――血を飲ませろ。
そんな幻聴が聞こえた気がしたが、それを理性で抑え込み、女と会話する為に口を開く。
「……おいアンタ。アンタはアンブレラの研究員なのか?」
「え、ええ。そうよ。ここでウィルスの研究をしていたんだけど、何処からかそれが漏れてしまったみたいで、それからずっとここに隠れてたの。そのおかげで何とか生きていられてるわ」
アンブレラの生き残り且つ、女。
俺が求めて止まなかった者がこうして見つかったということは、どうやら神様ってやつはまだ俺のことを見捨ててはいないらしい。
浮かび上がってくる笑みを抑えきれず、口元が自然と歪んでしまう。
無関係の人間を襲うとなれば多少の躊躇いを感じただろうが、相手がアンブレラの研究員であるならその心配は必要ない。
理性によるリミッターを外し、湧き上がる衝動をそのまま解放する。
「それじゃあ遠慮はいらないな。――さよならだ」
「……はぇ?」
今までの弱っていた身体は何だったのか、自分でも驚くほど素早い動きで対象に接近し、一切の躊躇いなく女の首筋に噛み付いた。
柔らかい肌に自らの歯を突き立て、そしてそのまま血を啜る。
すると芳醇な香りが鼻を通り抜け、血液が喉を流れて砂漠地帯が如く渇ききっていた身体に潤いをもたらした。
あぁ……生き返った気分だ。
身体の奥底から感じる膨大なエネルギー、久しく感じていなかったそれが全身へと行き渡っていくのを感じる。
この万能感こそ、身体が活性化している何よりの証拠だった。
「ま、まさか貴方、T-ウィルスの感染者……なの?」
「違う」
女が血を吸われながら驚いた様子でそんなことを聞いてきたが、あんな欠陥品の感染者たちと一緒にしないで欲しいものだ。
俺はT-ウィルスの感染者ではなく、もっと強力で凶悪な――『B-ウィルス』の完全適合者なのだからな。
だから安心してくれ。
俺が噛み付いたところでお前がゾンビになる事は絶対にない。
ただ、この女がアンブレラの研究員ならば、俺が遠慮してやる理由も無い。
一滴残らず生き血を啜ってやるから、そのまま緩やかに死ぬ事を許そう。
「あぁぁ…………」
すると、確実に死が迫って来ているというのに女は恍惚な表情を浮かべていた。
俺が血を吸うと何故かとてつもない快感が発生するらしく、いつもこういう風になってしまう。
これも俺が男の血を飲みたくない理由の一つだった。
男の恍惚な表情なんて吐き気がするだろう?
無論、女だからと言ってもアンブレラの人間に対しては負の感情以外生じることは無いがな。
「ふぅ……久しぶりの吸血は最高だった。いくら憎い相手とはいえ、血の味までは変わらないらしい」
既に一滴残らず血は頂いたので、もうこの女には用はなかった。
ゴミを捨てるように女を地面へと落とし、それに視線を落とすことなく自分の身体の調子を確認する。
「――ふむ、大体全快の三割ほどみたいだ。万全の体調ではないが、これでゾンビ程度にコソコソと隠れる必要は無くなった。生存者探しが捗るな」
先ほどの俺は一匹のゾンビを殺すだけでも一苦労だったが、今なら数体のゾンビが押し寄せて来たとしても、難なく片付けることが出来るだろう。
ただ瀕死状態から回復したとはいえ、これでもまだまだ全快には程遠い。
しばらくの間は新鮮な血を見つけることが第一優先事項だ。
人が多い街へ行けば血を得られる機会も増えるだろう。
この研究所の生き残りを探した後は、街へ行って吸血を積極的に行なっていこうと思っている。
T-ウィルスの感染者は生者の肉を求めて彷徨い続けるが、B-ウィルスの適合者である俺はこうして生者の血を求めるようになるんだ。
「さしずめ吸血鬼ってところか?」
血が無ければ俺の身体能力は人並み以下のゴミ同然であり、何より死んだ方がマシだとさえ思うほどの空腹感に苛まれてしまう。
あれはかなりキツイ。
俺もアンブレラへの憎しみが無ければ、狂気に呑まれて自我が失っていたかもしれないほどだ。
「もしあれに呑まれていれば、俺もゾンビみたいな存在になっていたかもしれないな……。ゾッとしない話だ」
ちなみにT-ウィルスとB-ウィルスの決定的な違いは、俺が誰かに噛み付いたところでその人物が感染することはない、という点である。
もちろん血を吸い続ければ死ぬが、それは大量の血液を失ったことで起きるショック死であり、ウィルスの所為で死ぬ訳ではなかった。
その点だけはT-ウィルスよりも良心的と言えるかもしれない。
ゾンビなんて醜い姿になることはないし、少なくとも俺が血を吸っている最中は、感じたことのない快楽に身を包まれることになるのだからな。
現に俺が血を啜ったこの女も、だらしなく顔を弛緩させながら死んでいる。
さっきの男とは違って間違いなく俺が殺したが、この研究所にいるやつは全員悪魔みたいな連中だから殺しても何も問題ない。
……顔が不快なので頭部を踏み潰しておいた。
どうせ既に死んでいるから意味は無いが、これは単純に俺の憂さ晴らしだ。
少しだけ気が晴れた気がする。
「さて、せっかく食料庫まで来たのだから、何か食い物を探してから行くか。探索を始めるのはその後でも良いだろう。問題は食い終わった後に何処へ向かうかだが……」
この洋館はかなり広いらしいから、適当に歩き回るというのも効率が悪い。
とりあえず、この研究所の中心部へ向かうとするか。
アンブレラに都合が悪い研究資料が残っているかのしれないので、出来ればそれを確保しておきたい。
もちろん、生き血が第一優先であることに変わりはないがな。
その後、適当に食べ物を胃の中に放り込んだ俺は、少し前までのフラフラな状態ではなく軽やかな足取りで再び移動を開始したのだった。