冒険者組合での一件の後、オロチ達は街で一番豪華と言われている宿屋に部屋を取っていた。
トルネコにこの街で一番綺麗な宿はどこだと聞くとここを紹介されたのだ。
むしろ他の宿屋はまともに営業できていないため、止めておいた方がいいという忠告まで貰っている。
「エ・ランテルで泊まってた宿と同じくらい綺麗だな。街の様子からあんまり期待していなかったけど、中々悪くない部屋だったな」
オロチは部屋を見渡し、満足そうにそう言った。
実際、エ・ランテルの街で常宿にしていた所とさほど遜色なく、むしろ広さならこちらの方が上かもしれない。
最悪外で野宿でもオロチは問題無いのだが、寝床は良いに越したことはないので不満は無かった。
「あ、そうだ! ご主人様にこれあげるよー」
突然思い出したかのようにそう言って、クレマンティーヌが懐から取り出したのは……財布。
えらく上品な品であり、中身も含めてかなりの価値があることが分かる。
もちろんこれは彼女の持ち物ではない。
つまり……
「おいおい、どこから盗んできた? 俺達はそこまで金に困っているわけじゃないぞ?」
呆れるようにそう言い放つオロチ。
自分達は冒険者としてかなり稼いでおり、わざわざ個人から盗みを働かなければならないほど金に困っているわけじゃない。
最悪金に困ってもオロチにはアインズという頼りになる人物がいるので、財布程度の小金をわざわざ盗む必要は無かった。
それほど高い道徳心を持っているわけじゃないので盗み自体を咎めはしないが、明らかにリスクと成果が釣り合っていないように感じたのである。
「フフフ、違うよー? この財布は組合であのクソ野郎からスリ取ったものなんだ」
クレマンティーヌはまるで悪戯が成功した悪ガキのような笑みを浮かべる。
彼女は言うあのクソ野郎、それはアダマンタイト級冒険者『クリスタル・ティア』リーダーのセラブレイトのことだろう。
彼とは勝負で決着をつけるということで落ち着いたのだが、それだけでは自身の怒りは収めることが出来なかった。
だから、嫌がらせにしかならないとは理解しつつもこの財布を盗んできたのだ。
「へぇ、凄いじゃないか。俺も気づかなかったぞ?」
「でしょー? ほめてほめてー」
自分の頭をオロチに擦り付けるように甘えるクレマンティーヌ。
彼女がやったことはれっきとした犯罪なのだが、甘える彼女の姿からはまったく想像できないことである。
こうして普通にしていれば、活発な美少女としてさぞ人気が出るだろう。
「……やるじゃない」
ボソッとナーベラルの口からそんな言葉が呟かれた。
クレマンティーヌに対して素直に褒めることが無いナーベラルでも、この件に関しては良くやったという思いが強い。
いつもならクレマンティーヌがオロチに過剰な接触をしていると、イラついて魔法を放っていただろう。
だが、今回に限っては不快に思っていても彼女に向けて魔法を放つことは無かった。
「…………むぅ」
当然、ベタベタするクレマンティーヌを不満には思っていたが。
「あれ? そう言えばコンスケは何処にいるの?」
クレマンティーヌはいつもオロチの肩でリラックスしている小狐の姿がないことに気づき、部屋の中をキョロキョロと見渡しながらオロチにそう尋ねる。
「コンスケなら今日は外の厩舎で寝るってさ。ハムスケが一人で寂しいだろうからって」
ハムスケの巨体では室内に入ることはできない。
エ・ランテルでもそうしていたが、慣れない土地で不安かもしれないと心優しいコンスケは一緒に厩舎で寝ることにしたのだ。
ただ、コンスケに友達ができることは喜ばしいことではあったが、こうして親の元から離れて行くのかと思うと少しだけ寂しい気もする。
そんな気持ちが表情に出てしまう前に、話題を変えるため口を開いた。
「それはそうと、今夜俺だけ別行動するつもりだからそのつもりでな」
オロチがそう言うと、クレマンティーヌが珍しく不満顔を浮かべた。
「えー? わざわざそんな商売女を相手にしなくても、私が満足させられるよ?」
「な!? オロチ様は駄猫などを相手にするわけでないでしょう!? それなら私が――」
勘違いしたクレマンティーヌの一言により、ナーベラルまでもがとんでもない思い違いをしてしまっていた。
そして遂には、どちらがオロチの夜伽の相手を務めるかという話し合いにまで発展している。
たしかに男が夜にひとりで抜け出すと聞かされれば、そういう店に行くつもりであると考えてもおかしくはない。
この場合は迂闊な発言をしたオロチに責があるだろう。
「あー、違うぞ? この国の女王様とやらの面を見てこようと思っているだけだからな?」
そう弁解すれば、シーン……と室内を静寂が包み込んだ。
そして、ナーベラルの顔は火を吹き出しそうなくらいに赤面してしまう。
自分の勘違いでオロチの夜伽の相手は自分だと盛り上がってしまったのだから無理もない。
「……夜這い?」
「何故そうなる」
そんな短い会話の後、再び気まずい静寂が訪れたのだった。
◆◆◆
月明かりが街を照らし、多くの者が寝静まっているであろう時間。
しかし、竜王国の女王ドラウディロン ・オーリウクルスは未だ机に噛り付いていた。
今の彼女は幼い子供の姿ではなく、妖艶な魅力を孕んだ大人の女性だ。
そんなドラウディロンの物憂いげな表情と、窓から漏れる月の光が合わさり、今の姿は妙に儚げな印象を受ける。
(あぁ……! このままじゃ世界中のロリコンが集まって来てしまう……! それだけは何としても避けなければならないのに、宰相を納得させられるだけの代替案が無い。正に万事休すではないか……)
もっとも、彼女が考えているのは儚い表情とは裏腹に、かなり現実的なことではあったが。
竜王国の女王として、ドラウディロンにも国や民を想う気持ちは勿論ある。
あるのだが、子供の姿の自分を舐め回すような視線を送る変態に、自分から媚へつらうのは精神的にかなりキツイことだった。
何度心が折れそうになったか分からない。
そしてその度に宰相から、『ビーストマンの腹に収まるより、ロリコンに身体を捧げる方がマシでしょう』と言われてしまえばぐうの音も出なかった。
幸いと言って良いかは微妙だが、未だ彼女の身体は穢されてはいない。
ただそれは単純に餌としての価値を高めるためなので素直に喜ぶことは出来ないだろう。
――ヒュゥ
そんな彼女の頬を一陣の風が撫でた。
人の気配がした気がして、パッと顔を上げて周囲を見渡す。
しかしこの部屋には自分だけしかいない。
「気のせいか。少し疲れているのかもな」
「気のせいじゃ無いぞ」
「ひゃん!」
突然聞こえてきた声に驚き、盛大に椅子から転げ落ちてしまう。
その拍子に頭をぶつけてしまい、その部分をさすりながら恐る恐る声のした方へと顔を向けた。
そしてそこには――
「大丈夫か?」
自分に向かって手を差し伸べる少年の姿があった。