玉狛支部には強化人間がいるらしい。26

 学生の本分は勉強である。
 たとえボーダーに入隊していようがそれは変わらない。
 授業や成績に関して多少の便宜が図られることもあるが、基本的に試験などは実力で頑張らなければならないのだ。

 その点、勉強が得意な方である朧と千佳は全く問題なかった。
 朧に関してはどの教科も非常に高い水準で習熟されているし、千佳は若干の苦手科目はあるものの、全体平均をみれば決して低くないレベルである。
 なので約二週間後に控えた中間テストも、特別慌てる必要はないのだ。

 しかし、当然朧や千佳のように余裕がある生徒ばかりではない。

「うわぁーん! 朧先生、私に数学を教えてー!!」

 もう一人の友人である出穂は二人とは違い、むしろ問題しかなかった。
 今も教科書とノートを片手に朧に泣きついている。
 普段の強気な振る舞いからは想像もつかないくらいの変わり様だ。
 それだけ追い込まれているということは、つまり出穂の数学のレベルが途轍もなく低いということである。

「……以前レイジが言ってたよ。諦めが肝心なときもあるって。他の教科で頑張れば?」

「これは諦めたらヤバイやつなの! また赤点取ったらホントにヤバイの! 下手したら親からボーダーに行く暇があったら、勉強しろって言われちゃうんだよぉ……」

「でもこの前教えた時、全然理解できなくて途中で泣きそうになってた。苛めてるみたいで嫌なんだけど?」

「そこを何とかお願いします……!」

 既に半泣きになりながら迫ってくる出穂。
 とはいえ彼女の成績が悪くなり、玉狛支部に来れなくなると朧も寂しい。
 致命的な数学力である出穂をどこまで押し上げられるかは分からないが、出来る限り協力する他ないだろう。

 するとそれまで黙って聞いていた千佳が、必死に頼み込む出穂を可哀想に思ったのか助け舟を出した。

「朧くん、わたしも一緒に手伝うから出穂ちゃんに勉強教えてあげない?」

「ち、チカ子ぉ……!」

 感激した様子で今度は千佳に泣きつく出穂。
 元々協力するつもりではあったが、こうなってはもはや断ることもできない。

「……いいよ、わかった。俺も出来る限り手伝う」

「朧ぉ……うぅ、二人ともありがとう! 私、頑張るから!」

 そうして三人は放課後になると、さっそくその日から勉強会を開始した。
 生徒はもちろん出穂。
 彼女の隣にはサポートとして千佳が座っている。
 教科書とノートを開かせ、教師となった朧は淡々と授業を始める。

「今やってる範囲の数学は難しくない。だから公式さえ覚えれば絶対に解けるはずなんだ。たぶん出穂は、数学に苦手意識があるせいで解けないんだと思う」

「な、なるほど。それじゃあ私はどうすれば良いんでしょうか?」

「ただひたすらに問題を解く」

「えぇ……」

 何か近道があると思っていた出穂はがっくりと肩を落とした。
 だが、勉強に近道などない。
 コツはあるが、少なくともいま勉強している数学のレベルでは必要ないだろう。

「とりあえずここからここまで、全部解いてみて」

「お、押忍!」

 返事だけは良いなと思ったが、その元気が出穂の良さなのだろう。
 そして時折行き詰まったりはするものの、その都度少し教えればすぐに解けるようになっていく。
 やはり苦手意識が邪魔している部分があったらしい。

 ある程度進んだところで朧が席を立った。

「ちょっとトイレ行ってくる。戻るまでに全部解けてなかったり間違っていたら……削る」

「なにを!?」

「頭」

 出穂はうがぁっと叫びながら教科書と睨めっこを始めた。

 

 ◆◆◆

 

「なぁ、ちょっといいか?」

 トイレから教室に戻る途中、そんな声が聞こえてきたので振り返ると、そこには眼鏡を掛けた見覚えのない男子生徒がいた。

 朧の中で警戒度が少し上がる。
 今まで学校内で知らない相手から声を掛けられたことは何度かあったが、そのほとんどが面倒ごとを運んできているのだから朧が警戒するのも無理も当然だ。

 いつでも離脱できるように経路を一瞬で確認し、眼鏡の男子生徒に返事を返した。

「誰?」

「あ、すまん。えーと、ぼくはは千佳の知り合いで三雲 修って言うんだけど、ちょっと話してもいいか?」

「……千佳の?」

 千佳の名前が出てきたことでようやく話を聞く姿勢に変わる。
 よく見てみれば、彼からは悪意みたいなものは感じない。
 本当に彼が千佳の知り合いというのなら、無視したりせずにしっかりと話を聞く必要があった。

 それに、『三雲 修』という名前は以前に千佳の口から聞いた覚えがある。
 確かボーダーに入っている知り合いがその名前だったはず。
 眼鏡をしているという特徴もしっかりクリアしているし、恐らくは間違いないだろう。

「眼鏡、それから修……もしかしてお前がボーダーに入っているっていう『修くん』か?」

「ああ、たぶんそれはぼくだ。千佳からはそう呼ばれているし。ただ、ボーダーにはまだ入ったばかりでC級隊員だけどな」

「少しだけ千佳からお前のことを聞いた。千佳に用があるんなら呼んで来ようか? 今は教室にいるけど」

「いやいや、ぼくは君に用があるんだ。ちょっと聞きたいことがあってさ」

「聞きたいこと?」

「その……千佳のやつはうまくやっているか? ぼくにとってあいつは妹みたいなやつで、少し心配なんだ。ほら、ネイバーとの戦いは危険だろ? あんまり戦いに向いているとも思えないし、色々とあったばかりで大変だろうし」

 どうやらこの男子生徒は千佳が心配だったらしい。
 それで同じ支部に所属している朧に声をかけてきたのだろう。
 ネイバーの怖さが分かっているボーダー隊員だからこそ、自分の知り合いが入隊すると聞いて心配になったのだと思われる。

 しかし、そんな心配は不要だと朧は考える。
 ああ見えて千佳は芯の強い人物だからだ。
 実戦こそまだ経験していないが、本番になっても恐怖で動けないということはないだろう。

「千佳は意外と強いぞ。でも、そんなに気になるなら今度千佳の様子を見に来ればいい。トレーニング姿を見れば少しは安心できるんじゃないか?」

「えと、確かな玉狛支部だっけ。行っても良いのか?」

「たぶん大丈夫。けど一応確認してみるから、少し時間が欲しい」

「……それじゃあ頼む」

「了解した。ところで、『修くん』は歳上か?」

「うん? ああ、そうだけど」

「む、それはマズイ。歳上の先輩には敬語で話せとユリから言われてたんだ。今までの会話は忘れて欲しい……です」

 急に取ってつけたような敬語に変わり、面食らった様子の三雲だったが、すぐに笑みを浮かべた。

「ははは、別に無理して敬語を使わなくてもいいよ。えーっと、君の名前は?」

「俺は六道 朧だ。よろしく、修くん」

 

   

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