沢村を見送った俺は、食堂でいつも通りノルマであるどんぶり飯を3杯を平らげたのだが、今日が初めての一年は苦悶の表情を浮かべながら飯を無理やり押し込んでいるような状態だった。
実に懐かしい光景である。
御幸や倉持も最初の方は飯のたびに死にそうな顔をしていたけど、今となっては余裕を持って完食しているからな。
一年生諸君も頑張ってこの最初の試練を乗り越えて欲しい。
彼らに声をかけようかとも思ったが、急かしているように受け取られると思ったので、心の中で応援しつつ少し休憩してからグラウンドへと戻った。
さて、今日の練習メニューは最初にバッティングから始めて、その後に外野の守備練習に参加することになっている。
もしかすると練習後にちょっとだけ投球練習もするかもしれないが、左投げだったとはいえ既にクリス先輩と投げ込みをやっているので、今日は野手としての練習をメインにする予定だ。
実は甲子園から戻ってきてからはあまり右では投げていない。
故障しているというわけではないけど、監督からしばらく肩を休めるように言われているからだ。
ただ、それでも軽くなら投げてもいいと言われているし、俺は左でも投げられるからそこまでストレスには感じていないのが救いだな。
ここ最近の試合ではバッティングでもそれなりの成績を残しているが、哲さんやクリス先輩には到底及ばないレベルである。
バットを振る回数を増やしたのもそれが原因だったりする。
「南雲、次はお前の番だ」
「はーい。それじゃあ先輩、よろしくお願いします!」
俺の順番が回ってきたので、右打席に入って三年生のバッティングピッチャーが投げる球をフルスイングしていく。
気持ち良く柵越えを連発していると、まるで自分がスーパースラッガーにでもなったような気分になるからこの練習は大好きである。
オフから本格的に始めた今のこのスイングフォームは大成功。
もちろん今後もこのまま練習を続けていくつもりだ。
課題はまだいくつか残っているけど、バッターとしても少しずつ成長していかなければならないので立ち止まる暇は無い。
そうして一つ一つの動作に集中しながら自分の理想的なスイングをひたすらに繰り返していった。
「これで百、っと。ありがとうございました、先輩」
しかしながら、楽しい練習はあっという間に終わってしまう。
調子が良かったのでもっと打っていたかったが、後ろには大勢の部員が控えており、我儘なんて言っていられないので最後の打球が柵越えしたことを確認して打席から退いた。
「その新しいフォーム、上手くいってるみたいだな。その調子なら打順も今より大幅に上がるんじゃね?」
声を掛けてきたのは倉持。
朝練は沢村を部屋に放置して来た罰として増子先輩と一緒に走らされていたけど、今はもう普通に練習に参加している。
「ああ。俺もここまで上手くいくとは思っていなかったけど、結果的には大成功だった。もっと早くやってれば良かったよ」
「そんなに良いならオレもやってみっかな」
「うーん、見ての通りこのフォームはアッパー気味にスイングするから倉持には向いてないと思うぞ」
倉持の長所は塁に出てこそ光るものだ。
無理して長打を狙わなくてもシングルヒットで出塁後、当然のように盗塁で二塁まで走るし。
だから俺がやっているスイングはあまりオススメ出来ない。
反対に合っていそうなのは哲さんとかゾノだけど……二人ともあんまり器用な方じゃないから上手くいくかは微妙なところだろう。
スイングというのはそう簡単に変えられるものでもないからな。
俺も特別器用というわけではないが、あの二人はそれ以上に不器用だから下手すると調子を崩すだけに終わってしまう。
まぁ、誰であれ本人がやる気なら教えるのも吝かではないけどね。
「そっか。ならいいや。そもそも今から打ち方を変えるなんて器用な真似、オレが出来るとは思えねーしな」
「スイッチヒッターなんてやってるんだから倉持は十分器用だと思うけど?」
「ヒャハハハ、それは単にガキの頃からやってるからだよ。稼頭央に憧れて右でも左でも打てるようにずっと練習してただけだ。別にオレが器用なわけじゃねーよ」
憧れ、か。
出塁率だけを考えるなら倉持は一塁ベースに近い左打席に専念するべきだろう。
でも、野球ってのは最適解だけが答えじゃないんだ。
自分が納得してプレーすることが一番大事だと俺は思う。
この先どういうスタイルに落ち着くのかは俺にはわからないけど、俺としては今後もその我を通して欲しいと思う。
「……あ? なんだ、あれ」
そんなことを考えていると、グラウンドの外側を一人で走っている、というか泣きながら走っている光景が目に飛び込んできた。
って、ありゃさっき監督に謝りに行った筈の沢村じゃないか。
何をやっているんだ?
一年生は今、全員第二グラウンドで能力テストをやっている筈なんだけど……。
「ヒャハハハ。沢村のやつ、監督にタメ口で喧嘩売ったらしいぜ。『俺はエースになる! その気持ちだけは誰にも負けねぇ!』ってな。んで、その罰としてああやって走らされてるってわけだ」
俺が不思議そうに沢村を見ていると倉持がその理由を教えてくれた。
「え、それマジか?」
「マジだぜ。ちょうどオレがその現場を目撃したから間違いねぇよ」
それで泣きながら走ってるのか。
面白過ぎるだろ、沢村。
特にエースになるっていう宣言を俺ではなく監督にしてしまうあたり、ちょっと馬鹿っぽくて最高に面白い。
勿論いい意味でな。
次は俺に直接そう言い切って欲しいものだ。
「はっはっは、あの監督にタメ口で啖呵切るなんてスゲェじゃん! あいつ将来大物になるぜ、きっと」
泣きながらタイヤを引いて走る沢村。
可哀想だけど自業自得でもあるからな。
監督もああ見えて厳しいだけの鬼ってわけでもないし、毎日真面目に練習に参加していればいずれは認めて貰えると思う。
多分、片岡監督は沢村みたいな直情型な選手は嫌いじゃないだろうし。
「俺もああいうやつは結構好きだな。応援したくなる」
ただ、一体いつになれば沢村のピッチングが見れるのだろうか……。
「くそぉー! あいつらに合わせる顔がねぇ!」
そんな沢村の声がグラウンドに響いていた。