うっすらと外が明るくなってきた頃、まだ多くの人が眠りについているであろう早朝の時間帯に朧は目を覚ました。
時計を見てみれば時刻は午前5時ジャストを示している。
眠気がまだ少し残っているのか、大きな欠伸をこぼし、それから少しだけ間を置いてベッドを抜け出した。
そのまま眠気を覚ます為に洗面所に行って顔を洗い、再び自分の部屋に戻ってから黒色のトレーニングウェアに着替え始める。
ちなみに、このトレーニングウェアはレイジから最近プレゼントしてもらった物だ。
毎朝自分のトレーニングに付き合う朧の為に、自身も使っているメーカーの物をレイジが数着用意してくれたのである。
張り切ってそのウェアに着替えてリビングに向かおうとする朧。
今日もこれからレイジと一緒に早朝のランニングだ。
しかし、テーブルの上にある小さなカレンダーで日付を確認してしまい、朧はひどく憂鬱な気分となってため息を吐いた。
何故なら今日の日付は9月1日、朧が学校に通い始める日である。
遂にこの日が来てしまった。
聞かされていた時からずっと、この日が来るのがとても嫌だった。
人が大勢いる場所に出かけるのでさえ身体が拒否するのに、毎日学校へ通わなければならないなど拷問にも等しい行為である。
楽しい気持ちになんてなる筈がない。
「……はぁ、学校なんて行きたくない。いっそ学校なんて無くなってしまえば良いのに」
そんな半分くらいは冗談な言葉を呟きながら、部屋を出てリビングへと向かう。
そこでバナナを一本だけ胃袋に収めて、冷蔵庫に入っているミネラルウォーターをコップ一杯分飲み干した。
朝食はまた別に食べるが、これはランニング前の栄養補給だ。
レイジ曰く、この少しの栄養補給が大事らしい。
すると、食べ終えたところでタイミングよくトレーニング用のジャージを着たレイジがやってきた。
「おはよう。準備はできたか?」
「うん、できたよ。今すぐにでも走りに行ける」
「違う、そっちじゃなくて学校に行く準備だ。確か今日からだっただろう? お前が中学校に編入するのは」
「むぅ……」
不本意ながら、昨日妙に気合が入ったユリと小南が準備を手伝ってくれていたので、心の準備以外の用意はバッチリだった。
肝心な心の方が全くと言っていいほど準備が出来ていないが、物的な問題はユリと小南のおかげで皆無である。
「一応行く準備はできているけど……本当に行かなきゃ駄目か? 勉強なら玉狛のみんなに教えてもらえれば十分だし、どうせならここで勉強した方が良いと思う。だから、学校に行く意味がよくわからない」
「お前にはユリさんから与えられた、一人でもいいから友達を連れてくるっていうミッションがあるだろう? いい機会なんだから、同世代の知り合いを作っておけよ。きっと楽しいと思うぞ」
「……俺は玉狛にいる人たちだけで十分だよ」
「ははっ、そう言ってもらえると嬉しいけどな。ま、気軽にやってみることだ。何事もやってみる前から無理だと決めつけるのは良くない。きっとお前は大丈夫だ」
「………………そこまで言うなら、やってみる」
そこまでレイジに言い切られると、朧としても出来ないとは言えない。
信じてくれる彼を失望させたくはないのだ。
故に不承不承ながらも学校に行く決心をした。
「どうせ初日なんて半日くらいで終わるさ。心配しなくても、ただ座って先生の話を聞いていればすぐだろう。俺も今日は大学の授業がないから、学校から帰ってきたら久しぶりに飯でも食べに行くか?」
「行く。速攻で帰ってくるから待ってて」
「いやいや、そこはゆっくりしてこいよ」
今までの葛藤は一体なんだったのか。
それならば初めから食べ物で釣った方が良かっただろうと、レイジは呆れ半分安心半分という複雑な気持ちを抱いた。
そんなこんなで朧を何とかやる気にさせ、二人は外に出て日課のランニングを開始する。
早朝に行うにしてはかなりハードなペースで走り始めるが、朧とレイジは終始ほとんど息を乱さずにランニングを続けていた。
日頃のトレーニングの賜物だろう。
トリオン体では息切れすることはないので、意外にもボーダー隊員は生身でトレーニングをする者は限りなく少ない。
その中でもこの二人はダントツで生身の肉体を鍛え上げていた。
いつか朧もレイジと同様に、『~な筋肉』と呼ばれる日が来るかもしれない。
そうして朝のランニングを終えて玉狛支部に戻ってくると、キッチンでちょうどユリが朝食を作ってくれているところだった。
「あら、お帰りなさい二人とも」
「ただいま戻りました!」
「うん、ただいま」
「順番でシャワーを浴びてきたら? 特に朧くんはこれから学校なんだし、汗くさいと思われるのは嫌でしょ?」
「じゃあ朧、先に浴びてきていいぞ。俺はもう少し部屋で筋トレしたいから、あとでシャワーを浴びる」
「わかった」
朧は部屋に戻ってバスタオルと中学校の制服を用意する。
いまは夏場なのでカッターシャツとネクタイ、それからズボンだけだ。
それらを持って風呂場にいき、パパッとシャワーを浴びてすぐにリビングに戻った。
そしてユリが作ってくれていた朝食を食べ始める。
だがユリやレイジと朝の何気ない会話をしていると、あっという間に学校へ行く時間がやってきてしまった。
「朧くん大丈夫? 学校までの行き方はちゃんと覚えてる?」
「覚えてるから大丈夫。でも、もしも迷ったらラッキーだね」
「……ちゃんと行くのよ?」
「わかってる。レイジと約束したから、とりあえずは行ってみる」
でも、本当に迷ってしまったら仕方ないと、朧は心の中で密かにそう付け加えた。
「……あっさり着いてしまったな」
しかし記憶力がズバ抜けている朧は、残念ながら結局ただの一度も道に迷うことなく、予定通りの時間に目的地である『三門市立第三中学校』に到着してしまったのだった。