点といったところですね」

「まぁそう言ってやるな。プルトンもそれなりに頑張ったんだろうし。……それよりも夕食の準備はできているか?」

「もちろんです。すぐにでも始められます」

 ナーベラルの言葉に満足そうに頷くオロチ。そこでようやくブレインに視線を向けた。

「あー、お前も食っていくか? 飯」

「……え? お、俺も良いのですか!? 喜んでお供させていただきます!」

 一瞬、オロチから出た言葉とは思えなかったブレインだったが、すぐさま切り替えて笑顔を見せた。
 普段の自身への扱いからは想像もつかない優しさであり、今でもにわかに信じられないほどの出来事である。

 しかし、師から食事の誘いを受けるなどブレインにとってはもちろん初めてであり、これを断る理由など彼には思いつかなかった。

「っていう事だから、コイツの分の食事も用意してやってくれ。それと、少し汗をかいたから俺とブレインに清潔の魔法をかけてくれるか?」

「かしこまりました。では――クリーン」

 ナーベラルが二人に向けて呪文を放つ。
 するとオロチとブレインの体が淡く輝き、それが収まると二人の体や装備から汚れが落ちていた。
 しかも、まるで風呂に入った後のような爽快感まである。

 ナーベラルが唱えた魔法は汚れなどを落とす効果があり、魔力を多く込めれば部屋全体を綺麗にすることも可能である便利な魔法だ。
 しかし、ブレインの記憶ではこの魔法はあくまで汚れを取り除く為の魔法であって、ここまでの爽快感を齎すものではなかった。

「この魔法にここまでの効果はなかった筈だが……。まぁ、師匠の仲間が普通なわけないか」

 そう呟き一人で納得するブレイン。
 常識という言葉がまるで当てはまらない自らの師匠であるオロチを思い浮かべ、そんな人物に付き従っているナーベラルが普通のマジックキャスターである筈がないと思い直したのだ。

 そしてもう一人、オロチの仲間の顔が浮かび上がってきたところで慌てて考える事をやめた。
 その仲間――クレマンティーヌはブレインにとって恐怖の対象と言ってもいい。

 出会い頭に笑顔で腕を切り飛ばすような人物に好感を持てと言う方が無理であろう。
 今でも彼女と対峙すれば体の震えを止められないかもしれない。
 そこで、はっと思い出したかのようにブレインが口を開く。

「……あ、もしかしてクレマンティーヌさんも同席しますか?」

「そりゃいるだろ。この屋敷はアイツの家でもあるんだから」

 ブレインの顔が明らかに青ざめた。
 いや、もはや青ざめたと言うよりも死人のような白い顔をしている。
 初めからクレマンティーヌがいると分かっていれば、もしかするとブレインはオロチからの誘いであっても断っていた可能性もあるほどだ。

 そして、そんなブレインの様子にオロチは首を傾げ、以前クレマンティーヌから聞いた盗賊討伐での一件について思い出した。

「ああ、そういえばクレマンティーヌを怖がっているんだってな。アイツも反省……はしていないだろうけど、もういきなり斬りかかってくることはないさ。大丈夫だ」

 オロチがそう言っても、ブレインの表情は中々晴れることはなかった。

 何故なら彼の心には深く刻まれているのだ。
 狂気を孕んだ笑顔で、自分の腕を切り飛ばした女の顔が。

 ブレインは何度もその夢を見るほど大きなトラウマを負っていたのだ。

「今日は止めておくか?」

「………………いえ、お邪魔させていただきます」

 あまりにブレインが怯えるので、珍しくオロチが彼を気遣う言葉をかけた。しかし数秒の沈黙の後、ブレインはしっかりと自分の口から意思を伝える。

 彼の顔はまるで死地に赴くような表情をしていた。

(いや、ただ夕食を一緒に取るだけだろうに。お前は魔王でも討伐しに行くつもりなのか?)

 そんな事を考えながら、オロチは未だに自身の肩で眠り続けるコンスケを人撫でし、新たな住まいへと入っていった。
 そして扉を両手で押し開いたその先には――

「お帰りなさいませご主人様、お風呂にする? ご飯にする? それとも……わ、た、し?」

「どこで覚えたんだそれは」

 玄関先でオロチを出迎えたメイド服姿の女性、ブレインが恐れてやまないクレマンティーヌの姿があった。

 普通のメイド服よりもかなり改造が加えられていて、フリフリのドレスのような印象が受ける。
 クレマンティーヌの可愛らしい容姿と相成って、存分に彼女の魅力を引き出していると言えるだろう。

 しかし、そんな彼女の姿を見たブレインは……絶句していた。
 もちろんクレマンティーヌの美しさにではなく、あんな恐ろしい女をこれほどまでに従わせている事に、だ。

「し、師匠。その女をここまで手懐けるなんて流石です!」

「あれー? 誰かと思ったらブレイン・アングラウスじゃない。存在感が無さすぎて分からなかったよー」

 どうやらブレインの言った言葉はクレマンティーヌの癇に障ったらしく、煽り返すように言い返した。
 そしてなんと、ブレインもそれに強気で反応する。

「……はんっ、今にお前よりも強くなってみせるさ!」

 ブレインは堂々とクレマンティーヌに言い切ったのだった。

 

「おいブレイン、俺に隠れて言うんじゃない」

 オロチの影に隠れて足をブルブルと震わせながら。

 

   

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