玉狛支部には強化人間がいるらしい。12

「……俺が中学に入学する?」

 朧の戸惑いを孕んだ声がリビングに響いた。

 本部で戦闘訓練をした翌日、朧が朝食を食べていると珍しく朝の時間に居合わせていた林藤に、突然自分が中学に入学することを告げられたのだ。
 あまりに突拍子もないカミングアウトであり、これで驚くなという方が難しいだろう。
 特定の人物以外との会話がほとんど無い朧であれば尚更である。

 しかし、林藤はそんな朧を気にした様子もなく話を続けた。

「ああ、そうだ。今から5ヶ月後の9月から、お前は三門市立第三中学校の一年生に編入する事になった。その前にしっかりと準備をしておけよ?」

 さも当たり前のように言ってくる支部長の林藤に対し、朧のシルバーグレイの瞳が不安げに揺れていた。

 そんな重要なことをあっさりと言われても困る。
 朧からすればようやく今のボーダーでの生活が慣れてきたところだったのに、数ヶ月後には学校に入学しなければならないというのは、嬉しさよりも戸惑いの方が強かった。

「俺が学校か……想像できないな」

 一度自分が普通の学生として学校に通っている姿を想像してみたが、そんな光景は微塵も浮かび上がってこなかった。
 むしろ人間関係では確実にトラブルになるだろうと、変な確信を抱いてしまう始末だ。

 それで学校に入学するなんて不安しかない。

 最近はユリやレイジが教師役となって勉強を教わっているが、それまでの朧はペンを持っている時間よりも銃を握っている時間の方がはるかに長かった。
 そんな自分が学校に通っている姿など、想像できなくても無理はないだろう。

「朧が学校に通い始めるのが9月からだから、それまでに制服とか教科書とかを準備しないとダメだ。ユリ、悪いがこいつの面倒を見てやってくれ」

「それはいいんだけど、なんで急に朧くんを学校に通わせることになったの?」

「六道隊のA級昇格祝いだとよ。少し早いが、六道隊なら今期のランク戦で昇格するだろうって判断されたみたいだぞ。だから絶対に昇格してくれ」

「……ふーん、そうなんだ」

 林藤の答えにどこか納得のいかないものを感じながらも、ユリがそれをこの場で追及する事はなかった。

 朧が学校に通う事自体に否はない。
 この件に関して何らかの裏事情がボーダーにあろうとも、学校に通うというのは間違いなく朧の為になるだろうと思ったのだ。

 そして、それは小南も同じであった。

「いいじゃない。あんたの歳はみんな学校に行っているんだし、通えるんなら通っておけば。それに案外、慣れれば楽しいもんよ」

「そう言われてもな。勉強だってユリやレイジに教えてもらっているだけだから、他の人に付いていける自信もないし」

 あまり乗り気ではない朧に、今度はユリが後押しする。

「あ、少なくとも勉強に関しては心配いらないよ。朧くんは記憶力が良いからどんどん難しいことを教えていて、今でも中学卒業くらいの学力はあるはずだもの。ね、レイジくん」

「はい、そうですねユリさん。朧は記憶力と理解力がかなり良いですから、教えた事をすぐに覚えていました。中学レベルの勉強なら全く問題ないと思います!」

 レイジはユリに憧れを抱いているらしいので、突然話を振られると元気よくそう答えた。

「うんうん、だから朧くんは気楽に楽しむくらいの気持ちで良いと思うよ」

「それなら、まぁ……」

 出会う人全員と仲良くなれと言われれば無理だと即答するが、そのくらい気楽な気持ちで良いのなら頑張ってみようかとギリギリ思える。
 それに、実は勉強自体はそれほど嫌いではないのだ。

 新しい知識を取り入れている気がして、むしろ好きなくらいであった。

「あれ? でも小南って外では猫被っているじゃなかったっけ? お嬢様学校だから、周りにはお淑やかな女子しか居ないとかで」

「ちょっ! 別にそれは関係ないでしょう!?」

 まだどこか学校を敬遠している朧に小南がフォローを入れるが、思わずツッコミを入れてしまった栞の一言で台無しになってしまう。
 ただ、あまりにも慌てて言い訳をする小南を見て、朧は小南が猫を被っていることの方が気になった。

「猫?」

「え? ま、まぁこれはあたしなりの処世術よ! 周囲との軋轢を生まない為に仕方なく優等生を演じているの、大人だからね!」

 えっへん、と小南は胸を張る。
 素材が良いだけに、黙っていれば確かに大人の女性にも十分見えるだろう。
 それこそ決してユリにも引けを取らないくらいだ。

「そっか、小南は大人で優等生なんだな。でも……口元にご飯粒が付いてるよ?」

 朧がそう指摘すると、皆の視線が小南の口元に集中する。
 するとバッと高速で口元を拭い、何事もなかったように澄ました表情をする小南。
 だが、恥ずかしさですっかり赤く染まってしまった顔までは誤魔化すことが出来なかった。

「……くっくっく」

「ふんっ!」

 隣で肩を震わせていたレイジの足を、小南が勢いよく踏み抜いた。
 そしてどうやらその一撃はかなり強いものだったらしく、レイジの口から苦悶の声がこぼれる。

「ぐっ! ……おい小南、俺が悪かったから足を退けてくれ」

 不機嫌そうな顔は変わらずだったが、素直に足を退けてドカッと椅子に座り直す。

 そんな見慣れた光景に林藤も笑みを浮かべた。

「はっはっは、お前らは相変わらずだな。あぁそれと、もうすぐ陽太郎がここに帰ってくる。みんな、あいつの面倒もよろしく頼むな」

 林藤 陽太郎、名前で分かる通り林藤支部長やユリの血縁者だ。
 まだ三歳児ではあるのだが、優れたトリオン能力を持っている将来有望な未来のボーダー隊員である。

「先輩が帰ってくるのか。それは楽しみだな」

 今日も玉狛支部は平和である。

 

   

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