「林間学校?」
とある日の放課後、全ての授業が終わって帰り支度をしている朧はそんな声をあげた。
「そそ。ここの学校って、毎年そういう行事があるらしいの。アタシたち一年は林間学校で、二年はスキー研修、三年は修学旅行っていう風にさ。林間学校って言っても、ちょっとした旅行みたいな感じで山にハイキングをしに行くみたい」
話の相手は出穂で、その隣にはやはり千佳もいた。
出穂が言う林間学校とは、朧たちが通っている『三門市立第三中学校』の毎年恒例の行事だ。
山中にある宿泊施設で二泊三日の日程で行われ、ハイキングやスポーツ大会、バーベキューなどをするという内容になっている。
そして、その行事が一週間後にあるらしいのだが、朧にとってそんなことは初耳であった。
「……それって俺も行かないと駄目なのか?」
「ええ!? そりゃそうでしょ! 学校の行事なんだし、それにみんなでお泊まりとか絶対楽しいって!」
鼻息荒く興奮した様子でそう詰め寄ってくる出穂に、朧はほんの少しだけ嫌そうな表情を見せる。
何せ朧には現状で友人と呼べるのは出穂と千佳だけなのだ。
しかも泊まりともなると、当然他の男子と一緒の部屋で寝泊まりしなくてはいけないことになり、変なところで繊細な朧にはかなり難易度が高いと言える。
それらを踏めえると行きたくない、というのが率直な気持ちであった。
「俺がいないと防衛任務のシフトが変わって迷惑になるから、たぶん行けないよ。残念だ」
咄嗟に思いついた口実だったが悪くない。
今の朧は学生とはいえ、ボーダーに所属している立派なA級隊員である。
防衛任務のシフトにも頻繁に入っており、そんな自分はおいそれと簡単に抜けてしまえば、他の隊員たちに迷惑が掛かってしまうことは想像に難くなかった。
「あ、それなら大丈夫。ユリさんに確認したら問題なく調整できるからって。むしろ元から朧を参加させるつもりだったみたいだよ。いやー、話のわかる保護者がいてくれて良かったね?」
しかし現実は非情である。
学校の行事は一通りユリがあらかじめ確認しており、既に防衛任務やその他諸々の調整が済んでいるらしい。
だとすれば林間学校で数日程度、朧がいなくとも支障をきたす事は恐らくないだろう。
「……嘘だ」
「嘘じゃないって。諦めて私たちと一緒に行くの。絶対に楽しいからさ!」
目をキラキラさせている出穂とは反対に、朧の目には絶望の色が広がっていく。
このままでは本当に自分も行くことになってしまう。
最後の頼みの綱として千佳の方に視線を向けるが、彼女もそこまで嫌そうにはしていなかった。
「む、千佳も林間学校というやつに乗り気なのか?」
「うーん、ちょっとだけ楽しみではあるかな。自然が多い場所とかには行ったことがないから、山とか緑に囲まれた場所って憧れてたんだ。わたしって結構インドア派だから、こういう機会じゃないと行かないと思うし」
「……なるほど。確かにそれは少しわかる気がする」
人との接触には何の魅力は感じないが、自然との触れ合いには心惹かれるものがある。
今まで朧は三門市の外に出た事は一度もなく、それほど多くの自然に囲まれたことはなかった。
故に千佳の言う通り、そういった場所には少し行ってみたいと思ってしまうのだ。
続けて、僅かに揺れ動いている朧の背中を千佳の言葉が後押しする。
「それに、この前の班決めでこの三人だけの部屋を使えることになったんだよ。だからそこまで不安もないかな」
「え、俺その班決めなんて知らないけど?」
「ちょうど朧くんが防衛任務で早退した時だったからね」
普通に考えて、中学生とはいえ男女が同室となると色々問題があるようにも思えるが、そこは天下のボーダーが解決してくれる。
もちろん普通の隊員であればここまではしない。
だが、朧は実力も生い立ちもとてもじゃないが普通とは言い難く、こういった特別扱いをボーダーから受けることができるのだ。
それだけの功績を打ち立てている。
「まぁ、それなら……いいかな」
朧が一番嫌だったのは、クラスメイトとはいえ殆ど話した事もない者たちと、一緒の部屋で寝泊まりする事だった。
その不安が解消されたのであれば問題はない。
思春期の男子中学生は躊躇してしまうだろうが朧はなんとも思わなかった。
それどころか、むしろ有り難いと思うほどだ。
そして、出穂と千佳の方も友人である朧と一緒の部屋で寝泊まりすることに何の躊躇もないらしく、和かな笑みを浮かべている。
「よーっし、そうと決まればこれから一緒に買い出しだぁー! まずはお菓子をいっぱい買わないとね。さっそく街に出発しよー!」
いくらユリの許可があったとはいえ、朧がこういった行事に参加する可能性は半々だと思っていた。
もしも出穂と千佳が居なければ行かなかっただろう。
だが朧の参加もこうして無事に決まり、肩の荷が降りた気分の出穂は、より一層テンションが上がったようだ。
「出穂ちゃんすごく元気だね」
「ん、テストが終わって嬉しいんだろう。あれだけ辛そうにしていたし」
「ふふっ、それだけじゃないと思うよ?」
「何がだ?」
そう千佳に問いかけるが、帰ってきたのは曖昧な笑みだけだった。
「二人とも何してんのー? 早く行くよ!」