クリス先輩監視の下、俺は今日久しぶりに身体を動かした。
いやー、汗をかくってやっぱり気持ちが良いね。
初日だからということで激しいトレーニングはせずに柔軟とか体幹をメインでやっていたけど、それでも寝たきりの生活を送っていた俺には結構キツかった。
たった数日でも身体を動かしていなければ鈍ってしまうらしい。
まぁ、あれはクリス先輩が組んでくれたハードなリハビリメニューだから、余計に疲れたのかもしれないけどさ。
「ふぅ……このデカい風呂に入ってると、ようやく帰ってこれたと実感するなぁ」
足を伸ばせるくらい広い風呂。
それに浸かりながら俺は全身の力を抜いてリラックスしていた。
この時間は入ってくる人があまり居なくて、今も一人でゆっくりしていられる。
「新チームのキャプテンは哲さん、か。確かにあの人以上にキャプテンに相応しい人はいない。満場一致で哲さんに決まったのも納得だ」
三年生は既に引退しており、青道はもう新チームが始動している。
キャプテンには哲さんが選ばれ、副キャプテンはヤンキーっぽいでお馴染みの伊佐敷先輩、そして人一倍ご飯を食べる増子先輩の二人に決まったようだ。
クリス先輩は怪我を抱えているからと本人が辞退したそう。
それでも俺のトレーニングはしばらく付き合ってくれるというのだから、本当に先輩には頭が上がらない。
早くピッチングさせて欲しいのは変わらないけどね。
「それにしても、チームの雰囲気はクリス先輩が言うほど悪くなさそうだった。まずは一安心ってところかな」
俺は今日ずっと屋内練習場でクリス先輩と一緒にトレーニングしていたんだけど、一年と二年の部員たちがその様子を見にやって来ていた。
その時はまだ練習時間だったからちょこっとだけ会話して、新チームとして一緒に頑張ろう的なことを話したんだ。
俺の目にはみんなもう前を向いて進み始めているように見えたから大丈夫そうだったよ。
それと、丹波さんも来てくれた。
でも、俺がその事に気付いて手を振ると、逃げるように帰って行っちゃったんだよね。
気持ちはわからなくもないけどこっちは重症みたい。
ここはクリス先輩や他の二年生がなんとかしてくれるのを待つしかないね。
「……あ、やべ。もうこんな時間か」
色々と考えていたら、いつもより長く浸かり過ぎてしまった。
のぼせない内にそろそろ出よう。
パパッと風呂から上がって水を拭き取り、ドライヤーで髪を乾かし、寝巻き用の服に着替えて自分の部屋に戻る。
今の季節は夜でも暑いから、早くエアコンが効いている部屋に帰らないと汗がダラダラ出てきてしまう。
そうして急ぎ足で部屋に戻ると、そこには見慣れた大柄な人物の姿があった。
「……クマさん?」
「よっ。数日ぶりだな、南雲」
以前と変わらない様子でそう言ってくるのは、クマさんこと田島先輩。
なんだかんだでタイミングが合わずに今の今まで会えなかったが、あまりにも突然の再会で驚いてしまった。
「クマさん!」
「おう」
「クマさん!」
「おう」
「クマさん!」
「……だから何だよ」
はははっ!
その困惑した顔も最高だね。
見ただけで安心するよ。
「急にどうしたんですか? クマさん、俺が入院している間に部屋を出て行っちゃうし、クリス先輩に聞いたら実家に帰ったって聞いてびっくりしましたよ?」
「すまんすまん。俺は寮生活じゃなく、これからは実家から通うことにしたんだ。ここは勉強に打ち込むには誘惑が多いからな。受験に備えて今の内から勉強しておく為にも、実家から通う方が都合が良いんだよ」
クマさんも将来のことを色々考えているらしい。
俺はまだ想像も出来ないなぁ。
決まっている事と言えば野球を続けるってくらいしか考えてない。
「クマさんはどうするんですか? その、進路とか」
「大学に進学して野球を続ける予定だ。勉強もそれなりにやってきたつもりだし、いくつかの大学から声を掛けてもらえているからな。そこでもう一度、自分を鍛え直しながら野球をやるさ」
クマさんが大学でも野球をやると聞いて少しホッとしている自分がいる。
野球を辞めるっていうのも自由だけど、どういう形であれ続けて欲しいと思っていたから。
「そっか。なら、これからもグラウンドには顔を出してくれるんですよね?」
「ああ。毎日とは言わないが出るつもりだ。東はプロ志望を出すと言っていたし、他にも何人かは大学のセレクションを受けるやつらが残るな。お前らからすれば邪魔だろうけど、しばらくはよろしく頼むよ」
「ははっ、邪魔なんて思う訳ないじゃん。クマさんたちにも俺の練習相手になって貰えるんだし、好きなだけ居てくれて良いですよ」
今の三年生は強力な打撃力を持っているから、練習相手には最適なんだよね。
向こうも良い練習になるだろうし、まさにウィンウィンな関係というやつだ。
「身体はもう大丈夫なんだろう? 相変わらずデタラメなやつだ。あの時、もしかしたらお前が死んじまったと思ったんだぞ。ピクリとも動かなかったからな」
「日頃の行いが良いからね、俺は。頭にボールをぶつけられたくらいじゃなんともないですよ」
そうやって他愛もない会話をしていると、ふいに沈黙が訪れてしまう。
それまで楽しく話していた反動か、妙にしんみりした空気だ。
「クマさん、俺……クマさんと甲子園に行きたかったよ」
「……そうだな。俺もだ」
本当はこんなこと言うべきじゃない。
だって引退する三年生とは違って、俺にはまだ次があるから。
悔しさだって比じゃないだろう。
でも、一緒には行けなかった甲子園という舞台で暴れている俺を、クマさんには見ていて欲しいと勝手ながらに思うんだ。
「俺、次は必ず甲子園に行く。今度こそ日本の頂点に立ってみせるよ」
「ああ、頑張れ。お前なら行けるさ。あの舞台にな」
負けるのはもう御免だね。
特に、気が付いたら試合が終わってたなんてのは二度と経験したくない。