バットを構えていた南雲の頭部へと一直線に向かう凶弾。
打ち返そうと深く踏み込んでいたことが仇となり、時速140キロほどのその球を避けるには些か余裕がなさ過ぎた。
本来の彼が持つ動体視力であれば、或いは回避する事も出来たかもしれない。
だが集中するあまり、ボールが向かって来ると認識してから一瞬の反応が遅れてしまったのだ。
ドガッ!
衝撃でヘルメットが吹き飛び、鈍い音が響く。
一瞬、時が止まったかのような静寂の後、球場は突然起こってしまった悲劇にどよめいた。
『あぁっと!? デッドボールだ! すっぽ抜けたボールが頭に当たってしまいました!』
投げては一本のヒットも許さないパーフェクトを継続中で、打撃においても他者に引けを取らない輝きを見せる南雲 太陽。
多くの観客達は彼がホームランを打つ事を期待していた。
自然と応援してしまうような、そんな魅力が南雲にはあったのだ。
今後の活躍に期待した者もいるだろう。
打者の心をへし折るような圧巻のプレーに魅了された者もいるだろう。
新たな球界のスターの誕生を予期した者もいるだろう。
しかし、それはたった一球の失投によって打ち砕かれる。
すぐに起き上がってこない姿を見て、肥大していた南雲への期待感が一気に心配へと変わってしまった。
「南雲!」
御幸、次いで倉持が一番最初にベンチから飛び出して行く。
嫌な汗が吹き出し、暑さが全く感じられないほどの寒気を感じていた。
「おい南雲、大丈夫か!?」
いくら呼び掛けても南雲はピクリともしない。
当たった場所が場所なだけに最悪の事態まで脳裏をよぎってしまうが、南雲の胸が僅かに上下しているのを確認して少しだけ安堵する。
だが意識がないので迂闊に触れる事すら出来ず、彼らは必死に声を掛けながらも、ただ担架を待つしか出来なかった。
球場内で待機していた医務員が慌てて南雲に駆け寄り、険しい表情のまま何人かに指示を出して担架で運び出す。
その光景はどこか現実味が無かった。
マウンドに君臨していた暴君が、こうもあっさり去っていく姿を認めたくなかったのかもしれない。
『南雲選手が担架で運ばれていきました。ここまで最高のピッチングを見せてくれた彼へ、場内からは拍手が起こっています』
どれだけ称えられても、当の本人の意識は戻らない。
あのピッチャーにぶつける意思は無かったのだろう。
そんな事は彼の顔を見れば一目瞭然だ。
疲労や汗、焦燥感など様々な要因が複雑に絡み合って生まれてしまった悲劇。
だが、だとしても到底許せるものではない。
南雲は一体これからどうなるのか。
ヘルメット越しとはいえ頭に硬球がぶつかったとなれば、下手をすれば何らかの後遺症が残ってしまう可能性だってある。
野球どころか、日常生活さえ出来なくなってしまうかもしれない。
(南雲……大丈夫だよな? こんな事で二度とお前の球が受けられなくなるとか、あり得ないよな?)
ネガティブな考えが御幸の頭を巡り、どんどん気分が沈んでいく。
ふいに倉持が呟いた。
「チッ、あの野郎……!」
担架で運ばれていく南雲を見送った倉持は、この事態を引き起こした元凶を睨み付けていた。
野球をやっていればデッドボールを食らう事もあるだろう。
しかし、だからと言って何も思わない訳じゃない。
この怒りに任せてあの男を殴ってやる、そう思って一歩踏み出し……それを御幸が止めた。
「なんだよ!」
「殴ったらそれで終わりだ。わかってんのか?」
「でもよ! アイツは南雲を――ッ!?」
今にも爆発してしまいそうな倉持だったが、振り返って御幸の顔を見てみると、次の言葉を発する事が出来なかった。
彼が浮かべていた表情は……怒り。
普段は掴みどころが無い性格という印象だが、今はそんなものがひっくり返るような激情を感じ取れる。
「乱闘なんか起こしたら、南雲が投げてきたこの試合は全て無意味になる。それだけは絶対ダメだろう。俺たちがやらなくちゃいけないのは、この試合になんとしても勝つことだけだ」
「……あぁ、そうだな」
自分と同じくらいの怒りを抱いていながら、それでも冷静さを失っていない御幸に諭され、倉持もようやく頭が冷えた。
この試合に勝つ。
始まる前から当然そう思っていたが、改めてそう強く思った。
「わざとじゃなかった。すまない」
そんな二人の会話を聞いていた稲実の原田は、言いにくそうに口を開いた。
「わざとやってたら俺もコイツを止めませんでしたよ」
嫌味のひとつでも言ってやろうかと思う気持ちをグッとこらえ、チラリと一瞥するだけで視線を合わせることなくそう言った。
しかしこれ以上は話したくないとばかりに、御幸はそう言い残して倉持を連れてベンチへと戻っていく。
「あっ、えと……」
途中、帽子を取った相手ピッチャーが話しかけてきたが、今は何を言われても冷静にはいられないと思って無視した。
ここで対応ができるほど、二人はまだ大人になり切れていないのだ。
そしてベンチ戻ると、二、三年の先輩たちも暗いムードに包まれており、今までの活気が嘘のように静まり返っている。
「下を向いとる暇なんかないんや! シャキッとせんかい! そんなんじゃ南雲が戻って来た時に呆れられてまうで!」
ただ、そんな中でもやはりチームの柱でありキャプテンの東だけは周囲を鼓舞していた。
「でも次、誰がマウンドに立つんだ?」
しかし、誰かが発した一言で再び青道ベンチの士気はガクッと落ち込んでしまうのだった。