翌日、俺は練習が始まる前にノリと話してみる事にした。
つっても何を話すかなんて何も考えていない。
相手は同じ一年なんだし、変に気を使う必要も無いだろう。
そう思って俺はブルペンへ入っていく。
「あれは……ノリと丹波先輩か?」
すると俺よりも早くその二人がブルペン入りしており、何やら真剣な表情で会話をしているのが見えた。
中々に珍しい組み合わせの二人である。
丹波先輩って結構人見知りする性格だから、後輩と一緒にいる所はあんまり見た事がないんだよな。
いつもは大体クリス先輩とか宮内先輩とかと一緒にいるイメージだ。
反対にノリは誰とでも仲良くできるタイプ。
三年生とはあまり接点が無いからあれだけど、最近はよく一軍のグラウンドに来ているから先輩たちとも会話しているをよく見かける。
当然同学年とも関係は良好だったはず。
うーん、本当はノリと話すつもりだったんだけどこれはむしろ好都合か。
この際あの二人の会話に混ざればスムーズに話が進む気がする。
そうやってコミュニケーションを取りながら少しずつ距離を縮めていけば、アドバイスをするにしても悩み事を聞くにしてもやり易くなるだろうし。
捕手は御幸も含めてまだ誰も来る気配がなく絶妙に入り難い空気感が伝わってくるが、こんな所で隠れていても仕方ないから構わずに近付いて行く。
「ちわっす。二人とも随分と早いっすね。どうかしたんですか?」
と、俺がそう言って会話に混ざろうとするが、丹波先輩は俺を見るなりサッと視線を逸らしてしまった。
えぇ……。
これはもう人見知りではなく単純に俺が嫌われているだけなのでは?
御幸のこと笑えねーじゃん。
「南雲か。いや、別に何も――」
「丹波さん。南雲にもさっきの話を聞いてみたらどうですか? 俺よりも南雲の方がきっと良い案を出してくれると思いますよ」
「む……」
ノリの言葉に悩むような素振りを見せる丹波先輩。
でもさ、俺を見た瞬間にこの場を離れて行こうとするのはやめて欲しいよ。
いや、マジで。
俺だって傷付くんだからねっ!
まぁ、それはそうと丹波先輩には何か悩み事があるみたいだ。
先輩のことはクリス先輩たちに任せるつもりだったけど、直接相談されればその限りではない。
チームメイトとして出来る限りは協力するつもりでいる。
とはいえ、丹波先輩の性格的に俺からグイグイ行くのはたぶん逆効果だろうから、自分から話す決心をするまでは何も言わずにそのままジッと待つ。
気安く何でも相談してくれ、なんてことは絶対に言うつもりは無い。
「そう、だな。南雲にも出来れば相談に乗ってくれると有り難いんだが、どうだ?」
「俺で良ければ喜んで」
即答した。
元々そのつもりだったし、この流れで断るほど俺は鬼じゃない。
それに丹波先輩には今よりももっと成長してもらって、俺を脅かすくらいの存在になって欲しいと思っている。
競い合えるピッチャーが近くにいれば俺はもっと強くなれるだろうから。
「助かる。それじゃあ早速本題に入るが……お前は試合中に突然指先の感覚が無くなる事があるか?」
「指先の感覚、ですか?」
真っ先に思い浮かぶのは怪我。
人間の身体というのはとても繊細で、ちょっとした怪我でも侮れば致命的なものになる事がある。
指先の感覚が突然無くなるなんて普通じゃない。
まさか丹波先輩も怪我で離脱してしまうかも……という最悪のシチュエーションが脳裏によぎるが、それは他ならぬ本人によって否定された。
「一応言っておくが怪我ではないぞ。練習ではどれだけ投げてもそんな事にはならないし、おかしくなるのは試合中の、それも自分がピンチになった時だけだからな」
「ほっ、それはよかった」
いや、良くはないのか。
それにして指先の感覚が無くなる、ねぇ。
確かそんな感じの症状が俺の愛読書である『スポーツ科学の極意書』にも書かれていたっけ。
あれには色んな知識が詰まっているから、メンタルから来る不調とかについても結構詳しく載っていたんだ。
俺は一度見た内容を忘れないからしっかりと覚えている。
「俺は医者でもカウンセラーでも無いから、これから言うのはあくまでも本で読んだ知識っていうのを覚えておいてください」
「ああ、わかった」
コクン、と頷いたのを確認してから話を続ける。
「丹波先輩のそれは、恐らく精神的なストレスの所為だと思います。イップスの症状にとても良く似ていますね」
突然指先の感覚が無くなるが、練習では全くその症状は現れない。
そしてピンチになったら現れるなんてまさにそれと同様の症状が例として記載されていたよ。
あの本に絶大な信頼を寄せている俺は丹波先輩がイップスであると判断した。
「俺は別にストレスなんて感じてないぞ?」
「でもまだあの時の試合、引きずってますよね」
「ッ!」
あ、やべ。
ストレートに言い過ぎた。
もっとオブラートに包むべきだったな。
「あー、今のはちょっと無神経でした。すいません」
「……いや、その通りだ。まだあの時の試合が夢に出てくる。自分の所為でチームが負ける悪夢を何度も見た。考えないようにしていたが、言われてみれば確かにそれをストレスに感じている。話を続けてくれ」
「あ、はい。それじゃあ続けますね。精神的なものから来る身体の不調というのは、普通の怪我とは違って治り難くて厄介らしいです。なんせ明確な治療法が存在しないですから。ある日突然治ることもあれば、何年も治らない事だってあるみたいです」
「何年も……」
俺の言葉に丹波先輩はショックを受けているようだった。
数ヶ月もすれば大会が始まるというのに、自分の不調が何年も治らないかもしれないと聞けばそうなるよな。
「な、何かないのか南雲!?」
と、何故か先輩ではなくノリが一番慌てている。
「まぁ落ち着けって。治療法が無いからと言って、別に治らないって訳じゃないんだ。要は野球に対する考え方を変えてみれば良いのさ」
「どういうことだ?」
「これはノリにも言える事だけど、試合中に野球を楽しむ気持ちを忘れるっていうのはそれだけ自分に余裕が無いって事です。丹波先輩、ちゃんと野球を楽しんでいますか? 一度小難しいことは考えずに、ただ野球を楽しむつもりで投げてみればどうでしょう。先輩たちだってそれくらい許してくれますよ。それに意外と肩の力が抜けて、いつもより調子良く投げられると思います」
別に笑いながら野球をしろって言っているわけじゃない。
ただ、チームの為だとかそういうのは一度置いておいて、純粋に野球を楽しみながらマウンドに立ってはどうかと提案しているんだ。
張り詰めた状態で投げても良い結果は残せない。
悩んでいるのなら童心に帰ってみるのもアリだと俺は思うよ。
小さい頃は野球をストレスに感じることなんて無かった筈だし。