ダイジョーブじゃない手術を受けた俺86

 南雲と御幸のバッテリーが一軍メンバーを容赦なく蹂躙している頃、太田や高島を含めた青道の首脳陣は部室に集まり、今後の練習方針について話し合いをしていた。

「試合まで時間は無い。だが、あまり根を詰め過ぎれば選手たちに怪我をさせてしまう。だから今まで通りの練習から大きく変えない方がいいだろう。稲実戦に向けて多少メニューを変更するが、あくまでも今日からは調整をメインにするつもりだ」

「そうですね。過去にも過度なトレーニングによって身体に負担が蓄積し、結果的に大きな怪我を負ってしまった選手もいます。鼓舞することはもちろん必要ですけど、調整をメインにするという監督のお考えには私も賛成です」

「ウチの選手たちはみんな真面目ですから。私たちがしっかり見てやらないと、気持ちが空回りして無茶な練習をしてしまうかもしれませんよね」

 ただ、この場にいる者たちの表情はいつもより暗かった。
 外から聞こえてくる部員の声とはひどく対照的で、彼らがいるこの部屋の中だけ別世界のようにどんよりとした空気が流れている。
 少し前まで練習試合で連戦連勝だと喜んでいた太田でさえ、今日ばかりはいつもより元気が無い時の方が多い。

「本当ならチームの地盤がしっかりと固まるまで、まだまだ時間はある筈だったのに……」

 ポツリと、太田が口にしたその言葉に落合が反応する。

「ええ、私もまさか初戦の相手が稲実とは思いませんでしたねぇ。こればかりは不運としか言いようがない。もちろん、それは稲実側にも同じ事が言えるでしょうけど」

「稲実も、ですか? 向こうはむしろ早目にこちらを叩けると思っているのでは? あ、いえ、別にウチが劣っていると言っている訳ではありませんよ。しかし現に、夏の大会ではこちらが負けていますし……」

「あの試合は南雲が退場していなければ流れも変わることは無かったでしょう。個々の実力では決して負けてない、どころか青道の方が上なのではないでしょうか」

「そ、そうなんですか!?」

「ええ。そして、それは新チームになった今でも変わらんでしょう。むしろ――今ならほぼ間違いなく青道の方が強い筈だ。ですよね、片岡監督?」

 もの凄い勢いで顔を向けてくる太田と驚いたような表情を浮かべている高島。
 苦戦すると思っていた稲実を相手に、指導者として経験豊富な落合が勝てるとはっきり口にしたのだから当然だ。
 そして、尋ねられた片岡は腕を組みながら口を開く。

「落合さん。あなたが言っているのはあくまでも南雲が登板したら、ということですね」

「はい」

 即答する落合に対し、片岡は一瞬の間を置いてから再び話し始める。

「……確かに、万全の状態の南雲を登板させれば稲実にも恐らく勝てるでしょう。どんな強打者相手だろうと今の南雲が打たれるとは思えない。あれは高校生のレベルを遥かに越えていますから」

 同様に勝利を口にする片岡の言葉に息を呑む太田と高島。
 実は片岡と落合は勝敗に関してそこまで心配はしていなかった。
 もちろん相手は同じ地区の強豪である上に、勝負の世界に絶対という言葉が無い以上、勝利を確信している訳ではない。
 だが、限りなく高い確率で稲実との試合に青道が勝利するだろうと、この二人は予想していたのだ。

「えっと、ならばなぜ選手たちを煽り立てることを言ったんですか? 今のままで十分に勝機があるのなら、予定通り試合に向けて調整をするだけでも良かったのでは?」

 太田の言っている事も尤もである。
 そこまで青道の勝ちに自信があるのならば、もっと他の言い方があったはずなのだ。
 選手たちを追い込むような言葉ではなく、安心させるような言葉が。

