『さぁ始まりました! 西東京地区の覇者を決める準決勝、青道高校 対 稲白実業高校。幾度となく熾烈な争いを繰り広げてきた両者が、この準決勝という舞台で再び相まみえます! そして初回のマウンドに上がるのは――稲白実業のエース、進藤 新ぁ!』
白いユニフォームに身を包んだ稲白のエースがマウンドに上がって投球練習を始めると、場内の温度が少し上がった気がした。
稲白のエースは右投げの正統派タイプの投手で、球速はだいたい140キロ後半といったところだろう。
力強い球がミットに吸い込まれ、パシンッと気持ちの良い音を響かせている。
ただ、あの人の持ち味は球速よりも多彩な変化球だ。
データではチェンジアップ、カーブ、スライダー、そしてフォークという4球種の変化球を持っているらしい。
特に鋭く落ちるフォークは別格で、この大会でほとんど打たれたことがないというほどの一級品とのこと。
俺も覚えようかな、フォーク。
「南雲の場合、フォークよりもスプリットの方が向いてるんじゃないか」
すると御幸の声が隣から聞こえてきた。
「あれ、今の口に出てたか?」
「バッチリ聞こえてきたぜ」
ありゃ、それは恥ずかしい。
最近なぜだか思ったことが自然と口に出てしまうな。
御幸とかなら良いけど、他の人の前でうっかりそれが出てしまわないように気を付けないと。
「えっと、それでスプリットって確かフォークの速い版みたいな球だよな。具体的にどう違うんだ?」
「認識としては大体それであってるよ。正直そこまでボールとしての性質に差はないしな。というか、メジャーではどっちも同じような扱いをされているくらいだ」
「へぇー、それは知らなかった。でも、それじゃあなんでフォークよりもスプリットなんだよ」
「握り方がフォークは人差し指と中指の間に深く挟み込むのに対し、スプリットはフォークよりも浅く挟んで投げる。つまり、スプリットの方が握力の消耗を少し抑えられるんだ。お前は速球派の投手だから、試合中に握力が無くなっていくのは致命的なんだよ。だからフォークよりはスプリットの方が良い」
確かに試合中に握力が無くなるリスクがあるというのは、投げるのを躊躇ってしまうくらいにはまずい。
御幸の話ではフォークよりはマシだとはいえ、スプリットも握力に影響が出てしまうようだ。
うぅむ、それなら別の変化球の方が良いんじゃないだろうか……。
そんな俺の考えが表情に出ていたのか、御幸がいつも通りにニシシと笑っていた。
「ちなみに、スプリットは直球並みに速くて縦に鋭く落ちるから、20世紀最後の魔球とまで言われているぜ。もしも修得できれば、強力な武器になるのは間違いねぇよ。まぁ、フォークもスプリットも身体に負担が掛かるから多投させるつもりはないし、俺なら見せ球か決め球として使うかな」
「ま、魔球……!」
その単語に思わず反応してしまうのは仕方にだろう。
身体への負担が大きいからあまり多く投げられない球なんて、まさに魔球じゃないか。
俺の男心がこれ以上ないくらいにくすぐられる。
以前クリス先輩は俺の高速スライダーを見て魔球と言っていたが、スプリットもかなり魅力的な変化球のようだ。
そんな変化球を自由自在に投げ込む俺を想像し、思わずにやけてしまう。
……これは決まりだな。
「よしっ、それじゃあ次に覚える変化球はスプリットにしよう。練習には当然付き合ってくれるんだろ?」
「もちろん。そんな面白そうなイベントに俺が参加しないわけねーじゃん」
さすが、御幸はわかってる。
クリス先輩にも色々とアドバイスをもらおう。
あ、どうせなら監督も巻き込んで俺のスプリットを最強の変化球にしてみようかな。
『いよいよプレイボールです!』
おっと、いよいよ試合が始まったようだ。
余計なことを考えるのはここまでにして、今はこの試合だけに集中しよう。
「いったれ広瀬! 遠慮せんとバンバン打ったれや!」
一番バッターはライトを守る広瀬先輩。
彼はベーランのスピード測定で倉持よりもわずかに上回る記録を叩き出した俊足の持ち主である。
強打者ひしめく青道の一番バッターを務めているだけあって、俊足だけではなく甘い球なら軽くスタンドに運んでしまう力もあるのだから非常に頼もしい。
ストライク! と審判の声が聞こえてくる。
まずは初球を見送り、落ち着いた様子で相手の球筋を見極めているようだ。
実際に打席に立ってみないとわからないが、ベンチから見た限りでは映像以上に球のノビがあるとかはなさそうかな。
確かに厄介な投手ではあるだろうけど、ウチの強力打線なら点を取れないということはないと思う。
続く二球目のボール球をしっかりと見送ってからの三球目、金属バットの快音が響いた。
『打ったぁー! 一、二塁間を破る鋭い当たり……おぉっと!? 内野を抜けると思われた打球をセカンドの上田が飛び付いて掴んだ! そして落ち着いた送球でファーストはアウト。一人目のバッターから素晴らしいスーパープレーが飛び出しました!』
しかし、二塁手のファインプレーによってアウトになり、ブワッと稲白側のスタンドが沸いてしまった。
うーん、あれがアウトにされるのか。
やっぱりそう簡単には点どころか出塁もさせてはくれないらしい。
普通なら長打にもなりそうだった当たりをアウトにしてくるんだもんな。
「南雲、先輩たちには聞こえない大きさで話すぞ」
すると、声を潜めた御幸に話しかけられる。
「ん、なんだ?」
「見ての通り向こうのピッチャーは全国レベルだ。その上、守備の練度も相当高い。決して点を取れない訳ではないだろうが、そう多くは取れないと思っていい」
「まぁ、そうだろうな」
流石はこの西東京地区で甲子園の常連になっているだけあって、投手もかなりの完成度に仕上がっている。
それに、あの投手の控えには成宮もいるからな。
少なくとも大量得点とはいかないだろう。
青道に一点でも入れば俺と御幸が最後まで守り抜いて勝つという自信はあるが、その一点というのはそう簡単な事ではない。
まぁそれでも不可能だ、なんて思ってはないけどね。
「この試合は間違いなく投手戦になるぞ。先に失点した方がだいぶ不利になる。でも――そんな試合でお前が一本のヒットも打たれずにパーフェクトを続けていれば、確実に流れがこっちにくるだろうな」
どうやら御幸は試合前に俺が言ったことをしっかり覚えているらしい。
「はははっ、任せとけ。俺のピッチングで勝利の女神ってやつを強引に振り向かせてやるよ」
俺は稲白のエースに踏み荒らされているマウンドを見て、早くあそこに立ちたいなぁ、なんてことを考えていた。