朧と小南による模擬戦は夜の深い時間まで行われていた。
白熱した戦闘は二人から時間の感覚を奪い去り、日付が変わったことにさえも気づかず、完全にやめ時を見失っていたのである。
しかし、そんなあまりにも長く戦闘を続けている二人に対して、年長者であるユリが強制的に模擬戦を終了させた。
それにより、無事に朝まで訓練という徹夜コースは回避されたのだ。
あの時ユリが止めていなければ、冗談ではなく朝まで戦い続けていたかもしれない。
人並み外れた体力の持ち主である朧と小南は最後まで元気だったが、半ば強制的に付き合わされていたオペレーターの栞は、二人を止めてくれたユリに泣いて感謝したという。
「へぇ、それじゃあ小南先輩は一番強い時の朧に勝ったんですね。すごいじゃないですか。俺も小南先輩の訓練に付き合わされてましたけど、上手くいくかは五分五分くらいだと思っていたので一安心です」
そしてその翌日、モジャモジャのイケメンと呼ばれている『とりまる』こと烏丸 京介が、朝食としてユリが用意したサンドイッチを食べながら、驚いた様子でそう言った。
ちなみに、モジャモジャというのは天然パーマのような京介の髪型からついたあだ名である。
「そうなんだけど、当の本人はあまり嬉しそうじゃないのよ。そのあとに結局一勝しかできなかったとかでね。その後もなんだかんだで栞ちゃんが夜中まで訓練に付き合わされてたわ」
「俺からしたら朧に勝つだけでも十分に凄いんですけど。この前のランク戦だって、朧とユリさんの二人で他の隊を相手に無双していたじゃないですか。それで本部は今、空前の二丁拳銃ブームらしいですよ」
「あらま、朧くんの戦い方はとてもじゃないけど普通の人には真似できないのに……」
ユリは複雑そうな表情を浮かべてそう言った。
パートナーである朧が注目されるのは素直に嬉しいが、非常に高度な技術が盛り込まれている彼の戦い方を真似するというのは頂けなかった。
たしかに朧の戦闘スタイルには浪漫がある。
高機動で敵を翻弄しつつ、圧倒的な高火力で殲滅していく様は観ているだけでも気持ちが良いものだ。
それに憧れるというのも分からない話ではない。
何よりも二丁拳銃という見た目には華があった。
ボーダー隊員はトリオン能力の関係上、中高生や大学生といった若い世代の人材がほとんどだ。
故に朧の戦い方は多くのボーダー隊員に衝撃を与え、良くも悪くも少なくない影響を彼らに与えているのである。
しかし、ユリが言ったようにそれは朧だからこそ成し得るスタイルだ。
強くなるために他人の戦い方を真似するというのも一つの手ではあるが、こと朧に関してだけはそれに当てはまらない。
歯に衣着せぬ言い方をすれば、朧の真似をするのは隊員たちにとって悪影響でしかないのだ。
「流石に上位の人たちに真似をしようとする人は居ませんでしたね。朧が涼しい顔でどれだけのことをやっているのか、何となく察しているんでしょう」
「それは良かった……というべきでしょうね。ボーダーには癖のある人たちが集まりがちだから、面白そうだからって真似する人が居そうだわ」
「あはは……」
ユリがそう言うと、京介も思い当たる節があったのか曖昧な笑みを返した。
京介も最近まで本部の所属だったため、本部にどういった隊員がいるのか分かっているのだ。
その上で、ユリが言った言葉を否定できなかったのである。
「ユリさん、ただ今戻りました!」
「ただいま」
すると、そんな二人分の声がリビングに聞こえてきた。
一方は張りのある元気な声で、もう一方はあまり抑揚のない声だ。
ユリと京介がそちらに視線を向ければ、そこにいたのは木崎隊隊長木崎 レイジ、そしてその後ろには朧の姿がある。
どちらもトレーニング用のジャージを着ており、日課のランニングを済ませてきたのだと見て取れた。
レイジの方は服の上からでもわかるほどに盛り上がった筋肉を身にまとっており、栞からは『落ち着いた筋肉』と評されるほどの肉体をしている。
そんなレイジと並ぶと、華奢な体格をしている朧の身体がより一層小さく見えた。
「あら、お帰りなさい二人とも。朝食ができているから早めに食べてね」
「ありがとうございます!」
「ありがと」
それぞれが定位置の席に腰かけ、ユリが用意したサンドイッチを頬張る。
特にレイジはそのサンドイッチを幸せそうに食べていた、
「いつもより帰ってくるのが早いみたいですけど、何かあったんですか?」
二人よりも早く食事を食べ終わった京介が、そんな疑問を口にした。
早朝のランニングといっても、それは決して軽いものではない。
以前、京介は好奇心からレイジと朧の早朝ランニングに参加したが、開始5分で早くも後悔したというのは記憶に新しく、二度と参加はしないと心に決めたほど辛いものだった。
ただそれだけに、この体力お化けの二人がこうも早く切り上げてきたことに疑問を抱いたのである。
京介の疑問にレイジが答えるより早く、朧の方が口を開いた。
「レイジが早くユリの朝食を食べたいからって、いつもよりランニングのペースを――」
「はははっ、何を言っているんだ朧。お前が急かすからペースを上げたんじゃないか。なっ?」
「……そういえばそうだったかもね」
人の機微に疎い朧であっても、思わずそう頷いてしまうだけの圧力をレイジから感じ取った。
それを見た京介は全てを察し、大変だな、と苦笑を浮かべる。
「小南先輩も宇佐美先輩もまだ寝ているみたいなので、二人が起きてくるまでは個人練習ですね」
「ああ、そうだな。それにもうすぐ今回最後のランク戦だ。俺たち木崎隊もユリさんと朧の六道隊も、このままいけばA級への挑戦権が得られるはず。油断せずに行こう」
B級隊員のランク戦で上位2チームに入ることができれば、A級への挑戦権を獲得できるという仕組みになっている。
そして今、六道隊はB級3位であり、木崎隊は2位という順位だ。
各々が十分にA級を目指せる場所にいる。
「一緒に頑張ろうね、朧くん」
「ほーはいした」
夢中でサンドイッチを食べていた朧が、口いっぱいに詰め込んだまま返事をする。
朧にはA級に上がりたい理由というのは特に無い。
だが、唯一のチームメイトであるユリが頑張ろうと言っているのだ。
負けられないし、負けるつもりはなかった。