ダイジョーブじゃない手術を受けた俺27

 大きく腕を振りかぶり、マウンドの土を踏みしめながら身体全体を使って放たれる豪速球。
 試合の序盤ではストレートに狙いを絞ってバットを振ってきていた釜蔵高校ナインだったが、終盤に差し掛かったところでギアを一段階上げた南雲の直球の前に扇風機と化していた。
 当たらない。
 ヒットを打つどころか、7回からは一度もバットに擦りすらしていなかった。

「く、クソが……! 何だよ、あの球は……!」

 悪態を吐いてマウンド上から見下ろしてくる投手にギロリと睨みつけるが、当の本人は微笑を浮かべたまま余裕そうにピッチングを続けている。
 その態度がより一層バッターの激情を掻き立てていた。
 次こそは絶対に打つ、打ってみせると意気込んでバットを握り直せば、それを読んでいたかのようにチェンジアップが飛んできて、無様に三振を取られてしまう。

 悪魔のような配球をするキャッチャーと、悪魔そのものである凶悪なピッチャー。
 さらに恐ろしいことは、自分たちを翻弄しているその二人が、まだ入部したての一年生であるということだった。
 才能の違いというやつを残酷なまでに感じてしまう。

 天才?
 確かにキャッチャーの方はその言葉が相応しい。
 抜群の野球センスを駆使して配球を考え、投手の良さを最大まで引き出しているのは敵ながら天晴れだと思う。
 しかし、マウンドに立っているあの男の方はそんな単純な言葉では言い表せるものではない。

 そこらの投手とは圧が違う。
 纏っている雰囲気が違う。
 そして、格が違う。

 球速が速いだけの投手はそれなりにいる。
 コントロールが良い投手も、変化球が得意な投手も数多く見てきた。
 だが、その全てをこれほどまでに高い基準で兼ね備えた選手には未だかつて出会った事がなかった。
 これでは高校生の中に一人だけプロが混じっているようなものではないかとさえ思う。

「……怪物め」

 ポツリと呟いてベンチへと帰っていく。
 この試合でもう一度自分の打席が回ってくることは無いだろう。
 彼とて強豪校と呼ばれている高校でレギュラーを務めているという自負はあったのだが、それが今日、見事に打ち砕かれてしまったのだ。
 一人の高校球児として悔しくない筈がなかった。

 ただ、悔しさと同じくらい安堵の感情が浮かんできている。

 ――南雲 太陽と同じ地区ではなくて良かった、と。

 こんな異次元の球を投げるピッチャーと同じ地区の高校はご愁傷様と言うしかない。
 特に、今年一年の選手たちは南雲とこれから三年間もの間戦っていかなければならないのだ。
 悪夢以外の何物でもないだろう。
 どれだけ練習に打ち込んでも、勝てる見込みがほとんど浮かんでこないような相手を倒さなければ、誰もが憧れる夢の舞台――甲子園には進めないのだから。

 ただ一方で、いとも簡単に釜蔵打線を抑えているように見える南雲の方も、実はそこまで余裕がある訳ではなかった。

「ふぅ、あと二人か。スタミナ的にはかなりギリギリだな……」

 流れる汗を拭い、誰にも聞こえないであろう声量で南雲はそう呟く。
 余裕そうに投球を続けていた南雲だったが、実はもう体力が尽きかけていてヘトヘトの状態になっていた。
 疲れた様子を一切見せないのは投手としてのプライドである。
 ここまで来たら何としてでも完投する、そんな強い意志でマウンドに噛り付いているのだ。

 普通に投げていればとっくに限界を迎えていたのだが、御幸のリードに従った結果、消耗を最小限に抑えることが出来ており、ここまで南雲が投げられたのは間違いなく御幸の力によるものだろう。

(この試合が終わったら御幸にジュースでも奢ってやるか。ここまで投げさせてくれたんだし、少しくらいは労ってあげないとね)

 そんな御幸が次に出したサインは、ツーシーム。
 南雲の限界がきていることを察しているのか、三振を奪うよりも早々に打ち取ってアウトにすることを目的とした配球だ。
 それに頷き、指先に精一杯の力を込めてミットにボールを叩き込む。

 ガキンッ、と詰まらせた打球音が響き、それなりに鋭い当たりの打球がサード方向へと飛んでいく。
 御幸が即座に立ち上がって『サード!』と声を張り上げた。

「――舐めんなや!」

 サードを守っているのは青道高校のキャプテン、東 清国だ。
 彼は三塁線上に飛んだ処理の難しい球に飛びついて捕球し、そしてすぐさま立ち上がってファーストへと安定した送球を投げる。
 判定は……アウト。
 これでツーアウトとなり、東が三年生としての意地を見せた結果となった。

「ナイスガッツです、東さん!」

「おう! この調子でどんどんワシんとこに打たせて来いや!」

 ヒットになっていてもおかしくはなかった当たりだったが、ここまでの南雲の活躍報いる為にも、このまま完投させてやりたい、そんな思いを感じる熱いプレーだった。
 そんな東のファインプレーにより、これであと一人。
 あと一人抑えれば、南雲にとって高校初の完封試合になる。

(スッゲェ疲れてんのに、頭は妙にスッキリしてる。これはあれか、ゾーンに入ったってやつか? ははっ、この感覚悪くねぇ)

 正直、少し身体を押されれば倒れてしまいそうだったが、指先の感覚がいつもの数倍近く鋭くなっている気がした。
 そして何より、こんな状況でもマウンドで投げる事が楽しい。
 それこそ今の疲れが吹っ飛んでしまうくらいに、南雲はこの状況を楽しんでいた。

 少し前、クリスには無理はするなと忠告していた本人がこうして無理をしているのだから、まさしくブーメランというやつだろう。
 ただ、一つ言い加えるとすれば、南雲の肩にはそこまで大きな疲労が溜まっている訳ではない。
 今は単純にスタミナを消費し過ぎた状態であり、疲れによりフォームを崩しさえしなければ、大きなダメージが残ることはないのだ。
 それがわかっているからこそ、南雲はマウンドを降りようとはしなかった。

 最後のバッターが打席に入り、バットを短く持って構えている。
 そのバッターの目はまだ勝負を諦めていない。
 南雲の顔にも自然と笑みが浮かんだ。
 本気の勝負ができることが、嬉しい。
 肩の力を抜いて……というよりも、そもそも余分な力を入れる元気すらないので、非常に自然体でスムーズな動きでモーションに入った。

 そして全ての力を指先に集めたその一球は、まるで生き物のような唸りをあげ、御幸が構えていたミットへと突き刺ささる。

『き、決まったー! 最後は力のあるストレート……ひゃ、151キロ!? なんと南雲選手、この終盤で自身のベスト記録を大幅に更新したようです。これはとんでもない怪物が高校野球界に生まれてしまったのかもしれません!』

 関東大会決勝戦、青道対釜蔵高校の試合は3-0。
 南雲個人の成績としては9回まで一人で投げ抜き、被安打5、四死球0、失点0という好成績で幕を閉じたのだった。

 

   

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