ダイジョーブじゃない手術を受けた俺109

『初回の裏、青道高校のマウンドに上がるのはやはりこの男。南雲 太陽です!』

 マウンドを踏みしめてみた感触は悪くない。
 球場によっては極々稀に違和感がある場合もあるんだけど、いつもより身体軽い気がするし、今日は何も問題なく思いっきり投げられそうだ。

 それに客席からの声援がよく聞こえる。
 俺を応援する声、青道を応援する声、市大三高を応援する演奏、様々な音が場内を飛び交っていた。
 スタンドから聞こえてくるものを全て俺の歓声に変えてやりたい気分だった。

「南雲、準備は良いよな? さっきの攻撃でよくない流れが来てる。だから、ここは景気良くド派手に頼むぜ?」

「おう。そういうのは俺の得意分野だ。任せとけ」

「ははは、そう言うと思った。さっきから早く投げたくてウズウズしてるって顔してるぞ、お前」

「やっぱわかる? 実はさ、ほんの少しだけ味方の攻撃が長いとすら思ってたよ」

「おいおい、それはどうなんだ?」

「わかってるよ。半分くらいは冗談だ」

 半分くらいは、ね。
 当たり前だけど他のチームメイトには絶対言わないから大丈夫。

 さぁ、俺のピッチングを始めようか。
 こっちは一週間前から待っているんだぜ? 
 流石にもう待ちきれないよ。

 審判が開始の合図を出し、御幸のサインに俺は一発で首を縦に振った。
 グローブの中で球を転がしながらしっくりくる指の位置を見つけ、ゆっくりと大きく振りかぶりながら自分の投球フォームをなぞっていく。
 身体中の血が沸騰しているみたいに熱いのに、頭の中だけはすっきりしている妙な感覚だ。
 こういう時は最高のピッチングが出来るんだよな。

「──フッ!」

 そうして俺の指先から硬球が放たれた。
 強烈なスピンがかかったボールは空気を切り裂きながら突き進み、そのまま御幸のミットに音を立てて突き刺さる。
 ストライクゾーン低めに決まったその球は、相手にバットを振らせる事すらさせなかった。

「……す、ストライクッ!」

 すると、観客席からもざわめきが聞こえてくる。
 打者も驚いたような表情を浮かべながら俺の後ろの方に視線を向けていた。
 一体どうしたのかと思いバックスクリーンを見てみると、そこには『156キロ』と自己最速を更新した数値が映し出されていたのだった。

 

 ◆◆◆

 

 空気が振動しているかのような音が響く。
 ドスン、ドスンと、キャッチャーミットにボールが投げ込まれる度に、身体の奥底に響いてくるような鈍い音がしているのだ。
 更にバッターが空振りする度に観客席からは歓声が巻き起こっており、球場全体があのピッチャーの背中を押しているかのように錯覚してしまいそうになる。

 市大三高の選手たちは、先ほどのピンチを無失点で切り抜けたことで勢いはこちらにあると思っていた。
 思わず失点を覚悟してしまいそうな場面だったが、味方のファインプレーによってそのピンチを脱することが出来たのだ。
 事実、それによって市大三高はかなり勢い付いた筈だった。

 だが、そんな淡い希望はマウンドに君臨しているあの男に無慈悲にも打ち砕かれる。
 試合の流れなんて関係ないと言わんばかりのあの投球によって。
 もし仮に勝利を呼び込むピッチングというものがあるのなら、いま実際に目の前で行われているものが一番それに近いだろう。

「あれで一年とか冗談も程々にして欲しいぜ……。156キロの速球を投げる投手なんて、甲子園でもそうは居なかったぞ?」

 彼らは数々のピッチャーを見てきた。
 それこそ、高校野球最高峰の舞台である甲子園で優れた才能を持つピッチャーと幾度となく戦って来たのだ。
 その度に打ち崩し、試合に勝利し、それらが自信となっている。

 しかし、だ。
 今マウンドに上がっているのは、これまで対戦してきたどんな相手よりも手強いと断言できる。
 打席に立つ前から弱気になったのは今回が初めてのことだった。
 ベンチに言葉では言い表せないような重い空気が流れ、まだ初回同点の状況であるにもかかわらず、大差で負けている時のような絶望感が広がっていた。

 すると、誰かがパンッと手を叩いた。

「──確かにあのボーイは凄い球を投げているが、相手はユーたちと同じ高校生。しかもまだ一年だ。回を追うごとに付け入る隙は必ず出て来るだろう。ユーたちはユーたちの野球をすれば良いさ」

 俯いていた選手たちが僅かに顔を上げる。
 市大三高の監督である田原のその言葉によって、チーム内に漂い始めていた嫌な空気が少しだけ霧散した。

 しかし、エースである真中だけは険しい表情のままだった。

(あいつからはそう何点も取れやしないだろう。奇跡が起こったとしても一、二点といったところだろう。もしも俺が先に点を取られたら……確実に負ける)

 誰もその事は口にしないが、市大三高の誰もが理解していた。
 自分たちが青道に勝つ為には一刻も早く先制し、そのまま9回まで逃げ切るしかないのだと。
 暗黙の了解とも言えるそれは、真中に容赦なくプレッシャーとしてのしかかっていた。

 これまでの試合で真中はエース番号を背負って投げ抜いてきたし、それ以前にだって何度もマウンドに上がってきた実績と経験がある。
 最初こそ上手くいかない事が多くあったが、障害を全て乗り越え成長して来たのだ。

 だが、ここまで背中の番号が鉛のように重く感じたのは初めての経験だった。
 そしてこの回は三者連続三振という形でチェンジとなる。

 

   

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