レイピアを抜き、それを構えるクレマンティーヌ。
普段のおちゃらけた姿からは想像もつかないような力強い雰囲気を醸し出し、ただ一点先を見つめる。
彼女の視線の先には、自然体のまま悠然と立ち尽くすオロチの姿があった。
「能力向上、能力超向上」
クレマンティーヌはユグドラシルには存在しなかったこの世界独自の技術である武技を発動し、自身の身体能力を引き上げた。
この状態の彼女の能力値はかなり底上げされており、元々の素早い身のこなしで相手を翻弄する戦闘スタイルに、より一層磨きがかかる。
低レベルなこの世界の者達では、例え複数人で掛かっても相手をするのは一苦労だろう。
しかし、オロチにとっては所詮少しばかり能力に補正がかかった程度でしかない。
ユグドラシルにはもっと強力なバフをかける魔法やスキルが星の数ほどあったのだから当然だ。
しかも能力値に補正をかけた今の状態のクレマンティーヌでさえ、通常のオロチのステータスの足元にも及ばない。
レベル差とは、時として残酷なほど明確に表れるのである。
「さぁ来い」
オロチの口からそんな短い言葉が発せられた。
そしてそれと同時に、少しだけ殺気を乗せて魔力を放つ。
それだけでも、クレマンティーヌは身体に重りを付けられたように動き難くなる。
「はああぁぁぁあああ!」
自分の中にある恐怖心を打ち消すため、雄叫びを上げながら全力で突っ込んできた。
「格上相手に正面から挑む奴があるか」
オロチは前から一直線で向かってくる彼女に対して、吐き捨てるようにそう言った。
自分よりもはるかに強い者と戦う時、一番してはいけないことが正々堂々と戦うことだ。
地力で劣っているのに、何も策を講じなければ負けるに決まっている。
いくら恐怖で冷静さを欠いているとはいえ……いや、欠いているからこそ考えることを止めてはいけないのだ。
しかし、オロチの予想はいい意味で裏切られることになる。
「疾風走破」
クレマンティーヌが新たに武技を発動し、高速で動いていた彼女の速度がそこからもう一段階上昇した。
それによって一気に加速した彼女は、そのまま気配をできる限り消す。
そしてオロチの背後へと回り込んだのである。
もしもこの場に他の人間がいれば、クレマンティーヌの姿が突然掻き消えたように見えたかもしれない。
実際、オロチの目から見てもよく練られている戦術に感じられた。
「ほぅ? 少しは考えたじゃないか」
死角であるはずの背後からの鋭い突き。
だが、クレマンティーヌが渾身の力を込めたその一撃は、そんな声と共にあっさりと躱された。
「ふぎゃっ!」
そして、彼女は勢い余って盛大に転がっていく。
気がつけばクレマンティーヌは空を見上げて倒れていた。まだオレンジ色に染まっている朝日が、妙に綺麗に見える。
「俺に刀を抜かせれば一人前だな。今のままじゃ何年かかるか分からないけど」
「……朝の稽古にしてはキツすぎない?」
「今からビーストマンを狩りに行くんだから、準備運動くらいはしておいた方が良いだろう? それから……ほれ」
オロチはアイテムストレージの中から腕輪型のアイテムを取り出し、それをクレマンティーヌに放り投げた。
「これなぁに?」
「経験値補正……では分からないか。まあとにかく、ビーストマンを倒す間はそれを着けとけ。そこそこ強くなれるから。お前もハムスケも、まだ小突いたら死んじゃいそうなくらい弱いからな」
もしもオロチ以外からそんなことを言われれば、彼女は間違いなく烈火の如く怒り狂っていただろう。
だが、未だに足元にも及ばない……それどころか影すら見えないオロチから言われてしまえば、むしろ自分を心配してくれているという幸福感すら湧いてくるのだから不思議なものだ。
そしてオロチが渡した腕輪は、ブレインに渡した木刀と同じような効果を持っている装備アイテムである。
もっとも、武器ではない分こちらの方が使い勝手が良いのだが。
「お疲れ様でした。こちらをどうぞ」
「おお、サンキュ」
ちょうど喉が渇いていたところに、見計らっていたかのようなタイミングでナーベラルがドリンクを持ってきた。
ナザリックで作られているそのスポーツドリンクを飲み干し、一息つく。
スポーツドリンク特有の甘さが体に染み渡り、朝稽古したというのもあって爽快な気分になる。
「ほら、駄猫。お前にも持ってきたのだから感謝しなさい」
「わーい、ありがとー!」
倒れていたクレマンティーヌは本当に猫のような俊敏さで飛び起き、ナーベラルからドリンクを受け取って美味しそうに飲み始めた。
ちなみに、このスポーツドリンクはアインズが開発したもので、疲労回復効果もあるという無駄に高性能な品物だ。
味も前世では一般的だった飲料水の味を完全に再現している。
「そういえば、さっき来ていた冒険者組合からの使者は何て言っていたんだ?」
「昨日の勝負についての詳細が書かれている依頼書を持ってきました。組合の刻印が入っているので、おそらく本物かと」
そう言ってナーベラルは、綺麗な封筒に入った一枚の依頼書を差し出した。
「どれどれ……」
その依頼書に書かれていた内容は、概ね昨日オロチが提案したことと相違ない。
・討伐証明としてビーストマンの尻尾を期日までに組合に提出すること。
・尻尾一本につき、銀貨10枚を報酬として支払う。
・そしてより多くの尻尾を納品したチームには、追加報酬として金貨10枚を支払う。
・期限は本日より3日後、それよりも後に納品しても今回の達成数にはカウントしない。
・なお、納品は竜王国の冒険者組合であればどこの街にある支部でも可能である。
簡単に纏めればそういったことが書かれてあった。
「ってことはもう勝負は始まっているのか。じゃあ朝飯食ったら早速出発するとしよう」
「どこでビーストマン狩りをするの? やっぱり今落とされそうな都市?」
ビーストマンの侵攻で、既に竜王国の3つの都市が落とされている。そして今にも落とされそうなギリギリの都市が複数あった。
普通に考えれば侵攻が激しい箇所にビーストマンが多くいるので、討伐数を競い合っている今、自分達が向かうべきはそういった激戦区だとクレマンティーヌは考えたのである。
だがしかし、どこの戦場よりもビーストマンが大勢いるであろう場所がひとつだけあった。
「そりゃ――ビーストマンの本拠地に決まっているだろ?」
オロチはニヤリと笑って見せた。
それに反比例するように、クレマンティーヌの顔が盛大に引きつった。