朧とユリが街で楽しく食事をしている頃、ボーダー本部では幹部たちによる会議が執り行われていた。
議題に上がっているのはとあるボーダー隊員についてだ。
会議室にはほぼ全ての上層部のメンバーが勢揃いしており、設置されている大型のモニターには小柄な少年が複数人を相手に大立ち回りをしている様子が映し出されている。
その映像は紛れもなく、本日行われた朧の戦闘訓練の一部始終であった。
「――それで模擬戦の結果はどうなった?」
「全部で3回行われたようですが、彼が撃破判定を受けたのは太刀川隊長からの一度だけでした。その上、他のA級隊員を撃破した数は独創状態で、チームとしての成績も全ての試合でトップの結果です」
その報告を聞いたボーダー本部総司令官である城戸 政宗は、短く『そうか』とだけ告げて目を瞑る。
彼は普段から中々感情を表には出さず、何を考えているかを読み解くのは至難の業だ。
当然今もその険しい表情から読み取れるものは何もなかった。
そしてボーダーのトップである城戸が黙り込むと、この場の空気がより一層重いものとなる。
「……複雑だな。彼がここまで活躍しているのは喜ばしいが、それがあの忌々しい研究の産物かと思うと素直に賞賛できない。無論、六道少年に落ち度は全くないのだが」
そう言ったのはボーダー本部本部長である忍田 真史である。
城戸に負けず劣らず険しい表情で、ジッと朧の戦闘記録映像を見つめていた。
一際正義感の強い彼だからこそ、朧の過去が脳裏を過ってしまうのかもしれない。
「皆さん、六道 朧はある意味ボーダーにとっての爆弾ですよ? 確かに飛び抜けた戦力にはなるでしょう。それこそ彼単独でブラックトリガー並みの強さを持っているかもしれない。だが、もし彼の過去が世間に発覚すれば確実に世論が騒ぎ出すでしょうね。現に噂程度とはいえ、隊員たちの間で彼が強化人間なんていう話が広まって――」
「根付さん、アンタは何が言いたいんだ? その言い方だと朧をどうにかするっていうように聞こえるんだが?」
朧が所属している玉狛支部の支部長である林藤が、根付という中年の男の言葉を遮って睨みつける。
普段はのらりくらりとしている温厚な性格の林藤だけに、そんな彼から怒気を向けられた根付は多少たじろいだ。
「……あくまでも仮定の話ですよ。私はそういう選択肢もありますよ、という事を示しただけです。そう感情的にならないでください、林藤支部長」
「朧はまだ子供だ。ウチで預かり始めた頃は機械みたいで感情の起伏が薄いヤツだったが、今はしっかりと自分の意思を持っている。もしもボーダーが非人道的な行いを朧にするっていうのなら、当然俺は全力で逆らわせてもらう。たとえここにいるヤツらち敵対する事になっても、な」
一触即発、とまではいかないまでも険悪な雰囲気なのは間違いない。
この場にいる者たちは朧の経歴を知っているだけに、その扱いは慎重にならざる得ないのだ。
先ほど反感を買うような言動をした根付にしても、本心からボーダーの為を思っての発言である。
だが、そうと分かっていても林藤は根付の発言が見過ごせなかった。
朧の一番身近にいる大人として、見過ごしてはいけないという想いが林藤にはあったのだ。
そんな彼だからこそ、朧も林藤には心を開いているのかもしれない。
そして、今まで固く閉じていた城戸の口がようやく開く。
「六道 朧には今後も玉狛支部でボーダー隊員として活動してもらう。ただ――9月から中学に入学させろ。場所は林藤に任せる」
「朧を学校に……?」
突然朧を学校に通わせると言い出した城戸に、林藤どころか他の幹部たちも意図を掴めず困惑した表情を浮かべた。
「六道隊員がボーダーの戦力になるのは間違いない。だが、今の彼は人としての倫理観が著しく欠如しているようだ。学校では勉学というよりも道徳を学んでもらう。林藤支部長、それならば文句はないだろう?」
「ええ、それはもちろんだが……良いのか? あいつには戸籍も何も無いし、いきなり学校に編入させるとなると色々問題があるんじゃ……」
「戸籍はこの機会に用意しよう。少し早いが、A級昇格祝いにちょうど良いだろう。唐沢、この件はお前に任せる。できるか?」
どうやら城戸は朧の戦闘映像を見て、彼がA級に昇格する事を半ば確信しているようだ。
そして、唐沢と呼ばれた男は落ち着いた態度で城戸の問いかけに答えた。
「ええ、そのくらいなら大丈夫ですよ。未来の英雄君のために一肌脱ぐとしましょう」
唐沢 克己は外部との交渉を一手に引き受ける凄腕のネゴシエーターである。
組織が活動する上で一番大切な資金を、ありとあらゆる場所から引っ張ってくるボーダーには欠かせない人材のひとりだ。
今回の朧の戸籍についても、彼ならば容易に成し得る事ができるだろう。
城戸は次に先ほど林藤と一悶着あった根付の方に視線を向ける。
「それから根付室長、六道隊員の過去を示す証拠はもう残っていない。あの忌々しい研究をしていた男は既になく、その研究所も完膚なきまでに叩き潰したのだからな。それにもしあれが世間に発覚したとしても、お前なら容易に世論を操作できるだろう?」
「どうでしょう。実際にやってみないことには何とも言えませんね」
そんな言葉とは裏腹に、根付の顔には確固たる自信があるように見えた。
根付はボーダーのメディア対策室のトップであり、軍事組織であるボーダーに対する批判を最小限に抑えているのだ。
三門市が全面的にボーダーを歓迎しているのも、彼の広報活動の賜物である他ない。
そんな男からしたら世論の印象操作など朝飯前なのである。
……とはいえ、流石に林藤があそこまで怒りを露わにするとは思っていなかったのだが。
「いざとなれば、六道隊員には悲劇の少年として表舞台に立ってもらう。それならば間違ってもボーダーに避難の目は向けられないだろうからな」
林藤の眉がピクリと反応したが、ここで口を挟んでも良い方に転がることは無いだろうと判断して口を噤んだ。
この件に関して林藤寄りの考えを持っている忍田も同様であった。
「六道 朧隊員についてまだ異議のある者は? ……いないようだな。では今日の会議はここまでだ」
こうして六道 朧本人の意思とは関係ないところで、彼の少し遅い中学入学が決まったのだった。