まだ日が出てからそれほど時間が経っていない朝方。
夏のこの暑い時期にしては涼しくて過ごしやすい時間帯に、俺は動きやすい服に着替えて準備運動を始めていた。
今日から軽いランニング程度なら自主練も許可してもらったんだよね。
もちろんあくまでも軽くなので、朝のランニングは気分転換くらいの感じで流すつもりでいる。
「はよー。ふぁ……まだ寝みぃよ。それにひきかえ、お前の方はこんな朝からもう元気なのな」
大きなあくびをしながら倉持が現れた。
倉持、そして御幸の二人も俺の朝練に付き合ってくれることになっている。
今日の練習は珍しく午後からしかないので、それもあって昨日から約束していたのだ。
「おっす、倉持。そりゃ俺は毎日早く寝てるからな。この時間に起きるのだって中学からの習慣になってるし、もうすっかり慣れちゃったよ。って、御幸はどうした?」
「あいつならまだ寝てるんじゃねーか? 昨日、また遅くまで稲実戦の動画を観てたみたいだし」
あ、そういえば俺はまだあの時の試合の映像を確認してないや。
どうせなら時間が有り余っていた入院中にでも確認しておけばよかったな。
まぁ正直、今振り返ってみてもデッドボールを避けれなかったこと以外は順調に投げれていたから、投球に関してはあまり反省点は無いと思うけど。
それでも一度くらいは確認しておいて損はない。
自分でも気付いていないミスを知らない内にしているかもしれないしね。
ちょっとの改善点でも見つけられたら儲けものだ。
「そっか。なら先にストレッチ始めてよーぜ。御幸もそのうち来るだろ」
「はいよ」
御幸はまだ寝ているらしいけど、俺たちは先に始めることにした。
二人いればストレッチとかもやりやすいし、わざわざ寮に戻って御幸を起こしに行くのもちょっとめんどくさい。
どうせピッチング練習は出来ないから寝かしといてやるとするよ。
今日は午前中に練習は無いしね。
飯の時間になっても寝ているようなら起こしに行こうかな。
「あ、そうだ倉持。今度の練習試合、お前ショートのスタメンに選ばれたんだって?」
「おう、そうだぜ」
「やったじゃん。ついに念願の正遊撃手。先輩を押し退けてその場所に立った感想はどうよ?」
「ヒャハ! まだまだ安泰とは言えねーし、実力的にも実績的にも正遊撃手なんて自分からは名乗れないけど、もう誰にもこの場所は明け渡すつもりは無いな。意地でも居座ってやるよ!」
ショートを守っていた三年の先輩が引退したことで、倉持は次の練習試合でスタメンとして出ることが決まっている。
見た限りでは変な気負いとかは無さそうだ。
これなら試合で自分の実力をちゃんとアピール出来るだろう。
倉持の野球センスは元々かなり高いし、落ち着いてさえいれば失敗することはほとんど無い。
このまま実績を積み上げて、着実にレギュラーの地位を確立していくんじゃないかな。
「その意気だ。あー、俺も試合に出たい。試合どころかピッチングすら出来てないけど」
「南雲が退院してからもう一週間くらいか。そろそろ許可が下りる頃じゃねーの。医者からはとっくの昔に大丈夫だって言われてんだから」
「そうだと良いんだけどなぁ……」
体力とか筋力はすっかり元通りになったと思う。
ただ、それでもまだピッチング練習はしていないし、試合なんて出る出ない以前の問題だ。
おそらく今日の練習試合でも俺の出番は無いだろう。
だから倉持がレギュラーに抜擢されて嬉しく思うと同時に、試合に出してもらえるこいつが羨ましくもある。
はぁ……良いよな、お前らは。
試合に出られて楽しそうでさ。
俺なんかその間ずっと基礎トレしてるんだぞ?
流石の俺でもいい加減そろそろ飽きてきたよ。
「ヒャハハ! 仕方ないだろ。監督がお前の状態を見て判断するって言うんだから」
「倉持からもそろそろ監督に俺を試合に出すように言ってくれ。このままじゃ試合の感覚を忘れちまう」
「捕手の御幸はともかく、オレが言ったところであんま意味ねぇよ」
「そんな事ないだろ。今や倉持は青道の正遊撃手じゃん。レギュラーの二人から口添えがあれば、監督だって少しは考えてくれるかもしれない」
「それはクリス先輩に頼め。余計なことを言ってレギュラーを外されたらどうすんだよ。お前なら、慌てなくてもすぐマウンドに戻れるさ。もう少しの辛抱だ……って、イテテ!?」
ストレッチの途中で思わず力を入れ過ぎてしまった。
わざとじゃないよ?
薄情者とは思ったけどね。
「おっと、すまんすまん。力加減をミスってしまったよ。ハハハ」
「……絶対わざとだろお前」
恨みがましく睨んでくる倉持に多少スカッとした俺であった。
うん、完全なる八つ当たりです。
そんなこんなで多少ふざけながら準備運動を終えた俺たちだったが、ストレッチが終わってもやっぱり御幸はまだ来ない。
これは完全に寝ているな。
うーん、仕方ないからあいつ抜きでランニングに行くか。
「あ、ランニング行く前に軽くキャッチボールでもしていかね?」
「キャッチボールってお前、投げるの禁止されてるんじゃないのか?」
「軽くなら良いって、ちゃんとクリス先輩と監督に許可を貰ってるよ。だから久しぶりにやろーぜ、キャッチボール」
許可を貰っているのは本当だ。
このままじゃ指先の感覚が狂うかもしれないと言ったら、軽くだぞと念を押された上で監督が許可してくれた。
「監督から許可を貰ってるんなら俺は構わねぇよ。御幸が来るまでやってるとするか」
ようし、流石は話のわかるやつだ。
そうと決まればさっさと準備しよう。
手入れだけは毎日欠かさずしていたグローブに指を通し、右手で久しぶりに硬球を掴む。
入院してから今の今まで、ほとんどボールに触ってこなかったら感覚がおかしくなっているんじゃないかと不安だった。
だが、久しぶりに握ったその硬球は、まるで自分の一部のように俺の手に馴染んできたのだった。