玉狛支部には強化人間がいるらしい。9

「流石に疲れた……」

 ロビーの椅子に深く腰掛け、背もたれにぐったりと寄りかかりながら朧はそう呟いた。
 いくら人並み外れた体力を持つ朧と言えども、A級隊員たちを相手に連戦するのは骨が折れたらしく、珍しいことに濃い疲労の色を表に出している。

 相も変わらず顔の表情は死んでいるが、どことなくいつもより元気がないように見えた。
 ……もっとも、朝から昼休憩の時以外ぶっ続けで戦闘を繰り返していれば、そうなることは必然であったのだが。

「お疲れ様。よく頑張ったね、朧くん」

 ユリはそう言って、朧がよく好んで飲んでいるカフェオレを差し出した。

 すぐに彼女に軽く礼を言い、紙パックに入った中身をゴクゴクと飲んでいく。
 そして朧のすぐ傍には高カロリーなチョコレートも用意されており、時折栄養を補給するためにそれを摘んでいた。
 こうしてカロリーを補給することで、脳に糖分を送ると同時に直感の働きを回復させているのだ。

 しばらく飲み食いしていると、朧の顔に元気が戻ってくる。

「そっちもお疲れ。最初から最後まで、いつも通りの最高のバックアップだった」

「フフッ、そう? ありがとう。そう言ってもらえると私もサポートのやり甲斐があるわ」

「オペレーターがユリじゃなかったら、今日の戦闘はまともに戦えなかったよ。さすがにA級ともなると即席でも十分強い。……ま、それでもレイジたちの隊はもっと強いけど」

「いや、レイジくん達と比べちゃダメよ。あそこは京介くん以外、元々トップクラスのボーダー隊員だし、その京介くんだって今はA級隊員並みの実力があるんだから。実質、あそこはもうボーダー最強の部隊よ」

 ユリの言っていることは正しい。
 元々レイジと小南は、玉狛支部のメンバーである迅 悠一という男が隊長をしている隊に所属していた。
 だが隊長であった迅がS級隊員に昇格した為に解散せざるを得なくなり、新たにレイジを隊長とする木崎隊を結成したのである。

 故にレイジたち木崎隊は既にA級の実力を有しており、そんな彼らと即席チームを比較するのはおかしな話なのだ。

「それじゃあ早速、今日の戦闘の反省会をしよっか」

「…………本気か?」

 ユリの突然の言葉を聞いた朧は僅かに、本当に僅かに眉をひそめた。

 いくらカロリーを摂取してある程度回復したとはいえ、まだ身体は本調子には程遠いのだ。
 そんな状態で行う反省会など、どれだけ屈強な精神を持っていたとしても地獄以外の何ものでもないだろう。

 しかし、他ならぬユリがそう言うのであれば、朧に断るという選択肢は存在しない。
 これがもし他のボーダー隊員であれば、朧はそれを無視するくらいには自由な性格をしているが、それが唯一できない相手がユリである。

 苦渋の選択ではあったが、朧は疲れ切った身体に鞭を入れる覚悟を決めた。

「――と、言いたいところだけど、それは明日にしましょう。このままやっても途中で寝ちゃいそうだし」

 だが、ユリはいたずらっぽい笑みを浮かべて微笑み、そう言った。
 どうやら先ほどの彼女の言葉は冗談だったらしい。
 揶揄われた怒りよりも、朧は冗談だったことに安堵した。

「なんだ、冗談か。……でも助かる。このまま反省会なんてしても、ほとんど集中できないだろうから」

「フフ、それじゃあ私はさっきの戦闘データを纏めておくから、朧くんは少し休んでいて。30分くらいで終わると思うわ。その後で、ご飯でも食べに行こ?」

 既に時刻は18時を回っており、飯時にはちょうど良い時間となっている。
 疲労で空腹感を感じていなかったが、一度それを感じてしまうと途端に自分の身体が空腹を訴えてきた。

「もうそんな時間か。うん、わかった。じゃあこれ以上は何も食べずに待ってるよ」

 朧は手に持っていたチョコレートをそっとテーブルに置いた。

 正直に言えばまだまだ食べ足りないくらいだったが、今満足出来るだけの量を食べてしまってはこの後の食事を楽しめない。
 そう判断してチョコレートを食べる手を止める。

「良い心がけね。ご飯の前にお菓子は食べない、以前小南に言われたことを覚えているのかしら?」

「そんなんじゃない。ただ、ご飯は美味しく食べたいってだけだ」

「ふーん。ま、そういうことにしておきましょ」

 何でもお見通し、ユリはそんな表情だった。
 そして朧が何か言おうとする前に、ノートPCを起動させてカタカタと何かを打ち込み始めた。
 おそらく戦闘データの整理をしているのだろう。

 下手に手伝おうとしても足手まといにしかならない為、朧は大人しくタブレット端末で今日の戦闘の映像を確認しておくことにした。

「おーっす、お二人さん。かなりハードな一日だったが、無事か?」

 タブレットを起動してから数分、朧の耳にそんな声が聞こえてくる。
 声のした方に顔を向けると、そこに立っていたのは先ほどまで戦っていた相手である太刀川だった。
 彼の後ろには部下の出水もいるようで、朧の視線に気付くと軽く腕を上げて挨拶してきた。

「太刀川と出水か。……言っておくけど、今日はもうこれ以上は戦わないからな? 今はユリも忙しいし」

 太刀川はボーダー屈指の戦闘狂であり、相手の都合などお構いなしに勝負を挑むことが多々ある。
 これから勝負をしようなどと言われるのではないか、朧がそう思って身構えてしまうのも無理はない。

「おいおい、朧は一体俺のことをなんだと思っているんだよ。流石の俺も今日はもう疲れちまった。だから今からもう一戦……なんてことは言わないよ」

「太刀川さんなら言いかねませんて。朧が心配するのも無理ないですよ」

 部下である出水からもそう言われると、味方が一人もいない太刀川は肩を竦める。

「なら何をしに来た?」

「一緒に飯でもどうかと思って、お前とユリさんを誘いに来たんだよ」

 太刀川がそう言うと、朧はようやく警戒を解いた。
 逆に言えば、ここまで言われないと勘繰ってしまうようなタチが悪い相手とも言える。

「あぁ、それならちょうど――」

「探したぞ、太刀川」

 朧が答える前に、そんな鋭い声がロビーに響いた。

「げっ! 風間さん!? ど、どうして風間さんがここに?」

 新たに現れた人物の名前は風間 蒼也。
 体格はかなり小柄だが、その実力は折り紙つきのボーダー隊員だ。
 そんな風間だが、今は眉間に皺を寄せ、明らかに怒っていることが見て取れる。

「お前は大学に入学して早々、レポートを誰かにやらせているらしいな? 今日はお前が自力でレポートを書き上げるまで何処にも逃さん。さっさと来い」

「えっ、ちょっ――」

 風間は太刀川の首根っこを鷲掴みし、どこかに連行して行った。

「あー、連れていかれちゃったか。こりゃ飯はまた今度だな。悪いな朧。押し掛けておいてなんだが、今日は大人しく帰るよ。また今度、太刀川さんに奢ってもらおうぜ」

「あ、あぁ。でも助けなくて良かったのか?」

「まったく問題なし!」

 朧は少しだけ太刀川に同情した。

 

   

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