とあるウィルスの適合者8

 胸を貫いて感じる体温は微かな温もりだけ。
 これが死体のように冷たければ多少は気持ち悪さを感じずに済んだのだろうが、少しでも人としての熱を感じてしまうと途端にやり難さが出てきてしまう。
 だが、躊躇えば死ぬのは俺だ。
 感情を押し殺し、彼女の胸を貫いたまま心臓を握り潰した。

「※※※※※……!」

「さよなら、母さん」

 ただ、相手はT-ウィルスの進行が極限まで進んでいる変異体のような存在。
 普通の感染者の異様に高い生命力を考えれば、こいつは心臓を握り潰した程度では殺し切ることは出来ないだろう。
 なので俺は、そこからさらに次の行動へと移る。
 身体に突き刺したままの右手の爪を、今度は自分の手の平に突き刺し、そして俺の血を直接彼女の心臓があった場所に流し込んだのだ。

 すると、途端に悲鳴のような甲高い声を上げて暴れ始めた。

「※※※※※ィィィィァァァアア!!!」

「くっ!」

 鞭のようにしならせた腕をまともに食らってしまい吹き飛ばされるが、すぐに体勢を立て直して次の攻撃に備える。
 やはり身体能力は向上しているようで、普通の人間なら骨の一本や二本折れていてもおかしくない威力だった。
 しかし、咄嗟に腕を引き抜いて身体を宙に浮かせていたからダメージは最小限に抑えられたと思う。
 それでもかなり痛いがな。

 そうしていつでも動けるように身構えていると、母親の成れの果てである化け物は明らかに怒っているらしく、眼球と思われる部分が俺を睨みつけていた。
 俺と同じ紅い瞳。
 元は綺麗な空の色をしていた瞳も、今となっては狂気を孕んだ邪悪な目だ。

「※※※※※※※※!!」

「なんて言ってるかわかんねぇな。せめて人の言葉を話してくれよ」

 もはや言葉なのかすら判別できない。
 考える知能が失われたのか、もしくは声帯に何らかの支障があるのかはわからないが、とにかく一文字もマトモな言語を発していなかった。
 頭に響いてくる不快な音の塊。
 出来れば聞きたくない類いの音であり……それが何故か昔の母の声と重なって聞こえてきた。

 本当に不愉快だ。
 ドス黒い感情が俺の心を渦巻いていく。
 俺が眉を顰めていると、いよいよ化け物が俺に向かって一歩を踏み出し――その足がまるで泥のように一瞬で崩れ去った。

「※※※※!?」

 突然のことに慌てた様子を見せる異形の化け物。
 いくら思考能力が大幅に低下している状態でも、流石に自分の足が急に無くなれば動揺してしまうらしい。
 反対に俺は目論見が上手くいったことをほくそ笑んでいた。

「ようやく効いたみたいだな。さっき母さんの体内に俺の血を入れただろ? 俺の血は特別製でね、T-ウィルスに対して致命的なダメージを与えるんだ。それこそ、今みたいに身体の内から破壊してしまうほどに強力なやつをな。……ま、説明しても理解できないだろうが」

 正直、効果があるかどうかは半々だった。
 俺の体内に広がっているB-ウィルスの特性を利用して、その血をT-ウィルス感染者の体内に直接流し込めば、その瞬間から体内でウィルス同士の殺し合いを始めるのだ。

 その結果が身体の崩壊。
 俺の血はT-ウィルスの感染者にとっては劇薬となる。
 恐らくここまで効果が顕著に表れたのは、T-ウィルスの進行が進み過ぎており、もはや身体が耐えられなくなったのだと思う。
 実際に試したのはこれが始めてだったが、以前に俺の血に関する研究資料を盗み見ておいたのが役に立った。

「※※※……」

 身体に入り込んだ異物の影響で相手はもう瀕死状態だ。
 ジタバタと陸に打ち上げられた魚のようにもがくが、こうなってはもうどうすることも出来ないだろう。
 ご自慢の生命力も機能していない。
 本当ならさっき心臓を潰した時に終わっていて欲しかったが、ウィルスの進行が進み過ぎて心臓や頭を潰しても死なない恐れがあったので、こういう荒っぽい手段しか取れなかった。
 諦めてこのまま死んでくれ。
 俺も、これ以上は戦いたくはないし。

「――ェイ。ドコ、ワダじの、コドモぉ……」

「っ!?」

 今、言葉を喋ったのか?
 まさかこの状態になっても意識が……リサ・トレヴァーとしての意識が残っている?
 なら――っ!
 気が緩んでしまっていた俺に化け物の腕が伸びてくる。
 直前まで油断していたので、それを回避するどころか防御する事も出来ない。

「…………なんだ?」

 しかし、いつまで経っても想定していた攻撃は飛んで来なかった。
 代わりにすっかり爛れて醜くなってしまった腕が俺の顔まで伸びて、そして彼女の手の平が頬に優しくそっと触れる。
 反射的に体がビクッと反応してしまうが、それは記憶にある母の手の感触と全く同じで、そしてとても暖かみのある手だった。
 思わず肩の力が抜けていく。
 即座にその手を振り払ってトドメを刺すのが正しい行動なのだろうが、俺の身体は金縛りにあっているかのように動かない。

「――レェい。アイじ、てる」

 愛してる、か。
 ははっ、遂に俺の頭はイかれてしまったのかもしれない。
 こんな醜い顔が母のも優しい笑顔に見えてしまうのだからな。

「…………あぁ、俺もだよ。母さん」

 そう言い残すと、かつてリサ・トレヴァーだったソレは、最期には全てが灰となって消えてしまう。
 しばらくの間、俺はその場から動く事が出来なかった。

 

   

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