観客席からの声援を背に受けながら俺はゆっくりとマウンドへ向かう。
公式戦でマウンドに上がるのは結構久しぶりな感じがするな。
都大会以来だから数ヶ月ぶりになるのか。
それだけの期間が空いていたから妙に新鮮味が湧いてくるけど、やっぱピッチャーにとってこの場所は特別だ。
練習とは桁違いの熱量でお互いにぶつかり合う最高のステージ。
この場所で投げられることに興奮しない奴はいないだろう。
更にこの回の明川の打順は三番からの好打順で、必ず五番の楊に打順が回るという如何にも奇跡が起こりそうな下地が出来上がっている。
それを完璧に抑えれば最高に気持ちいいだろうな。
「で、今日はどういうピッチングでいくつもりだ?」
俺と同じくこの回からキャッチャーも御幸に交代している。
ずっとブルペンで準備していたから、お互いに身体は温まっていて万全の状態で試合に臨める。
「全力で潰しに行こう。打たせて取るんじゃなくて、バットに当てさせないくらいの気持ちでリードしてくれ」
ムービング系の変化球は球数が少なくて済む利点があるけど、飛んだ場所によっては偶然ヒットになる可能性があるからな。
あの男の前にランナーを溜めてしまうと逆転サヨナラ……とまでは行かなくても、コロッと同点にされてしまいそうな嫌な予感があった。
だからこの回は一人も塁に出させない。
ラストイニングだからスタミナを気にする必要も無いしね。
「OK。ただ、力み過ぎてボールが変なとこばっかに行くようだったら俺の指示に従ってもらうからな?」
「了解。そんなことにはならないだろうけど分かったよ」
流石に新球種であるワンシームをお披露目する訳にはいかないが、他の持ち球は一切出し惜しみせず全力で捩じ伏せてやるつもりだ。
せっかく楊と勝負出来るチャンスが巡って来たんだから、油断なんてつまらないことで終わらせてたまるもんか。
完膚なきまで叩く。
公式戦のマウンドに上がるのも久しぶりだが、こんなにもヒリつく勝負をするのはもっと久しぶりであった。
やっぱ野球はこうでなくっちゃな。
楽しい。
練習では味わえない高揚感に身を焦がされながら、早く投げたいという気持ちを抑えて御幸のサインを待つ。
出来るだけ平静を保てるように心を落ち着かせないと、本当に御幸の言った通りになりかねないから。
そして、御幸が出したサインはストライクゾーンギリギリの内角を抉るような真っ直ぐだった。
俺は迷いなく頷き、セットポジションの構えを取る。
投球フォームを安定させる為、ランナーがいなくともセットポジションで投げるように統一したけど、今ではワインドアップで投げると少し違和感を感じるくらいだ。
以前よりも若干、投げやすいように感じるので今のところ改善は上手くいっていると思う。
「ストライクッ!」
狙ったところへ寸分違わず投げ込み、バッターを大きく仰け反らせながらカウントを奪った。
俺としてはむしろ尻もちを付かせるくらいの気持ちで投げたんだけど、思いのほか速球に目が慣れているのかもしれないな。
ま、あの調子だとバットに当てられる気はしないけどさ。
2球目は低めのアウトコースへと投げ込み、バッターが反応出来ずに見送ってツーストライク。
そして3球目は高めから落ちて来るカーブだ。
ストレートとの緩急さで腰砕けになりながら食らいついて来るが、それはストライクゾーンから僅かに外れるボール球である。
追い詰められて焦りが出たのか、こちらの思惑通りに手を出してバットが空を切った。
これで、ワンアウト。
続く二人目はここまでノーヒットが続いている四番バッター。
ただ、ノーヒットと言っても何度か鋭い当たりを放っているので、十分に長打を放つ力はあると思って良いだろう。
あくまでもバットに当てれたら、の話ではあるけどね。
「──ストライク! バッターアウト!」
スライダー、ストレート、高速スライダーと直球と変化球を織り交ぜて三振に打ち取った。
ボールに触れさせることも許さない。
力強いスイングではあったけど、タイミングもバットの位置も全てがズレているので恐いとは思わなかった。
あと、御幸のリードも完璧だったし。
三振に終わったバッターは悔しいなんて言葉じゃ表現出来ないくらいに拳を握りしめていた。
そんな彼に対して楊は短い言葉を掛けている。
なんて言ったのかまでは流石に分からなかったが、俺を睨み付けるその目が死んでいないので、とりあえず勝つことを諦めていないってのは分かった。
「さぁて、ようやくお前とやり合えるな?」
楊 舜臣は打席に入る前に小声でブツブツと呟いていた。
おまじないでもしてるのか?
はははっ、それじゃあ俺も勝利女神にお祈りでしようかな。
どちらにせよこれが最後なんだから楽しもうぜ、楊 舜臣。