ダイジョーブじゃない手術を受けた俺12

「か、監督……こんなところで奇遇っすね」

 湯気が立ち昇っている先に見えるグラサン……もとい、片岡監督。
 相変わらずカタギの人には全く見えない強面で、そこから発している威圧感が半端じゃない。
 普段はリラックスして浸かっている風呂も、今は全然リラックス出来ていなかった。
 つーか、何で風呂でもグラサンしてんだ?
 湯気で曇るから危ないよ?

「南雲か。ちょうどいい。お前に伝えておくことがある」

 どこか気まずい空気が流れる中、監督は唐突にそう言ってきた。

「伝えておくこと?」

「次の試合で勝てば、青道は関東大会に進むことが決まる。甲子園が掛かった夏の大会と比べると、関東大会というのはどうしても重要度が低くなってしまうとはいえ、当然負けるつもりは毛頭ない。ただ、そこでお前の実力を見極めたいと思っている」

「実力を……ってことは、いよいよ俺を試合に出してくれるんですか!?」

 え、遂に俺も試合に出れんのか!?
 マジで!?

「ああ。どの試合になるかはまだ分からんが、状況次第で登板させる予定だ。そしてその結果次第で、今年の夏にお前をどう起用するかを決める」

 つまり、その初登板の試合で誰にも打たれず、相手バッター全員をなぎ倒せばエースに一歩近付けるってことだよな?
 そんなの気合いが入るに決まってるじゃんか!

「お任せください監督! この南雲 太陽、登板するからには最高のピッチングをお見せします! それでもちろん、その登板の際は先発完投で――」

「中盤からリリーフとしての登板だ」

 先発で、という言葉をぴしゃりと遮られてしまった。
 だけどそれくらいで諦めてしまうほど、俺は素直な性格をしていない。

「でも先発――」

「リリーフだ」

「……お背中お流ししましょうか?」

「いらん」

「…………ぐすん」

「嘘泣きしても無駄だぞ」

 ちくせう。
 どうやら監督の意思は固いらしい。
 その後もなんとか交渉を続けるも、結局片岡監督から色よい返事を引き出すことは出来なかった。

 

 ◆◆◆

 

 ――ブンッ! ブンッ!

 月明かりに照らされながら未だに素振りをしている選手が一人。
 流れる汗を拭うこともせず、ただひたすらにバットを振るっているのは、先ほどまで南雲の球を受けていた御幸 一也である。

(92……93……94っ!)

 御幸は天才キャッチャーと言われていた。
 野球に初めて触れ、キャッチャーマスクを被ったその日から、他のポジションには目もくれずこのポジションだけに力を注いでいる。

 彼には才能があったのだろう。
 まだ身体が出来上がっていないリトル時代からその天性の才能を発揮して年上の選手とも互角以上に渡り合ってきた。
 このポジションは誰にも渡さない、そういう強い気持ちで練習に打ち込んでいた事もあり、既に高校生でもトップクラスの技術を有している。

 だが、そんな彼を以ってしても高い壁として立ちはだかっている存在が二人もいた。
 一人は同じポジションの滝川・クリス・優。
 クリスは御幸と同じく世代ナンバーワンキャッチャーと呼ばれているが、客観的に自分とクリスを見た場合、明らかにクリスの方が実力が上だと御幸は思っている。

 現時点では向こうの方が上。
 ただ、それならばいずれ越えてみせると奮起できるのが御幸 一也という男だ。
 高い壁であればあるほど燃えるので、むしろ今の状況を楽しんでいる節さえあった。

 そしてもう一人、彼には乗り越えるべき壁がいる。

(南雲のやつ、また一歩先に進みやがったな。まったく、本当に一緒にいて飽きないやつだぜ)

 意識すれば今でも左手にボールの衝撃が蘇ってくる。
 初めは力強く一直線で向かってくるストレートだと思った。
 珍しく失投したのかと。

 しかし、そう思った瞬間にボールが消えたのだ。
 実際には消えてなどいないが、少なくとも自分の視界からは完全に消え失せ、その軌道を見失ってしまった。
 反応すら出来ないなどキャッチャーとして恥ずべき失態である。

 だが、それでも御幸の心の大半を占めているのは、どうしようもないワクワク感だった。

(思い出すだけでもワクワクする……! あんな球を投げるやつと、これから三年間も一緒にバッテリーを組めるんだぜ? 最高じゃねぇか!)

 かつて、これほど自分を熱くさせてくれる存在には出会ったことがない。
 恐ろしい成長速度だ。
 少しでも油断すればあっという間に背中が見えなくなり、永遠に追いつくことが出来なくなってしまうだろう。
 才能に胡座をかくことなく、努力し続ける天才ほど怖いものはない。

 南雲が投げる球は一年生どころか、もはや高校生のレベルを軽く越えている。
 凡人からすれば眩しすぎる才能だ。
 もしも御幸が普通の高校生ならば、才能の差をもろに感じてしまい、挫折し、野球から離れてしまってもおかしくなかったが、御幸もまた並の才能の持ち主ではなかった。

(まずはクリスさんからマスクを奪わないとな! はははっ、たまんねぇぜ!)

 クリスが引退するまで待つ、そんな後ろ向きな考えは御幸には微塵も無い。
 自らの実力でマスクを奪い取る。
 青道高校に進学を決めた理由も、自身が出会った中で最高のキャッチャーであるクリスと競い合いたいと思ったから、というのが理由の一つだ。
 卒業するまで指を咥えて見ているだけ、そんなつまらない選択をする筈がなかった。

 何よりも、そのくらいの気概が無ければ南雲という天才ピッチャーの女房役として相応しくないだろう。
 今後の青道の中心はまず間違いなく南雲になる。
 そんな彼とバッテリーを組もうとしている自分が、レギュラーを譲られるまで待つようだと呆れられてしまう。
 御幸は南雲と対等な存在でありたいと思っていた。

 すると、そうしてバットを振り続けている御幸に、近づいていく人影があった。

「まだやっていたのか」

「クリスさん……」

 後ろを振り返ると、そこには御幸が越えるべき壁の一人であるクリスがいる。
 彼も今まで素振りをしていたのか、右手には使い込まれている金属製のバットを持っていた。

「練習も大事だが、あまり無理をすると身体を壊すぞ?」

「もう少ししたら上がります。それより、南雲の相手を俺に譲っても良いんですか? いくらクリスさんと言えど、片手間であいつの相手が出来るほど甘くないですよ? 今日だってヤバいスライダーを編み出していましたから」

 あのスライダーはたとえクリスであっても苦戦するはずだ。
 現時点でキャッチャーとしてはクリスの方が上。
 本来ならば南雲の球を受けるのは自分ではなく彼の方である。

 悔しいが、今は自分よりもクリスの方が南雲の力を引き出すことができるだろう。
 もしも南雲の成長を自分が邪魔をしているとなれば、その時は大人しくクリスに南雲の相手を譲るくらいの分別はあった。
 そんな覚悟があるからこそ、南雲ではなく他の選手を優先している彼に御幸は理解ができないのである。

「心配しなくても南雲の球は練習中に受けているさ。それに、俺は佐藤先輩の球を受けないといけないからな。色々あるんだよ、俺にも」

「そうですか? あいつの球を受ける以上に大切なことなんて、俺にはちょっと考えられませんけどね」

「フッ、いずれわかる。それじゃあお前も早く休めよ?」

 そう言い残してクリスは寮の方向へと歩いていった。

「……?」

 ただ、右肩をさすりながら歩いていくその後ろ姿に、御幸は少しだけ違和感を感じたのだった。

 

   

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