今日の日付は3月26日。
高校球児であれば誰もが立ちたいと思う最高の舞台──甲子園が開幕する日である。
夏のように容赦なく降り注ぐ太陽の光は無く、春の過ごしやすい気温で球場の状態はプレーする選手達にとって絶好のコンディションが整っていた。
『6年ぶりの甲子園、センバツ出場は実に8年ぶりの6回目。榊前監督からチームを引き継いだ片岡監督としては二度目の夢舞台──』
片岡 鉄心という選手の名前は未だに多くの甲子園ファンの記憶に残っている。
かつてはエース番号を背負って青道高校を牽引し、その闘志溢れる投球スタイルから『魂のエース』とまで言われている選手だ。
そんな彼が監督として再びこの舞台に舞い戻ってきたのだから盛り上がらない筈がない。
更に今の青道には期待の一年生エースがいた。
夏の大会からエースとして君臨している彼は既に多くの高校野球ファンの間で噂になるほどだ。
甲子園に出場するのは今回が初めてだが、話題性や注目度で言えば既に高校野球でトップクラスの選手である。
実績という点では他の高校に一歩劣る青道高校だが球場には彼らを応援する声が多くあった。
そして、青道高校側のベンチからその選手が登場したその瞬間、観客席から一際大きな歓声が巻き起こる。
『一年生にして絶対的なエース……南雲 太陽がゆっくりとマウンドへ上がります!』
あちこちから聞こえてくる歓声に表情ひとつ変える事なくマウンドに上がる南雲。
甲子園のマウンドは彼にとってこれが初めての筈なのだが、この大舞台でも非常に落ち着いているように見えた。
むしろこの場所は自分の領域だと言わんばかりの堂々たる立ち振る舞いである。
その姿を見てエースを信じて送り出した片岡は、早くも自分の選択が間違っていなかった事を密かに確信した。
甲子園の空気に萎縮してしまう選手は珍しくないが、マウンドに立っても普段通りでいられる投手は珍しい。
南雲は後者であるようだ。
あの大きな背中にはエースの風格すら感じさせられる。
そして相手チームの一番バッターが打席に入り、審判がプレイボールを告げた。
南雲はマウンド上で大きく振りかぶる。
ゆっくりと自身のフォームなぞっていき、右腕をしならせながら全身の力を利用して指先から白球を解き放った。
スドンッ、と。
会場に低く響く異様な音。
バックスクリーンに表示された球速は『156キロ』だった。
しかもバッティングマシーンのように無機質ではなく、唸りを上げながら生き物のように迫ってくる球自体が怪物のような球である。
そんなボールに恐怖を感じない者はいない。
バッターも果敢にバットを振っていくも無意識に腰が引けており、三球で簡単にアウトにされてしまった。
『さ、三球三振ッ! 青道の怪物が甲子園球場で産声を上げたぁ!』
圧巻のピッチングである。
甲子園という高校野球で最高峰の場所に出場しているチームの一番バッターは当然だが並みの打者ではない。
しかし、その強豪相手にバットに掠らせることすら許さない南雲は一体何なのか。
投げ込む度に観客席からは大きな歓声が起こり、それに気を良くした南雲はどんどん調子を上げていく。
その後も捕手である御幸のリードの下、フォーシームだけではなくツーシームや多種多様な変化球やオフの間に磨いていたカーブも織り交ぜながら三振の山を築いた。
恐ろしいのは回を重ねる毎にボールのキレが増していることだろう。
160キロに迫る速球だけでも厄介であるのに、その上変化球まで一級品となれば高校生には少し荷が重い。
『──またもやバットが空を切り、空振りの三振! これで8人連続の三振を奪っています!』
実況の声にも力が入っている。
気付けば試合は7回の裏、ここまでのヒットはまさかのゼロ。
ほとんど全ての打者を三振で仕留めており、スタミナ切れの気配もまったく無いと来れば相手陣営の勝気を奪い去るのに十分だった。
南雲のピッチングに勢い付けられた青道打線もしっかりと仕事をし、キャプテンである結城のソロホームランを含めて5点のリードをしている。
これだけの点差があればエースを温存しても十分勝てると判断したベンチは8回、南雲をレフトへ下げて丹波をマウンドに上げた。
「……むぅ。あと2イニングなら俺に投げさせてくれても良かったじゃん」
不満げな表情を隠そうともしないのはご愛嬌。
リリーフとして登板した丹波はいくつかヒットは打たれたものの、失点はゼロで2イニングをしっかりと抑えてみせた。
ピンチになればすぐにでもマウンドに戻ると息巻いていた南雲だったが、結局その出番は最後まで来なかった。
完封という力の差を見せつける形で勝利を収めた青道。
そして、南雲 太陽の名は甲子園という最高の舞台で自身の実力を示した事により、今までよりも多くの野球ファンの間で知れ渡ることになるだろう。
青道高校の快進撃はこうして始まった──。