御幸に気を取られている間に倉持がヒットを打ったようだ。
すぐにグラウンドに視線を向けると、ちょうど打球がセンター前に落ちてクリーンヒットになる所だった。
おぉ、ナイスバッティングだぜ、倉持!
それによってクリス先輩が三塁へと進塁し、これでノーアウト、一三塁……ではない。
「三塁も蹴ったぞ!」
「あの足ならボールが返ってくるよりもかなり早くホームに着く! ついこの間までリハビリしてた筈なのに、マジでどうなってんだ!?」
打球がセンター前へと落ちた時には、既にクリス先輩は三塁ベースを蹴ってホームへと突っ込んで来ていた。
スタートを切るタイミングが良かったのか、センターからの送球が返ってくるよりも数秒早く先輩の足がホームへと届きそうだ。
倉持レベルの俊足ではないけど、あれなら青道のレギュラー陣の中でもトップクラスに入る速さじゃないか?
そして、そのまま無事に滑り込みセーフ。
待望の先制点を鮮やかにもぎ取った。
得点のキッカケを作ったのがクリス先輩だったというのは二年生組にとってかなり盛り上がる事だったらしく、一気にベンチ内の士気が高まった気がする。
伊佐敷先輩なんて戻って来たクリス先輩の背中をバンバン叩いて激励していた。
「うおぉー! ナイスランだ、バカヤロー!」
クリス先輩はその祝福を嫌そうに、しかしどこか嬉しそうに受けている。
「伊佐敷、この回はまだ終わっていない。あと二点くらいはもぎ取るぞ」
「あったりめぇだ!」
決して悪くは無かった球場の空気が、より一層俺たちに傾いてきているのを感じる。
ここで一気に畳み掛ければ試合が決まるかもしれないな。
無論、俺は点をくれてやるつもりは無いから今の時点で半ば勝利を確信しているけど。
「……って、あの野郎いつのまにか走ってやがったんだ!?」
グラウンドの様子を見た伊佐敷先輩が突然そんな声を上げた。
「ヒャハハ! シングルヒットがツーベースに早変わりだぜ!」
一塁に居た筈の倉持が、相手がバックホームしている合間に二塁へと到達していたのだ。
俺はしっかり見ていたぜ。
相手が点をやるまいとバックホームする前から、あいつは走り出す準備をしていた。
野生の嗅覚というべきか、倉持は進塁するかどうかの見極めがかなり正確である。
さっきのも横目でセンターの動きを確認しながら機会を窺い、隙を見つけてスタートを切ったんだ。
走塁に関してはマジでセンスしかないな、あいつは。
「やれやれ、ひどい目にあった」
「あ、クリス先輩。お疲れ様です。ナイスランでした」
すると、少し疲れたような顔をしたクリス先輩が乱れていた髪を手で直しながらやって来た。
三番バッターである御幸と入れ替わる形でベンチに座る。
「ああ。倉持が上手く合わせてくれて助かった。ランナーが一塁にいるか二塁にいるかとでは大きく違ってくるからな。流石はウチの一番バッターだ」
「ははっ。それ、本人に直接言ってやってくださいよ。多分めっちゃ喜びますよ。てか、あんなに走れるんなら次の回からキャッチャーでもいけるんじゃないですか? あのバッティングと走りを見れば、誰も怪我してた人とは思わないっすよ」
「フッ、そう言って貰えるのは嬉しいがな。流石にそれは無理だ。まともな練習も無しに、お前の球を受けるなんて無謀でしかない。だから、御幸からポジションを奪うのはもう少し先になる」
お、やっぱりポジションを御幸から奪う気満々って感じだな。
二人が競い合ってお互いに高め合うのは大歓迎だし、俺もそれに負けないように前に進まなければならないと思うから気合が入る。
「先輩と試合でバッテリー組むのも楽しそうっすね。でも──」
入学時点であればパートナーを選ぶなら間違いなくクリス先輩を選んでいただろう。
キャッチャーとしての技量もセンスも、全てが他の捕手よりも遥かに優れていたからな。
今まで出会った中でもダントツの一番だったと思う。
始めて先輩のミットへ投げ込んだ時の感覚は今でも鮮明に覚えているくらいだ。
「御幸も結構やりますよ。入学した時と比べると、別人かと思うくらい成長してます。今なら勝つのがどっちが勝つのか、正直俺にもわかりません。羨ましいくらい良いライバルだと思いますよ」
御幸の成長速度は凄まじい。
俺の球を捕ろうと必死に食らいついてきたのはあいつが二人目だ。
そして、今の俺の全力をしっかりと受け止められるのは高校だと御幸くらいだろう。
忠告、という訳ではないが、それだけは先輩に知っておいて欲しかった。
この二人には常に競い合う存在でいてもらいたいから。
それと、最近ふと気付いた事がある。
俺の高速スライダーとスプリットは未だに誰にも打たれた事はない。
練習ではようやく哲さんが辛うじてバットに当てる事が出来るようになってきたが、それでもファールにするのが精々だった。
だが、もしかすると御幸なら俺の球を打てるんじゃないかと感じることがある。
誰よりも多く俺が投げる球を見てきたあいつなら、その可能性は十分にあるだろう。
「……楽しみだな、それは」
俺の呟きは誰の耳にも届くことなく、周囲の音にかき消えていった。