 すると、高島がハッと何かを思いついたような表情を浮かべる。

「――青道を南雲君のワンマンチームにしないため、ですか?」

 それは彼女が以前から懸念していた事でもある。
 今もなお成長を続ける南雲を見ていると、高島はふと心配に思う時があるのだ。

 このままでは南雲 太陽という絶対的なエースの存在が、青道の全てになってしまうのではないかと。

 大きすぎる光は周囲を丸ごと呑み込んでしまう。
 南雲の才能はそれだけ眩しい光を放っており、それは良くも悪くも周囲に影響を及ぼすだろう。
 今はまだその兆候は見えていないが、このままでは青道というチームそのものが南雲の才能に押し潰されてしまう恐れがあった。

 自分の思い過ごしであればそれで良い……そんな期待を抱きつつ、高島は緊張した面持ちで片岡の目をジッと見つめる。

「その通りだ」

「っ!」

 高島は自分の懸念が間違っていなかったことを知り絶句した。

「あの、南雲のワンマンチームになる事がそんなに駄目なんですか?」

 と、ここでいまいち話の内容が読めていない太田がそんな質問をする。

「駄目、という訳ではない。だが、そうなってしまえば他の選手たちの成長はあまり望めなくなってしまう。文字通り一人だけが輝くチームになってしまうんだ」

「個人的にはそういうチームも悪くないとは思いますけどね。南雲の実力を考えればそっちの方が強いチームになる可能性もありますし。ただ、そういう方針を取れば間違いなく他の選手たちの士気に影響してくるでしょう。上手く折り合いを付けられる者が多ければ良いですが、下手をすれば部自体が崩壊しかねませんねぇ」

「ほ、崩壊……」

 物騒な言葉が飛び出した事で顔を青くする太田に、落合は『まぁ、あくまでもこれは例えばの話ですよ』と付け加える。
 重い空気の中、外から聞こえてくる部員たちの声だけが部屋の中に響いていたのだった。

 

 ◆◆◆

 

 場所は変わって稲城実業高校。
 落合が指摘していたように、稲実側もまた初戦の相手が青道だと発表されて動揺が広がりつつあった。
 稲実は夏の大会で青道に勝利している。

 なのでそこまで不穏な空気は漂っていない……訳ではない。

「……鳴のやつ、いつまで引きこもっているつもりだ?」

 稲実の新キャプテンであるキャッチャーの原田 雅功はもう一度大きくため息を吐いた。

 夏の大会で稲実は青道を降した後、そのまま決勝戦に勝利して甲子園への出場を決めたのだが、残念ながら三回戦目で惜しくも敗退してしまっている。
 そしてその負けた理由というのが問題で、成宮の暴投によって稲実はサヨナラ負けを喫してしまったのだ。

 自分の暴投の所為でチームが負けてしまったというのがよほどショックだったのだろう。
 それっきり成宮は自室へ引きこもっていた。
 学校が始まってからは授業に出るために外へは出てくるようになったが、練習はおろかグラウンドに近付きすらしようとしないのだから重症である。

(どうしたもんか。キャプテンとして何か声を掛けてやるのが正しいんだろうが、なんて言えば良いのかなんて全くわからん)

 傍若無人、傲岸不遜、唯我独尊。
 そんな言葉が浮かんでくるのが成宮 鳴という男の性格だ。
 ピッチャーというポジションにはそういった性格も必要なので必ずしも悪い意味ではないが、何よりも自分の力に自信を持っていたのは言うまでもない。

 今回はそれが悪い方に出てしまい、成宮は今でもずっと自分を責めているのだろう。
 挫折を知った今の彼には自分と向き合う時間が必要だ。
 稲実の監督である国友もそう思って彼を放置していた。

 しかし、もはやそんな悠長な事を言っていられなくなってしまった。

 何故なら初戦から青道と戦うことになったのだ。
 青道は強い。
 それこそ、今の自分たちでは自信を持って勝てると言い切れないほどに。
 勝つためには成宮の力が絶対に必要である。
 青道に南雲という絶対的なエースがいるように、稲実にも成宮というエースの力が。

「一度、あいつと直接話しに行くか」

 途方に暮れ、原田は天を仰いだ。
 彼の気持ちとは裏腹に空は綺麗な快晴で、太陽が嫌なくらいに彼を照らしていた。

 

   

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