「サードッ!」
打球は鋭い当たりのまま、サードの頭を越えそうな勢いで一直線に飛んで行く。
三塁を守っているのは増子先輩。
彼が左腕を精一杯伸ばしてながら横っ跳びしている姿が一瞬見え、『抜けろっ!』と珍しくクリス先輩が荒々しく声を上げたのが聞こえて来た。
頼む、捕ってくれ!
心の中で思わずそう願いながらその光景がスローモーションのように流れていく。
そしてパシンッという音が鳴り、ボールがグローブの中に収まっているのが見えた。
「ナイスッ!」
増子先輩は見事打球を掴んだのだ。
これでこの勝負は俺の勝ち。
安堵と喜びが同時に溢れ出てくる。
──しかし、そんな喜びも一瞬だけだった。
「うが!?」
一度は増子先輩のグローブの中に収まったのだが、あまりに勢いが付き過ぎていたその打球はグローブごと吹き飛ばしてしまうだけの威力を持っていたらしい。
先輩の手からグローブを弾き飛ばし、ボールは地面を転がっていく。
増子先輩は慌てて拾ってファーストへ送球するも、その間にクリス先輩は一塁ベースを駆け抜けていた。
……マジか。
俺が投げた球は間違いなく最高の直球だった。
少なくともバットを持つ腕がプルプルと震えてしまうような、限界を迎えている状態で打てるようなものではないことは確かだ。
それをあんな強烈な打球で打ち返すなんて、正直信じられなかった。
俺と御幸の想定をクリス先輩が気合で覆した、という事だろう。
『うおおおぉぉぉぉ!!!』
思い出したように周囲から歓声が沸き起こる。
皆、クリス先輩の復帰を心から祝福していて、ついさっきまで俺が押していた時はお通夜みたいに静かだったくせに今は大声を出して喜んでいた。
むぅ、俺が負けたってのにみんなで喜びやがって。
守備についていた人まではしゃいでいるのは流石にどうかと思うぞ。
これじゃあ悔しがっている俺が空気読めない奴みたいになるじゃんか。
「……負けちまったな。すまん、あそこは真っ直ぐじゃなくて変化球でタイミングをずらせば良かった。俺のミスだ」
俺がマウンドの上で拗ねていると、御幸が駆け寄って謝って来た。
「いんや。さっきのクリス先輩ならどんな球でも打ち返してきたと思うぞ。それこそ、高速スライダーかスプリットを投げていなければ無理だったさ」
あれが打たれるんなら何を投げても多分打たれてた。
あの場面で確実に打ち取る為には高速スライダーかスプリットが必要だったけど、実は勝負の前にその二つは投げないと俺が御幸に伝えておいたのだ。
その二つを使えばクリス先輩の実力を正確に測ることは出来ないからな。
あれは初見で打てるような代物じゃない。
だからあくまでも試験という括りから逸脱しないように、今回は封印して他の球種だけで臨むことにしたんだ。
ただ、もちろん手は少しも抜いていない。
俺は間違いなく本気で戦って、そして負けたんだ。
悔しい気持ちは当然あるけどそれ以上に……楽しい勝負だったと思う。
今すぐにでも再戦したい所ではあるが、これ以上先輩の腕に負担を掛けて無理をさせるのは論外だ。
だからリベンジは大会が終わって一息ついた頃にでもするかな。
それまでは勝ち逃げを許すしかなさそう。
「……ごめん、南雲ちゃん」
おっと、今度は増子先輩が謝って来たか。
「いやいや、増子先輩があそこで止めてくれなきゃ綺麗にレフトまで運ばれてましたからね。謝ることなんて全く無いっすよ。むしろナイスプレーでした」
これは事実である。
実際にあれは誰が見てもエラーじゃなくてヒットだった。
それをもう少しでアウトに出来そうなプレーをしたのだから、増子先輩が謝る必要はない。
「うが! 安心してくれ南雲ちゃん! これからバッティングと同じくらい守備練習にも力を入れるから!」
「ははは、それは頼もしい。守備が固くなれば青道はもっと強くなれそうですね」
本当に増子先輩の所為ではないんだけど、本人がやる気になったのであれば変に口を出さない方が良いだろう。
「……もっと強くならないとな」
気づけば俺はそんな言葉を呟いていた。
あーあ、最近は哲さんにもほとんど負けてなかったのにな。
そりゃクリス先輩が復帰するのは素直に嬉しい事なんだけど、それとこれとは話が別である。
現状で満足するな、という教訓にでもするしかない。
今度は正真正銘、俺の全てを使って勝負したいぜ。
こうして、俺の久しぶりの敗北の相手はクリス先輩となったのだった。