どこだ、ここ。
いつのまにか手に持っていた硬球を弄びながら周りを見渡してみると、どうやらここは誰もいない球場のようで、そのグラウンドのマウンドにポツンと俺が一人だけ立っていた。
頭がボーッとする。
まるで夢の中にいるみたいな感じだ。
「なんとも奇妙な場所だな。球場ってのはもっと賑やかな場所だろうに」
観客席にもグラウンドにも誰も居らず、選手はおろか観客も一人も見当たらない。
今の状況を一言で言い表せば、不気味。
歓声があちこちから聞こえてくる球場をよく知っている分、この状況がより違和感を感じてしまう。
「つーか、これってたぶん夢じゃん。明晰夢ってやつ?」
あまりにも身体の感覚に違和感があったので、ふとそんなことを思った。
一度そう思えばストンと腑に落ち、これが夢の中だと改めて自覚する。
夢なんて見るのは久しぶりだな。
特に夢の中で夢だと自覚出来たのは初めてかもしれない。
こういう状態を明晰夢と言って、意識すればどんな夢でも自由自在に操れるという話を聞いたことがある。
……ふむ、ここはとりあえずアイドルの一人や二人でも出してみるべきか。
もちろん他意はないぞ?
純粋に本当に出てくるのか確かめたいだけだ。
俺は逸る心を抑えながら、とある女性の名前を叫ぶ。
「いでよ、橋本◯奈!」
しかし、そうして大仰にポーズまで決めてみるも、どれだけ待ってもハ◯カンどころか空きカンひとつ現れることはなかった。
念のためもう一度その名前を叫んでみるが、やはり現れない。
くっ、こんなの詐欺じゃねーか!
俺の純情を弄びやがって、断固としてやり直しを求めるッ!
散々期待させておいて何も出ませんとか普通あり得んでしょ。
せめてそっくりさんでも良いから出さんかい。
その後も何度か百年に一度の美少女の名前を叫んで呼び出そうとするも、その全てが失敗に終わり、もの寂しい球場には俺しか居ないまま――うん?
「んあ? ありゃ御幸か?」
さっきまで誰も居なかったはずなのに、プロテクターを全身に付けた御幸が急に現れ、無言のままホームベースの後ろに座っていた。
いつから居たんだよお前。
まぁ夢の中だから偽物なんだろうけどさ。
そして、御幸の偽物はここへ投げろとばかりにミットを構えた。
いやいや、お前は呼んでないぞ!?
◯奈ちゃんはどしたん?
夢の中でくらい野郎じゃなくて美少女と戯れさせろや!
と、わめき散らしてみるも効果は無く、一向に消えない御幸の幻影はピクリとも反応しなかった。
むぅ、こんなことしている場合じゃないのに。
しばらく無言の睨み合いが続いたが、先に根負けしたのは俺の方だった。
「はぁ……よくわからんけど、そこに投げれば良いんだろ? ならとびっきりのを叩き込んでやるよ。だから満足したらさっさと消えるんだぞ」
夢の中で自由に動き回れるなんて、こんな貴重な体験を逃す手はない。
だから早いとこ御幸の偽物には立ち去ってもらい、男のロマンを存分に謳歌させて欲しいんだが……仕方ないので少しだけ付き合ってやることにする。
このままじゃいつまでも居座りそうだしな。
それなら、満足するまで投げてやった方が良いだろう。
「夢とはいえ、御幸の姿をしているんだから――ちゃんと捕れよ」
わざわざその姿で俺の前に出てきたのなら、手加減する必要はないだろう。
より速い球を投げるためにワインドアップモーションを取り、大きく振りかぶって腕をしならせる。
この時だけは夢とは思えないほどリアルな感覚が指先に戻っていた。
「ありゃ?」
俺が放った球は御幸のミットを通り抜け――まるで幻だったかのように御幸の姿が消え失せてしまう。
あんにゃろう、人がせっかくその気になったのに受けもせず消えるとは何事だ。
現実の御幸なら喜んで次を投げろと催促してくる所だぞ?
しかもボールまで一緒に消えちまったし。
「まったく、目が覚めたら一言文句言ってやる」
しかし、あいつは一体何がしたかったのかね。
自分から俺に投げてこいとミットを構えておいて、いざ俺が投げてやれば煙みたいに消えるなんてな。
夢の出来事に意味など求めるなと言われればそれまでだけど、俺にはどうにも御幸の偽物の行動が引っかかっていた。
そういえば、俺ってついさっきまで試合をしていた気がする。
うーん、勝ったのか負けたのかすら覚えてないけど、たしか稲実と試合をやってたんだよな。
そんで7回までパーフェクトのまま順調に投げ続けて……でもそのあとどうなったんだっけ?
あ、そうだ。
打席に入ったんだ。
ホームランを打とうと踏み込んで、そしたらボールが目の前まで飛んでき――あッ!?
その瞬間あの時の光景がフラッシュバックし、どこかおぼろげだった意識が一気に覚醒する。
視界が歪み、意識が遠くなっていく。
◆◆◆
「――試合は!?」
夢から覚めて飛び起きると、そこは真っ暗な部屋。
急に起き上がったからか頭がズキッと痛んだ。
外から入ってくる月明かりに照らされ、すぐ側に誰かが待機しているのが見えた。
俺が知っているよりも少し疲れたような表情だけど、その人は間違いなく高島先生だった
「あぁ、よかった……! 目を覚ましたのね南雲君。今親御さんがこっちに向かっているから、もうすぐ着くと思う。それまでゆっくり休んでいなさい」