甲子園の初戦を華々しく勝利した我らが青道高校。
今、俺たちはバスで移動して宿泊先のホテルに到着していた。
そして試合用のユニフォームから過ごしやすいラフな格好に着替え、試合の疲れもあって俺はすぐさまベッドへとダイブする。
「よっ、と。うーん、やっぱ寮にある二段ベッドとは柔らかさが全然違うな。このまま寝てしまいそうなくらいだ……」
疲れた身体にフカフカのベッドは相性が良すぎて、一瞬でも気を抜けばそのままぐっすり眠ってしまいそうだった。
センバツ大会が開催されている期間中はずっと同じ場所にお世話になるんだけど、従業員の方も親切な人ばかりだったし、とても快適なホテルで大満足である。
今日の俺の成績はかなり良かったし、気持ちよく眠れそうだ。
対戦相手は決して弱いチームではなかったが、7回までは完全試合を達成したんだからな。
このオフの間に新しく覚えたカーブもちゃんと通用していたし、途中で変えられてしまった時は不機嫌になってしまったけど、この先で更に強いチームを相手に投げられるんだから我慢は出来る。
ま、俺がカーブで三振を取る度に、決め球がカーブである丹波さんは微妙な顔をしていたけども。
そして、次の試合は3日後だ。
その試合で俺が登板するかどうかは分からないけど、明日からはそれに向けて近くの練習場を借りてトレーニングすることになる。
ただ、トレーニングと言っても身体が鈍らない程度に動かしておく程度の練習メニューなので、俺の仕事としては試合の疲れを取る事が優先だ。
「別に寝ても良いけどよ、あと一時間もすれば夕飯だぞ。ちゃんと起きれんのか?」
「むむっ」
二人部屋の同室となった御幸の声によって朧げだった意識が戻ってくる。
横になっただけでここまで眠気が襲ってきているくらいだから、このまま寝てしまえばきっとちょっとやそっとでは起きられないだろう。
睡眠も大事だけど食事も大事。
俺は名残惜しい気持ちがを振り切るようにベッドから跳ね起きた。
「それじゃあ眠気覚ましに身体でも動かしてくるか。試合の後でも、素振りくらいならやっても問題ないだろ」
流石に今からランニングをしようとは思わないが、軽くバットを振るくらいであればいい暇つぶしになる。
そう思ってドアの方に向かう俺に御幸が待ったを掛けてきた。
「待て待て。さっきまで試合で投げてたんだから、お前は今日はもう何もするな。素振りでも駄目だぞ」
「……だったら俺にどうしろと?」
眠るのも起きれなくなるから駄目で、身体を動かすのも当然ながら駄目、と。
そんなもん拷問じゃねぇか。
このままジッとしていれば1分も掛からずに夢の世界に旅立ってしまう自信があるぞ。
「だったら温泉にでも入ってこいよ。今の時間帯なら人は少ないらしいし」
「温泉?」
「ほら、これだよこれ」
そう言って御幸は部屋に置いてあったパンフレットを渡してきた。
それによればなんとこのホテルには天然温泉があるとのこと。
パンフレットには温泉の効能がずらっと書かれており、疲労回復やら血行促進など身体に良い効果をもたらしてくれると書いてあった。
ふむふむ、これはもう今すぐ行くしかないな。
どうせ今日は登板したから飯の後でも自主練は全部禁止だし、疲れを取るためにもじっくりと温泉を堪能しようではないか。
「じゃあ早速温泉に入ってくる!」
そこからの俺は早かった。
準備を整え、着替えとタオルと財布を持っていつでも行ける状態になる。
温泉と聞いてテンションが上がったから眠気も多少はマシになったし、これなら飯までの時間くらいは起きていられるだろう。
「飯の時間にはちゃんと戻って来いよ。あと、体調崩すかもしれないからあんまり長湯は駄目だからな?」
「おう! てか、御幸は来ねーの?」
「俺はまだいいや。飯食ってから少しバットを振っておきたいし、風呂に入るのはその後にするよ」
「ふーん、そっか。それじゃあ俺は行ってくる」
「因みに温泉は別館の一階にあるらしいから、一度フロントまで降りてそこから別館の方に移動した方がわかりやすいと思うぜ」
「さんきゅー」
そうして部屋から出た俺はとりあえずエレベーターの所まで行き、言われた通り一階のフロント行きのボタンを押す。
そして逸る気持ちを抑えながら案内表示に従ってホテル内を歩いていくと、男女で分けられた赤と青色の暖簾が見えてきたのですぐに温泉の場所はわかった。
もちろん男湯の方に入り、ロッカーに着替えと荷物を突っ込んでから浴場内に入っていく。
「おぉ、こりゃ凄い」
もっと狭いかと思っていたけど、外には露天風呂もあるし、想像以上の広さと湯船の種類があった。
やはりこのホテルは当たりだな。
宿泊先はランダムで割り当てられるみたいだけど、もしかしたらその中で一番良いホテルを引き当てたかもしれないぞ、これは。
この後の食事にも益々期待が高まるというものだ。
身体を洗って、まずは一番近い湯船に浸かる。
「あぁ……身体に沁みる……」
温泉に肩まで浸かった俺はそんなおっさんみたいな声を出してしまった。
時間帯が良かったのかだだっ広い温泉に入っているのは俺を含めて数人だけで、今は人目を気にせずゆっくりとしていられるからとてもリラックスできる。
「アー、コニチハ?」
と、思っていたら急に誰かに話しかけられた。
目を開けるとそこにはふくよかな体型をした初老くらいの男性がいる。
青い目で白い肌ってことは外国人かな?
どこの国の人かまでははっきりとは分からないけど、何となくアメリカの人っぽい。
「──!」
「うん?」
その人は俺になんとか身振り手振りで意思疎通しようとしてきているが、残念ながらよくわからなかった。
これを無視できるような冷たい人間でもないので、この人に英語が通じますようにと願いながら高島先生仕込みの英語で話しかける。
『英語は話せますか? 少しなら、わかりますけど』
高島先生の授業だけは一切寝ることなく真面目に受けてきたから、俺は高校生にしてはそこそこの英語力を身に付けていた。
ネイティブの人が聞けば発音がおかしかったりするだろうけど、それでもこの人の日本語よりはマシな筈だ。
まぁ、それがこんなところで役に立つとは思わなかったが。
『ワタシ、貴方の大ファンです!』
そして、俺が英語で話しかけると先ほどの焦った様子から一転し、初老の外国人男性は笑顔を浮かべてそう言ってきたのだった。