グラウンドまで追いかけてみると、そこで軽く準備体操をしている沢村の姿を見つけた。
走る前にしっかりと準備をしているのは少し意外……と言ったら流石に失礼か。
言動から察するに考えるよりも先に行動するタイプだと思っていたが、俺が思っているよりも沢村は自分なりに考えているのかもしれないな。
「よっ、沢村」
「あ、南雲先輩! うすっ!」
一瞬、いきなり現れた俺に驚いた様子を見せたが、月明かりに照らされた顔が俺だと知り笑みを浮かべた。
遅刻の一件以来、沢村とは一年生の中でも金丸の次くらいに話すようになっている。
結局練習から外されてしまったとはいえ、助言みたいなことを言ったのが良かったらしい。
「今日もまだ走るのか?」
「はいっ、そのつもりです」
やはりそうだったか。
特に目的も告げられず、ただ走っていろと言われてここまで全力で取り組めるのは一種の才能だな。
俺が思い付くのは体力作りとか下半身強化くらいだけど、あの監督が無意味なことをわざわざやらせるとは思えないし、沢村がやらされているこのランニングにも何かしらの意味があるんだろう。
「どうせランニングするんならコイツを引いて走ったらどうだ? これが意外と足腰を強くしてくれるんだよ。俺も一年の時はよくやってたから効果は保証する。まぁ、当然だけど普通に走るよりもはるかに疲れるけどな」
「タイヤ……スか。確かにそれは良い練習になりそう。初日にやらされた時もめちゃくちゃキツかったし」
こういうアナログな練習も結構良いものだ。
設備がもっと整っていればもっと効率の良い最新のトレーニングが出来るんだろうが、高校野球でプロが使うような練習器具を揃えているところはほぼ皆無と言っていい。
少なくともウチには無い。
甲子園で優勝したんだし、理事長でも校長でも良いから部費を上げて設備を整えてくれないかなぁ。
ボールの回転数を計測するマシーンとか導入してくれたら最高だ。
ま、無理だと思うけど。
調べてみたら百万近くするらしいし。
「スタミナはいくらあっても困らないから、どうせならこの機会にうんと鍛えておけよ。後々、それはお前の力になると思うから」
練習でスタミナを付けておかないと試合で困るのは自分だ。
俺も中学から体力には自信があったけど、初めて丸々一試合投げた時は危うくガス欠になりかけたからな。
正直、あの時はかなりしんどかった。
自分の未熟さを強く痛感した試合だったが、今くらいのスタミナがあればそんな思いもしなくて済んだだろう。
だから沢村が今やっていることだって決して無駄にはならないと思う。
「ウス! ……でもまぁ、このままだと一生走らされそうですけどね」
「真面目にやってれば監督は必ずチャンスをくれる筈だ。あの人はああ見えて優しいから」
「……優しい?」
俺の言葉が信じられないのか首を傾げる沢村。
確かに監督の見た目はヤのつく人にも負けず劣らずな強面だが、内面は俺達のことを真剣に考えてくれる情に厚い人だぞ。
「お前もいずれ分かる時がくるさ」
この部活にいればそのうち分かる。
練習の時は鬼みたいに厳しいし、意味のない失敗をすれば死ぬほど怒られるけど、決して理不尽な扱いはしない筈だ。
……たぶん。
「そういえば、お前はこのチームでエースを目指すんだってな」
俺がふとそのことを口にすると、沢村の顔が少し強張った。
「……俺、本気っスよ。絶対にこのチームでエースになってみせる。無理だって言われても、諦めるつもりはねーッスから!」
「そんなこと言わねえよ」
「え?」
沢村は俺の言葉が意外だったのか、ポカンと口を開けて少々間抜けな顔を晒している。
というか、なぜ俺がそんなことを言うと思ったのか。
エースを目指すライバルなんて最高に良いじゃないか。
一緒に切磋琢磨出来たらお互いにもっと成長できるぞ。
「むしろ俺はお前に期待しているんだ。早く一軍に上がって、エースを賭けて勝負しようぜ」
丹波先輩は自分の口からはそこまで言わないが、虎視眈々と俺からエースを奪おうとしている。
そこに一年がダークホースとして登場すれば少し面白いことになりそうだ。
だからこそ俺は沢村が一軍に上がり、エース争いに加わることを期待していたりする。
尤も、さすがに入って来たばかりの一年に過度な期待はしていないから、実質は俺と丹波先輩の一騎打ちになると思ってはいるけど。
「ちなみに俺は一年の夏からエースナンバーを奪い取った。そして、これからもずっと退くつもりはない」
「えっ、それじゃあ南雲先輩がこのチームのエースなんですか!?」
「……知らなかったのか?」
沢村は気まずそうに首を縦に振った。
ま、マジかよ……。
一年生がよく俺のことをテレビで観たと言ってくれるから、自分が結構な有名人だと思っていたけど、どうやらそれは自惚れだったらしい。
てっきり同じポジションだから知っていると思って言ったのに、地味に恥ずかしいんだが。
「ま、まぁそれはいいや。お前と同じ一年に降谷って奴がいるらしいんだけどさ、ちょっと聞いた話によると中々凄いピッチャーみたいだぞ」
変な空気が流れそうだったので無理やり話題を変えてやった。
「一年にそんな奴が?」
「ああ。俺も直接見た訳じゃないから詳しくは知らないけど、遠投で120メートルを余裕で越えたらしい。高島先生が掘り出し物だって喜んでた」
今年の一年生の中でめぼしい選手は高島先生から一通り教えてもらったので、それなりに詳しかったりする。
沢村もその一人だし、さっき言った降谷以外には東条っていうピッチャーがいるみたいだ。
中学での実績は東条がダントツで一番だけど、高島先生の評価では降谷が頭ひとつ抜き出ている感じだったな。
一般入学で入ってきた掘り出し物らしく、思わぬ拾い物だと珍しく喜んでいた。
俺も凄いピッチャーが入ってきたのは素直に嬉しい。
「120メートル……中々やるみたいっスね。まぁ、絶対負けねぇけど!」
「お前はどんくらいだったんだよ、遠投は?」
「き、90くらい。後ひと伸びってとこで、ボールが横にひん曲がっちゃったんすよね……」
「ひん曲がった?」
「うす。こう、ギュインって感じで。それさえ無ければ俺も今頃普通に練習に参加してたのに……!」
聞けば、その時に監督と一つ賭けをしたらしい。
フェンスを越えればピッチャーとして認め、反対に越えられなければ一年間ずっとマラソンランナーという賭けを。
その結果は言うまでもないだろう。
うーん、でも普通に投げればそんな風に曲がる事なんてあり得ないと思うんだけどなぁ。
それこそ俺の場合は意図して変化球を投げようとしない限り、遠投だとしても真っ直ぐに飛んでいく。
無意識のうちに力みが出てボールに変化が加わったとかか?
「わざと変化球を投げた、って訳でもなさそうだし……ボールの握りはどんなだったか覚えているか?」
「えっと、いつも通り握ってたっスけど」
そう言って沢村は左手でボールの握りを作って見せてくれる。
ただ、その握りは見事なまでの鷲掴みであった。