数分間の短い話し合い――という名の一方的な尋問が終わり、エモット姉妹とルプスレギナが待機している場所へと戻ってきたオロチと八咫烏のクロちゃん。
両者の表情はひどく対照的だった。
片やニコニコと笑みを浮かべ、まるで親しい友のように接する者。そしてもう一方はそれを嫌がり、しかし努めて顔には出さぬように引きつらせる者。
もちろん前者がオロチ、後者がクロちゃんである。
「ま、もし俺と敵対すればお前は確実に焼き鳥にするからな。せいぜい気をつけろよ」
『……分かっておる。エンリもお主と争うつもりは無いようだし、我もお主らと争うつもりなど微塵もないわ』
オロチはエンリ達には聞こえないように脅しをかけた。当然その間も笑顔のままである。
別に自身の本性を知られても構わなかったのだが、わざわざそれを教える必要もない。
なのでもし八咫烏の力が必要となった時、その時に改めて自分やナザリックのことをエンリに話すつもりだった。
(そういえば俺、優秀な人材を確保するっていう任務があったんだよな。エンリも八咫烏を使役している事を考えれば十分に勧誘対象だ。ただ、エンリは今のところ只の村娘でしかないし、優秀なのは八咫烏の能力だけだから……今後に期待だな)
八咫烏の力を考慮すれば、この世界ではトップクラスの実力を持っていることになる。ナザリックの中でもそこそこ上の方に入り込めるだろう。
だがエンリ本人は只の村娘であり、実際に戦闘になれば恐慌状態に陥っても不思議ではない。
使役者がそんな状態になれば八咫烏も満足に戦うことは出来ず、下手すれば勝手に自滅してしまう未来まで見える。
そんな不安定な者をナザリックに加えるなど以ての外だ。
これから先、ナザリックは多くの戦闘をこなしていく事になるだろう。それの中には国との戦争もあるかもしれない。
そんな時に足手まといがいると困るのだ。
最低でも自分の身くらいは守れる力、そして戦いに動じない胆力が欲しいところだった。
もっとも、ナザリックに加わることがエンリにとって幸せなことかは不明なのだが。
(やっぱ冒険者をやっている奴を引き抜くのが一番なんだが、ただ普通の精神を持っている奴じゃナザリックは受け入れられないかもしれない。それこそ多少歪んでいるくらいが丁度いい)
その点、クレマンティーヌはその全ての条件を満たしていた。
強さもあり、戦い慣れしており、そして頭のネジが飛んでいる……まさに理想の人材と言えるだろう。
「オロチ様、それでそのクロちゃんとやらの処遇はどうするんすか?」
考え込んでいたオロチの耳にルプスレギナの声が聞こえてきた。
「どうもしない。コイツはこのままエンリに任せるさ。少し話せば中々話のわかる良い奴だったし……な、クロちゃん?」
『……ああ、そうであるな』
クロちゃんは苦苦しげな声でそう返すのがやっとだった。
オロチが自分よりも格上の存在であることは理解している。彼から感じる妖気が全てを物語っているからだ。
いや、それ以上にオロチのことを本能で恐れているのかもしれない。
自身の主であるエンリとは何故か友好的なのが唯一の救いだった。
「エンリとネム、クロちゃんの世話は任せたぞ。基本的に使役者であるエンリには逆らえないから、存分にこき使ってやれ。たぶん大抵のことはこなせると思うから」
「は、はい。クロちゃんにも村の為に働いてもらう事にします」
エンリはホッと安堵の息を吐いた。
クロちゃんを召喚してからまだ日は浅いが、それでもできれば一緒にいたいと思う程度には愛着が湧いていた。
妹のネムも初めて飼うペットの様な存在であるクロちゃんに懐いている。
エンリはそんな彼女からクロちゃんを取り上げてしまうのは可哀想と思っていたので、オロチがそのままで良いと言ってくれたのは非常に助かった。
……八咫烏をペットにしているのは、世界広しと言えどおそらくエモット姉妹だけであろう。
「わーい、良かったねクロちゃん。これからもお家にいて良いんだって。ありがとうございます、オロチ様!」
「ははっ、ネムもしっかり面倒を見てやるんだぞ」
『むぅ……』
クロちゃんは自分がまるで何も出来ない雛鳥のような扱いを受けているのは納得出来なかったが、ここで余計なことを口走ればオロチに何をされるかわからないので黙り込むしかなかった。
それになにより……
「はいっ、クロちゃんの面倒はわたしがしっかり見ます!」
そう言ってニコニコするネムの姿に水を差すような真似はしたくなかったのだ。
いくら妖怪と言えども、彼らにも当然思いやる心というのはある。
召喚されたことで何故か記憶を失ってしまってはいるが、だからこそ尚更クロちゃんの中でエンリやネムの存在が大きくなっていた。
オロチもネムの微笑ましい宣言にほっこりしていると、誰かの腹がグゥ~と盛大に音を立てたのが聞こえてくる。
そして皆が一斉に音の出た方へと視線を向けた。
「はうぅ……」
そこには顔を真っ赤に染め、恥ずかしそうに自分の腹を押さえるエンリの姿があった。
年頃の娘であるエンリにとって、人前で腹を鳴らしてしまうなど恥ずかしいどころの騒ぎではない。
さらにこの場には自身が憧れの気持ちを持っているオロチも居るのだ。
彼女は『いっそ殺してくれ!』とさえ思うほどの羞恥を感じていた。
「……そう言えばそろそろ昼飯の時間だな。そうだ、エンリ達も一緒に飯を食わないか? むしろかなりの量があるから手伝ってくれると嬉しい」
恥ずかしさで真っ赤になっているエンリに、オロチはそんな言葉をかける。
女心に鈍感な彼であっても、流石にこの人数の前で自分の腹の音を聞かれるのはかなり可哀想だと同情したのだ。
そう思って早く話を逸らせてあげようとしたのだが、オロチの気遣いも未だ幼いネムの前には無意味であった。
「え!? やったー! お姉ちゃんのお腹の音のおかげだね!」
そんなネムの無邪気な――もとい無慈悲な一言によって、エンリは見事にノックアウトされたのだった。
……なお、エモット家の今晩の夕食はネムの苦手な野菜ばかりだったとか。