五回の裏、仙泉高校の攻撃は一番バッターからの打順だ。
そして早々に、甘く入った初球をセンター前に飛ぶクリーンヒットを打たれ、さっそく出塁を許してしまった所である。
ただ、今の点差は2-0で青道が2点リードしていた。
東先輩が単独ホームランを打ち、クマさんがタイムリーツーベースヒットを放っており、スコアだけで見ればまずまずの順調な試合運びと言えるだろう。
しかし、俺はそんな状況でもまったく安心できていなかった。
「な、なぁ御幸。青道の試合ってこんなにドキドキするもんだったか? さっきから心臓の音が煩いんだけど?」
ここまで先発で投げている佐藤先輩は何とか無失点で抑えている。
とはいえ、だ。
ランナーを三塁や二塁に残したままチェンジになるという展開が続いているので、いつ大量得点されて逆転してしまってもおかしくない内容なんだよ……。
さっきの回なんて、あわや同点ツーランホームラン一歩手前だったからね。
ランナーを背負っていない状態だと結構バットに当てられていて、毎回簡単に相手チームの出塁を許している。
だから投手の佐藤先輩は、ポコポコ痛打を浴びているというのが俺の印象だった。
だが反対に二塁以上にランナーがいると、人が変わったように気迫がこもったピッチングで打者を打ち取っている。
……それが出来るなら初めからして欲しいと、そう思わずにはいられない。
観ていて本当に心臓に悪い試合である。
「あー、相手のピッチャーを中々打ち崩せないと結構こういう展開になるな。特に、佐藤先輩が先発している試合は。あの人って、ランナーを背負っている時といない時とのピッチングがまるで違うから、毎回ハラハラするのは珍しくないな」
「強心臓……いや、ドMか? あんまり試合中にそんなの出してこないで欲しいぜ。これじゃあ観ている方が疲れるよ」
まぁとにかく、早いとこ追加点を取って安心したい場面なのは間違いない。
欲を言えば相手チームの心を折るくらいの点差……追加でもう3点くらいは欲しいところだ。
もしくは、佐藤先輩に危なげないピッチングを披露してもらうかだな。
今のままだと敵チームに勢いを与えてしまいかねないし、火が付いたら一気に試合をひっくり返されてしまう恐れがある。
そんなことを考えていると、出塁していたランナーが佐藤先輩が投球モーションに入った瞬間、スタートを切った。
あっ、また得点圏にランナーが!?
『一塁ランナー走った! ピッチャーの隙を突く、完璧なスタートです! これは二塁への進塁を許してしまうのか!?』
恐らく会場にいるほぼ全ての観客が盗塁の成功を確信していただろう。
それほどまでに完璧なタイミングで、一塁ランナーが走り出したのだ。
実際にスタンドから観てもお手本のような盗塁だったし、ここからアウトにするのは不可能だと思われた。
しかし青道のキャッチャーマスクを被っているのは、俺が知る限りで最高のキャッチャーであるクリス先輩だ。
ランナーが走り出すことを予期していたのか、捕球した時点で既にモーションへと移っていたクリス先輩は、そこから流れるような動作で二塁へ矢の如く鋭い送球を飛ばす。
『あ、アウトだぁー! キャッチャークリスの素晴らしい送球により、ランナーの進塁を許しません!』
結果は見事にアウト。
絶対に間に合わないと思われたが、クリス先輩がその予想を覆す好プレーを見せた。
「ヒャハッ。すげぇな、クリス先輩って。あれをアウトにできんのかよ。御幸、お前ほんとにあの人に勝つつもりなのか?」
「当たり前だ。この夏……はちょっと厳しいかもしれないけど、新チームになる秋頃には食らいついてみせるさ」
倉持の茶化すような口調に、御幸はそう言い切る。
青道側の応援スタンドも、このプレーによって良い雰囲気が流れ始め、応援の声に再び力が戻ってきたようだ。
だが俺は、今のクリス先輩の送球に少しだけ違和感を感じていた。
(むむ? これは……今のクリス先輩の送球、若干だけど右肩を庇ってなかったか?)
先ほどのプレーをもう一度思い返してみる。
二塁への盗塁を許さない矢のように完璧な送球だったが、まるで自分の肩を庇いながら投げているような気がした。
あんまり上手く言えないけど、身体の重心が微妙にズレている感じかな。
普通ならあんなジャスト送球なんて出来ないはずなんだけど、クリス先輩のポテンシャルでカバーしているんじゃないか?
こうしてスタンドから俯瞰して見ていたからか、クリス先輩の動きが少しおかしいことに気付けたのだと思う。
まぁ、本当に違和感程度の僅かな違いだし、俺の勘違いの可能性も十分にある。
だけど――。
「……まさかクリス先輩、怪我とかしているんじゃないだろうな?」
嫌な予感が頭をよぎる。
できれば外れていて欲しいが、こればかりは見ただけじゃわからない。
本人に直接聞くしかないだろう。
「ん? 南雲、どうかしたか?」
クリス先輩の活躍をまったく喜んでいない俺を不思議に思ったのか、御幸がそう声を掛けてきた。
「……いや、なんでもないよ。おっ、珍しく佐藤先輩が後続を綺麗に打ち取ったな。しかも次の回はクマさんからの好打順じゃん。しっかり応援してあげないと!」
「なんでもないなら良いけど……」
俺の勘違いかもしれないんだから、これは下手に広めない方が良い。
まずはクリス先輩本人に確認しておく必要があるし、何事も無いならそれが一番だ。
なんか、一気にドキドキ感が薄れて憂鬱な気分になってきてしまったな。
これなら佐藤先輩のハラハラドキドキピッチングの方がまだ良かったぜ……。
『二番、レフト、田島君』
でも、とりあえずクマさんの応援しよっと。
「頑張れー! クマさーん!」