朧は無事に学校に到着した……いや、してしまった。
途中で道に迷うことを期待してみたり、人助けをして時間を稼いだりしていたのだが、そんな淡い希望は儚く散ったのだ。
こうして学校に着いてしまった以上、もう諦めて腹をくくるしかないだろう。
(はぁ……とりあえずユリやレイジと約束したし、ちょっとだけ頑張ってみようか)
そう気持ちを切り替え、校門を跨いで学校の敷地に足を踏み入れる。
まずは職員室という場所に行かなければならないのだが、当然それがどこにあるのかなど初めてここに来た朧が知るはずもない。
キョロキョロと周囲を見渡してみるが、生徒たちは誰も彼もが忙しなく動いており、引き止めて尋ねることは出来そうもなかった。
むぅ……と唸りながらも、めげずに手の空いていそうな人を探す朧。
親切そうな教員が通り掛かればベストなのだが、生憎と行き交うのは生徒の姿しかない。
すると、ちょうど近くを女子生徒が通りかかったので、とりあえず彼女に声をかけてみる事にした。
「ねぇ君、職員室ってどこ?」
「えと、職員室はあっちにあるけど……もしよかったら案内しようか?」
朧の瞳が僅かに見開かれる。
同世代くらいの子供と話せば、大抵は怖がらせてしまうだけで終わるので、まさか一人目で怯えずに受け答えしてくれるとは思わなかったのだ。
多少なりとも怯えられることを覚悟していただけに、目の前の少女の反応は予想のはるか斜め上を行っていた。
「……俺の目、怖くないの?」
朧の言葉を聞いた少女はポカンと口を開け、その後に優しげな笑みを浮かべた。
「怖くないよ。だってさっき、君がお婆ちゃんを助けているところを見てたの。だから全然怖くないよ。むしろ優しくて凄い人だと思う」
情けは人の為ならずとはよく言ったものだ。
朧は道中で老婆を助けたのだが、それによってまさか自分の株が上がるとは思わなかった。
「……そっか。なら案内を頼んでもいいか? えーっと」
「わたしは雨取 千佳。よろしくね」
「俺は六道 朧だ。こちらこそよろしく頼む、千佳」
◆◆◆
千佳に案内してもらい無事に職員室にたどり着いた朧は、そのまま担任の教師だと言う男の説明を受けた。
他にも大量のプリントを渡され、保護者に見せて署名をもらって来いというミッションを受領している。
そしてそれらの説明や配布が終了すると、いよいよ朧が割り振られた教室へと行くことになった。
「六道 朧……です。よろしく……お願いします」
そう言ってペコリと軽く頭を下げると、パチパチと疎らな拍手が生徒たちから起こった。
この中途半端な時期に編入してきた朧のことにはある程度の関心があるらしく、男女問わず……主に女子生徒たちからヒソヒソとした声が上がっている。
――ねぇ、あの編入生。すっごくかっこよくない?
