食堂で昼食をパパッと済ませた俺は、自分の教室に戻って真っ先に御幸の元へすっ飛んで行く。
それは当然、俺が先発で登板することを伝えるためだ。
投手としてはやっぱり先発を任されるというのは特別なことで、言ってしまえば信頼の証みたいなものである。
なので俺は未だに興奮が冷めていなかった。
「御幸ぃー、大変だ! 大変だぞ!」
「どうしたどうした、そんな笑顔で。何か良いことでもあったのか?」
「フッフッフ、良いことどころじゃねぇ。明日の試合の先発、俺だってさ!」
「え、マジで?」
「大マジだって。今さっき藤原先輩から聞いたから間違いない。ようやく俺が先発投手に抜擢されたみたいだ!」
決勝戦という大舞台で一年の俺が登板できる可能性は、正直かなり低いと思っていた。
しかし、こうして任された以上はパーフェクト試合にするつもりで投げる所存である。
くぅー!
明日の試合が早くも待ち遠しいぜ!
「トントン拍子のスピード出世だな。この調子なら、いよいよエースナンバーすら現実味を帯びてきた。ま、そうなれば必然的に俺も正捕手として確定みたいなもんだから、しっかり御利益にあやかりたいところだ。ハッハッハ」
「調子の良い奴め……でも今は気分が良いから許しちゃう!」
実際、俺がエースとなれば必然的にキャッチャーは御幸になるだろう。
これでバッティングがショボかったら話はまた違ったが、この関東大会では打席でもしっかりと活躍しているので実績も申し分ない。
一番の障害というか、壁だったクリス先輩は怪我の治療に専念しているから、御幸が本当の意味で正捕手の座を勝ち取れるのは先輩の復帰後かな。
俺としてはどちらに受けてもらうのも楽しいので、競い合ってどんどん技量を高めて欲しいところである。
高みの見物というやつだ。
もちろん俺も成長するから心配しないでくれ。
「あれ、そういえば倉持はどこ行ったんだ?」
いつもならここで試合に出れないことを悔しがる声が聞こえてくるのだが、いつまで経ってもそれが聞こえてこなかった。
おかしいと思って周りを見回してみると倉持が居ない。
このクラスには俺たちしか友達がいないので、他に行く所なんてない筈なんだが……。
「あいつなら飯を食い終わった後、トレーニングルームにすっ飛んで行ったぜ。紅白戦までもうすぐだから一秒でも無駄にしたくないんだろ。先輩たちも昼休みはトレーニングしてるって人は多いらしい」
「ほぇー。気合入ってんな。あれか、俺たちの試合を見てやる気スイッチが入ったのかも。でも無理はしないように見てやってくれよ。俺も気をつけるけど、たぶん御幸の方がそういうのは得意だろ?」
基準が自分しかないんだから、俺には他の人が無理をしているのかなんてわからない。
オーバーワーク気味なやつを見分ける真似は当然不可能だし、クリス先輩の怪我に気付けたのは部位が肩だったからだ。
ま、倉持は意外と身体のつくりが良いから大丈夫だと思うけどね。
「あいよ、一応見とく。んじゃ、南雲は今からこれに目を通しておけ」
「……何だこれ?」
御幸が差し出してきたのは一冊のノートだった。
受け取ってパラパラとページをめくっていくと、それと比例して俺の表情が渋いものへと変わっていく。
数字や文字がビッシリと書かれていて、辛うじて読み取れたのは『釜蔵高校』という文字だけだった。
「おい……何だこの難解なデータは」
「そりゃ決勝戦の相手である『釜蔵高校』のデータだよ。昨日の準決勝の試合を見てくれてた先輩が、これをまとめてくれたんだ。あぁ、安心してくれ。ちゃんと映像もあるから」
映像があるからって何を安心しろと?
むしろゲンナリする要素のひとつなんだが。
でも、データ収集はありがとうございます!
しっかりと御幸が頭に叩き込みますので、有効的に使わせていただきます。
「相手のデータを覚えるのは御幸君にお任せします」
バッターの特徴を覚えた所で、配球を考えるのはキャッチャーなんだからあまり意味は無いと思う。
そりゃ投手も頭に入れといた方が良いんだろうし、データの重要性とかもわかってはいるけどさ。
俺が覚えるのは精々相手ピッチャーの球種ぐらいかな。
むしろそれくらいしか頭に入ってこないとも言う。
「お前勉強は出来るんだから、これくらい簡単に覚えれるだろ?」
「無理。何故かはわからないけど、こういうのを見ると頭が拒絶して強制シャットダウンしてしまうんだ」
「一体どんな頭してんだよ……」
呆れられたところで無理なものは無理だ。
教科書とかは別にそんな事ないんだけど、こういうのは全然駄目。
俺はもしかしたら選手データアレルギーなのかもしれない。
知らんけど。
そういう事だから、相手のデータを分析するとかって作業は御幸君に任せますよろしくお願いします。
「つーか、さっきまでどこ行ってたんだ? 昼休みになったと思ったら速攻で消えやがって、お陰で食堂に出遅れちまったんだからな」
「うん? あぁ、それはさっきまで告――」
そこまで言って慌てて口を閉じる。
あ、あっぶねー!
藤原先輩たちに他言しちゃ駄目だと言っておいて、自分がうっかり溢しそうになってしまったぜ……。
御幸の方に視線を恐る恐る戻してみると、突然の奇行に目を丸くしていた。
「こく?」
「……急に黒糖饅頭が食べたくなってさ。部屋の冷蔵庫に残っていなかったか、走って見に行ってたんだ。すまんすまん」
「ふーん? ずいぶん渋い趣味してんだな」
俺の苦しい誤魔化しでも何とかなったみたいで、さっきこっそり返したノートに再び視線を落とした。
ほっ、御幸が鈍い奴で助かったな。
モブ子ちゃん、君との秘密は絶対に誰にも言わないからね!
「……クックック、何だよ黒糖饅頭って。そんな誤魔化し方するとか面白すぎるだろ」
「何か言ったか?」
「いや、何でもねーよ。それで黒糖饅頭は美味かったか?」
「お、おう! 美味かったぞ!」
「ぷっ、そりゃ良かったな」