「あっ、オロチ様だ! お久しぶりです!」
オロチがエンリと八咫烏の扱いをどうするか思案していると、そんな子供の声が聞こえてきた。
そちらを向けば、ニコニコと笑う幼い少女がオロチに手を振っている。
オロチが手を振り返してやれば、その少女はさらに笑みを深めてトテトテと近づいてきた。
少女の名前はネム。
オロチがよくカルネ村に来ていた頃、暇つぶしとしてよく遊んでもらい彼に懐いたのである。
まるで兄に甘える妹のように、二人は仲の良い兄妹に見えた。
「ちょっとネム! オロチ様に失礼でしょ!?」
エンリは少しだけその様子を羨みながらも、なんとか姉の威厳を保つ為に妹を注意した。
「別に構わないさ。子供は子供らしくしているのが一番だからな。なんならエンリも甘えてくれて良いんだぞ?」
「わ、私はそんな……」
「お姉ちゃん素直になりなよー。昨日もあれだけオロチ様のこと――」
「ネ~ム~?」
ネムが何かを言う前にエンリが圧のある笑顔でそれを止める。
危機を察知したネムは、オロチの背後にサッと身を隠した。
「ははっ、相変わらず仲の良い姉妹だな。まぁネムも来たのならちょうど良い。二人に少し話があるんだ。――コイツの事で」
『むぅ……』
オロチはヒョイっと八咫烏の首元を摘まみ上げた。
圧倒的な実力差を理解しているのか、不機嫌そうな声を上げるだけでされるがままになっている。
「クロちゃんに何か問題があるんですか?」
「そうだ。この八咫烏――いや、クロちゃんはお前たちが思っているよりも強力な力を持っているんだ。それこそ……小さな街なら滅ぼせるくらいのな」
二人の姉妹は『えっ!?』と驚愕した。
自分たちがクロちゃんと名付けた存在がそれほど強大な力を持っていると聞かされれば、そう驚くのも無理はない。
「ク、クロちゃんってそんなに強い魔獣だったんですか……?」
エンリがなんとか立ち直ってそう言った。
外見はほとんどカラスと同じなので、彼女達にはせいぜい少し変わった魔獣程度の認識だったのだろう。
だがこの八咫烏は、この世界ではほぼ敵無しと言っても良いほどの戦闘力を誇る妖怪だ。
オロチが言った小さな街なら滅ぼせるというのも嘘ではなく事実。
それどころか、オロチ達アダマンタイト級の冒険者チーム『月華』が居なければ、エ・ランテルの街であっても単独で落とすことは容易である。
八咫烏を確実に倒すには、プレアデスくらいの力量を持った者が最低でも三人は欲しいところ。
もしくは階層守護者程度の力があれば簡単に倒せるだろう。
もっとも、今までオロチが見てきた現地の者達では、例え束になっても一方的な蹂躙に合うだけだ。
なのでこの世界に於いて八咫烏の能力は非常に有効的だった。
「正確には妖怪だが……まぁそういう認識でも構わない。八咫烏という種族がどれだけ知れ渡っているかは不明だけど、念のためにあまりコイツを見せ歩かないようにした方が良いだろうな」
「そう、ですか。ならクロちゃんをオロチ様にお譲りした方が良いのでは?」
クロちゃんの身体がビクッと震える。
どうやらこの八咫烏はオロチに苦手意識を持っているらしく、エンリが言った譲るという話を相当嫌がっているようだ。
(そういえば、コイツは俺が妖怪だってことは分かっているのか? もし人間じゃない事を中途半端にバラされると厄介な事になるかもしれないな)
「うーん、少し待っていてくれ。コイツと二人で話してくるから」
『我は別に話すことなど……い、痛いぞ!? 分かったからやめてくれ!』
オロチは口ごたえするクロちゃんを物理的に黙らせ、姉妹からある程度距離を取る。
そして少し離れた場所で歩を止め、掴んでいた首元から手を離した。
「よし、ここなら良いだろ。言っておくが今から言うことに嘘は許さない。もし俺が嘘をついたと判断したらこの場で殺す。わかったかクロちゃん?」
『む……仕方あるまい。我ではお主に太刀打ち出来ぬからな。で、我に何を聞きたいのだ?」
「まず俺の正体はどこまで把握している?」
『お主は我と同じ妖怪なのであろう? 人間のフリをしているようだが、同族からみれば一目瞭然だ』
正確には人間のフリをしているつもりなど一切なかったが、話がややこしくなりそうなのでそのままスルーした。
「じゃあ次、ユグドラシルについてどこまで知っている?」
『……ユグドラシル? なんだそれは、聞いた事もないぞ』
思ってもみないまさかの返答が帰ってきた。
質問の意図としては、ナザリックのNPCにはユグドラシルでの記憶があったので、『百鬼夜行絵巻』のNPCはその辺りがどうなっているかの確認だったのだが、クロちゃんの言葉を信じるのであればそもそもユグドラシル自体を知らないと言う。
「……本当か?」
『ほ、本当だとも! 誓ってユグドラシルという単語は聞いた事がない!』
多少の殺気を乗せて再度問い質してみるも、クロちゃんの言い分は変わらなかった。
(っていうことは、どうやらコイツはユグドラシルから召喚されたんじゃなく、もっと別の場所から召喚されたっていうことか? でもこの世界では妖怪なんて影も形もない無いんだよな)
ユグドラシルの魔法やスキル、そしてアイテムなどが使えるように、この世界とユグドラシルには共通点が多くある。
しかし、モンスターの種類も見知ったものが多いのだが、妖怪に分類されるであろう魔獣やモンスターの話を聞いたことがなかった。
ゲーム時代でもマイナーな種族ではあったが、それでも皆無というわけではない。
ここまで見かけないとなると、妖怪種自体がこの世界にはいないと考えるのが自然だろう。
だがそうなれば、エンリが召喚した八咫烏はいったい何処からやって来たのかという疑問が残る。
スキルで召喚したモンスターは生まれたてのような印象を受けたので、こういった疑問は抱かなかったが、この八咫烏からは生きてきた年季のようなものを感じるのだ。
だから間違いなく召喚される前は何処かで暮らしていたと、オロチはそう考えている。
「なら、お前は召喚される前は何処にいた?」
『それがな、驚くことに一切思い出せん』
「……ふざけてんのか?」
『ふ、ふざけてなどいないからその殺気を収めい!』
オロチは舌打ちしながら、結局何も情報を得られなかったことにイラつきを感じていた。
(もしもこの八咫烏が別世界から来たとしたら、上手くすれば色々な世界を行き来できると思ったんだけどな。そう上手くはいかないか)
もしも別世界への移動が可能になれば、それこそ今よりももっと刺激のある生活が送れるだろう。
オロチは今でも十分幸せを感じているが、それでも文字通り世界を行き来するというのには心惹かれるものがある。
しかし、その可能性も召喚された本人――本鳥に記憶が無いと言われればそれまでであった。
「まあ良いか。今は存分にこの世界を楽しむとしよう」