――ちょっと目付きは恐いけど、間違いなくイケメンよ。私、ちょっと狙ってみようかな。
朧は年齢の割に目付きが異常に鋭いのだが、そのほかのパーツは非常に整っているので騒がれるのも然程おかしくはない。
無論、基本的に年上からの受けが良いが、一部の子供や同年代からも好かれるのだ。
陽太郎が良い例だろう。
「それじゃあ六道の席は……雨取の後ろだ。雨取、すまんが学級委員として色々教えてやってくれ」
「あ、はい。わかりました」
「……千佳?」
聞き覚えのある声がした方向に視線を向けると、そこには先ほど職員室まで連れて行ってくれた少女――雨取 千佳がいた。
どうやら彼女と同じクラスらしい。
会ったばかりとはいえ、まったく知らない人ばかりではないことが分かり、朧は少しだけホッと安堵した。
千佳は窓際の後ろから二番目の席にいるので、つまり窓際の最後尾が朧の席となる。
そこだけクラスの人数的にちょうど空席になっており、必然的に朧の席がそこに決まったのだ。
自分の席に着席する途中、すれ違いざまに千佳に声を掛けた。
「さっきは助かった。ありがとう」
「同じクラスだったんだね。改めてよろしく、朧くん」
そうして会話もそこそこに朧は席へと着席した。
「よーしっ、それじゃあホームルームを始めるぞ。まず――」
そうして教師の話を聞いているだけで時間が過ぎていき、気がつけば下校の時刻となっていた。
レイジが言っていた通り、本当に座って話を聞き流しているだけで終わったので、朧はどこか肩透かしを食らった気分である。
とはいえ学校が早く終わる分には何も問題はない。
上機嫌で帰り仕度をしていると、前の席に座る千佳が声をかけてきた。
「朧くん」
「ん、どうした千佳?」
「良かったら学校の施設を案内しようか? ここの学校はそこまで大きくないけど、来たばかりだと何処に何があるか分からないよね?」
レイジには終わり次第すぐに帰ると言っておいたが、せっかくの千佳からの好意を無下にするのは駄目な気がした。
それにもしかしたら……本当にもしかしたら、彼女は自分の友達になってくれるかもしれない。
ユリからのミッションを達成する為にも、ここは千佳との時間を大切にした方が良いだろう。
「じゃあ、よろしくたの――」
「おいっ、生意気な転校生。ちょっと俺たちと一緒に来てもらうぜ?」
そんな不快な声が朧の耳に届く。
ふとそちらを向いてみれば、襟足が長めの男子生徒を先頭にして数人の生徒が朧の下に押しかけてきていた。
とてもじゃないが仲良くする為に来たとは到底思えないほどの雰囲気で、高圧的な態度を隠すどころか前面に押し出している。
白髪にシルバーグレイの瞳という容姿をしている朧は、何もせずとも目立ってしまう。
故にこうして面倒ごとに巻き込まれやすいのだろう。
ただ、あからさまに脅しに来ている彼らの行動に、正義感に溢れる女生徒の一人が声を荒げた。
「ちょっとアンタたち! 朧くんに何の用なのよ!?」
「うるせぇ! 関係ねぇ奴は黙ってろ! おら転校生、お前はさっさとついて来い」
「いやだ。なんで俺がお前の命令を聞く必要がある?」
「は? お前、この状況をわかって――」
少しだけ威圧するように睨みつける。
不快な連中。
今すぐにでも――したい。
その瞬間、大の大人でも怯んでしまいそうな鋭い視線が男子生徒を襲った。
「っ!?」
至近距離から見る朧の目付きは、中学生には少々刺激が強すぎたらしい。
取り巻きの生徒たちを引き連れて意気揚々とやってきたのだが、朧の眼光にすっかり気圧されてしまっており、最初の威勢は見る影もなくなっている。
よく見てみれば目尻には若干涙すら滲んでいた。
(なんでお前が泣くんだ? 俺に喧嘩を売りに来たんじゃなかったのか?)
突っかかってきたのはそちらだろうに、何故たったこれだけのことで泣かれなければならないのか。
朧は早くもうんざりしてしまう。
しかし、玉狛支部のみんなから決して手は出すなときつく言われているので、目の前で進路を塞
塞いでいる障害物を物理的に排除するという手段が使えない。
「用が無いなら退いてくれ。俺はこれから、千佳に学校の中を案内してもらうんだ。お前らに構っている暇は一瞬たりとも存在しない」
朧が一歩踏み出すと、それに応じて男子生徒たちも一歩後ずさる。
「……チッ。お、覚えてろ。行くぞお前ら」
そんな捨て台詞を吐き、ゾロゾロと教室から出て行く男子生徒たち。
すると、緊迫した空気が張り詰めていた教室に和やかなムードが戻ってきた。
「すっごいね朧くん! アイツらをひと睨みでビビらせるなんて何者なの!?」
聞くところによると、どうやらあの男たちは普段から粗暴な振る舞いをしており、クラスメイトからの評価はめっぽう悪いらしい。
それを睨みだけで怯ませた朧は、こうして一躍ヒーローとなったのだ。
「あの編入生、只者じゃない……!」
そして謎の編入生の噂は、お喋りなクラスメイトによって瞬く間に学校中に広がっていくのだった。