ダイジョーブじゃない手術を受けた俺186

 周囲からの音、太陽から降り注ぐ熱気、蓄積した疲労、投球するために不要な感覚が身体から抜けていく。
 余計な思考が無くなって頭の中がクリアになり、目の前の敵を倒すこと以外には何も考えられなくなる。
 今の南雲には味方からの声援すら聞こえていなかった。
 もはや視界には御幸と轟の二人しか映っておらず、隔絶された真っ白な場所にたった三人だけが存在する空間となっている。
 極限まで深く集中した結果、南雲は試合中であることすら忘れて勝負に没頭してしまっていた。

 そして、そんな状態を自覚しながらも南雲は意識的により深くへと入り込む。

 洗練されたいつものフォームとは少し違い、それよりもずっと荒々しく、しかし理に適ったような動きを併せ持つ不思議な投球法で投げる南雲。
 クイックモーションなど最初から頭になく、今なら盗塁し放題だったが、ランナーは南雲が放つ異様な空気に当てられたのか一塁ベースから動けなかった。

 唸るように突き進んだ直球は、轟にバットを振らせる事すらさせずにストライクゾーンのド真ん中に突き刺ささった。
 自分がド真ん中に来たボールを見逃したのが信じられないのか、轟は目を見開いて驚いた様子を見せる。

「す、ストライク!」

 少し遅れて球審が判定を下した。
 このコースでストライク以外にはありえない。
 むしろこれでボールの判定をするようなら審判は八百長や買収を疑われてしまうだろう。

「──カハッ、カハハハハハハ! もう一回だ。次は打つ!」

 再起動した轟はすぐさま好戦的な笑みを浮かべながらバットを構えた。
 それを見た南雲も冷たい笑みを浮かべてマウンドから轟を見下ろす。
 どちらも自分の力に自信を持っており、負けることなど微塵も頭には無く、今この瞬間を全力で楽しんでいた。

 しかし、そんな二人が放つ空気に呑まれまいと、常に冷静さを保ち続けているのが扇の要である御幸であった。
 目をギラつかせている轟を横目に短く息を吐く。

(俺はド真ん中なんてサイン出してねーぞ?)

 御幸は直球のサインは出したが、ミットを構えていたのはド真ん中ではなく別の場所だった。
 投げたコースがここまでズレたことは今まで一度もない。
 そもそも南雲は変化球ですら構えた所にピシャリと投げられるので、それを考えればあり得ないミスである。

 これがただのミスであれば、いい。
 厳密い言えばよくはないのだが、それでも球自体に異常なほどの力が込められていたので、コントロールが乱れるくらいは些細な問題となる。

 ──だがもしも……これが南雲の意図的に投げられたものであれば。

 御幸はそんな不安を抱きながらスプリットのサインを出した。
 初速のスピードは直球と変わらない。
 どっちだ?とスプリットが来ることを信じながらもこれが直球ではないと切り捨てることが出来なかった。

 ボールは唸りながらまっすぐ向かって来る。
 そして、それを迎え打とうとスイングした轟の手元でカクンッと沈んだ。

 安堵しつつも直前まで南雲が自分のサイン通りに投げるのか疑っていた為、満足に捕球することができず体で止めにいく。
 それでも後逸しなかったのは捕手としての意地なのだろう
 クリスという存在を押し退けてこの場所に座っている彼の覚悟は、決して生半可なものではない。
 ただ、後逸しなかったとはいえしっかりミットで捕球出来なかった自分が嫌になった。

 あっという間にツーストライクに追い込んだ青道バッテリー。
 今回も南雲の勝利で終わるのかと、誰もが思った。
 それはマウンドにいる南雲や、彼の球は受ける御幸も例外ではない。

 だがひとつだけ、予想外なことが起きてしまう。
 第三球、南雲が投げた球を轟が豪快にスイングした時にそれは起こった。

『あーっと、ここで御幸が捕球ミスだ!』

 目測を誤ったのか御幸が試合で初めてボールを捕り損ねたのだ。
 異常なノビと生き物のような動きをする異次元の直球に、打者だけでなく味方であるはずの御幸までもが餌食となってしまった。

 ──走れ雷市! 

 薬師のベンチから飛んで来た声により、轟は跳ねたように走り出した。
 パスボールした御幸だったが、慌てずミットから溢れたボールを右手で握ってファーストへ送球する。
 轟の足がベースに到達するのと、ボールがファーストを守る結城に捕球されるのはほとんど同時だった。

「──アウトッ!」

 判定はアウト。

 だがそれ以上に、この打席で青道が失ったものは大きかった。

「……ぁ?」

 観客席からのざわめきに釣られて視線を戻すと、そこにいたのは左手を押さえながらうずくまる御幸の姿だった。
 頭の理解が追い付かず時が止まったように動きが停止する。
 すると誰かが叫んだ。

「御幸!」

 その声でハッと我に返り、南雲は急いで御幸の元へ駆け寄った。

 

   

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