「あら、もうこんな時間なのね……。本当はもっとオリオンに聞きたいことがあるんだけど、校則を破ればグリフィンドールが減点されちゃうから、そろそろ自分の寮に戻るわ」
「そうか、じゃあまたここに来ると良い。今日は本当に基礎的なことしか教えられなかったからね。それこそ、このペースでいくと杖なし魔法を使えるようになる頃にはハーマイオニーは卒業しているかもしれないな」
ハーマイオニーが『え!?』と驚愕の表情を浮かべる。
「今日だってかなりのペースだったと思うんだけど……?」
彼女が言う通りオリオンの授業はかなりのハイペースで進められた。
それはもちろん、ハーマイオニー自身が優秀だったのでオリオンがそれに合わせた結果だ。
しかしそのペースでオリオンの指導を受けていたとしても、彼が言った通り短期間で杖なしの魔法を使うことは難しい。
いや、使うこと自体は簡単なのだが、それを完全にコントロールすることが非常に難しいのだ。
杖というのは魔法使いにとって一種の補助輪のようなもの。
子供が三輪車から自転車に乗り換えることが難しいように、杖なしで魔法を使うというのは人間にとって困難な技だった。
もっとも、実際には自転車に乗るどころか、子供が宇宙船を操縦するくらい無茶な事だ。
それをホグワーツを卒業するたったの7年間で習得出来ると評したのは、偏にハーマイオニーが並みの魔女ではないと見抜いているからだった。
「まぁ、今後の努力次第かな? ただ勉強のし過ぎで体調を崩したりはしないように。体調管理も優れた魔女には必要だ」
「……ええ、分かったわ。なら早く戻って今日の分の復習をしなきゃ! じゃあお休みなさいオリオン」
ハーマイオニーはそれだけ言うと持ってきていた教科書を慌ただしく拾い集め、両手いっぱいに抱えて駆け足で部屋の外に飛び出した。
おそらく自分で言った通り部屋に戻って今日の復習をするのだろう。
「……まさか、無理をしない為に急いで終わらせるという発想が出てくるとは思わなかったな」
オリオンは無理をしない程度に頑張れと激励したつもりだった。
しかし、ハーマイオニーはそんなオリオンの思惑など軽く飛び越え、無理をしないように無理をするというおかしな選択を取ったのだ。
まさかあの歳でそんなぶっ飛んだことを考えるなど、オリオンは夢にも思わなかった。
「ええ、まるでどこかの誰かを見ているようでしたね」
「……俺のことを言っているのか?」
「私は一言もオリオン様だとは言っていませんが、ご自覚があるのですか?」
思い当たる節がありすぎるオリオンは、両手をあげて『降参だ』と諦めるように言った。
自身の過去を思い返せば、むしろハーマイオニーの行為が可愛く見えるような無茶な事を多く犯している。
そしてその度にクリーチャーに心配をかけていた。
今のオリオンは精神的にも時間的にもかなり余裕がある。
わざわざ以前のような無茶なスケジュールをこなす必要も無い。
「……気をつけるよ。じゃないとハーマイオニーに注意もできないからね」
「それは何よりで御座います」
クリーチャーはオリオンの返答に満足そうに微笑む。
それにより少しだけ居心地が悪くなったオリオンは、話題を変える為に再び口を開いた。
「そういえばアイツはどうなった? ほら、優秀なマグルの金融屋だ。名前は――ジャスパー」
オリオンからジャスパーという男の名前が出た瞬間、優しい笑みを向けていたクリーチャーの表情が凍りつき、嫌悪感を隠しきれないといった様子で険しい顔付きになった。
そんなクリーチャーの変化に思わず苦笑を漏らし、オリオンは『何故そこまで嫌うんだ?』と彼に質問する。
「私はあの男を嫌っているわけではありません。ただ、あの浮ついた言動が好きになれないだけです」
「ははっ、それを世間一般では嫌っているというんだよ。ま、確かに見た目は胡散臭い上、性格も上等とは言えないな。だが、それでも金への嗅覚は人一倍ある。それこそ俺が手元に置いておきたいと思うくらいに、な。」
オリオンがそこまで言うと、より一層不快感を増したクリーチャーが無言で反対しているのが分かる。
しかし、オリオンが先ほど言った手元に置いておきたいという言葉を撤回することは無かった。
ジャスパー・ライネル。
それがオリオンに最も評価されているマグルの金融屋の名前である。
かつて殺されそうになっているところを偶然近くにいたオリオンに命を救われ、そこから恩義を感じているらしくオリオンの為に働きたいと言い出したのだ。
聞いてみればジャスパーはそこそこ腕の立つ金融屋という話で、開心術で彼の心の中を覗いてもそれが嘘ではないことが分かる。
オリオンは気まぐれでブラック家の資産の一部をジャスパーに預け、半年間運用させることにした。
もちろん、金を持ち逃げされないようにガチガチに魔法で拘束して。
そして半年後、オリオンがジャスパーのもとを訪れると、なんと驚くことに預けた資産は数倍に膨れ上がっていたのだ。
せいぜい少し増えるか大幅に減っているかのどちらかだと思っていたオリオンはその事実に驚愕し、ジャスパーの才能を大絶賛した。
その後も継続して資産の運用を任せてみるが、ジャスパーはその驚くべき才覚によって確実にブラック家の資産を雪だるま式に増やしていった。
そんなある日、ジャスパーはオリオンに言ったのだ。『自分を貴方の部下にしてくれ』と。
即答で部下にすると答えても良かったのだが、それでは面白味に欠けると思ったオリオンはとある試験をジャスパーに課した。
その試験とは、『二年以内にブラック家の資産を10倍にしろ』というふざけたものだ。
今はそれからちょうど一年が経過している。
「この辺りで一度様子を見に行ってみようかな。あの条件はどれくらい出来るのか吹っかけてみただけだし」
「今日はもう遅いですし、また後日にしては如何でしょうか?」
「うーん、何故か今日行きたい気分なんだよね。ただの感だけど」
「……ではすぐに準備を致します」
少しだけ……いや、かなり嫌そうに支度を始めるクリーチャー。
(俺は割とジャスパーのことを気に入っているんだけどね。ああ見えて結構義理深いところもあるし)
クリーチャーはマグル生まれであるハーマイオニーには嫌悪感どころか、むしろ生暖かい目で見守っていたぐらいなので、単純にマグルが嫌いというわけでは無いのだろう。
昔は完全な純潔主義の思想に染まっていたらしいが、それもオリオンの母がブラック家に嫁いできてからは考えを入れ替えたらしい。
だからオリオンには、クリーチャーがここまでジャスパーを嫌う理由が分からなかった。
「準備ができました、オリオン様。いつでも出立できます」
オリオンを外出用の服に着替えさせたクリーチャーがそう言った。
ちなみに、この程度の着替えであれば自分でできると以前言ったことがあるのだが、その際にはクリーチャーが自害するとまで叫び散らしたのでそれ以降は完全に任せている。
「じゃあ少し行ってくるよ。誰かが俺を訪ねて来たら対応は任せる」
「かしこまりました。ではお気をつけて」
クリーチャーが一礼し、顔を上げた時にはもうオリオンの姿は搔き消えていた。