大筒木一族の最後の末裔14

 模擬戦中に思わぬハプニングが発生してしまったが、紅自身が然程気にしてはいないという事だったので、その後はお互いに何食わぬ顔で接していた。
 紅がそれで良いならと、カムイもその記憶を封印することにしたのである。
 ……もっとも、忘れようと思って忘れられるほど、あれは軽い出来事ではなかったのだが。

 そして気づけば日も暮れ始め、木ノ葉の里が夕焼け色に染まり始めていた。

「そろそろ私の家に帰りましょうか。流石に日向のお屋敷と比べると見劣りするでしょうけど、これでもそこそこ稼いでいるから割と広いアパートよ。だからそこまで窮屈には感じないと思うわ」

「居候の身で文句を言ったりしませんよ。しばらくの間お世話になります、紅さん」

 そう言ってカムイは、改めて紅にペコリと頭を下げた。

「フフッ、カムイってずいぶん礼儀正しいわね。ご両親の教育の賜物かしら?」

「いえ、父からは戦闘技術しか教わっていませんし、母は俺が産まれると同時に亡くなったみたいなので両親は関係ないですよ」

 カムイは表情を一切変化させずに、紅の言葉を否定した。

 この世界での親は、親と呼ぶには到底相応しくない。
 そもそもカムイには前世の記憶がある為にそういった認識が希薄な上、本来のカムイの人格も父親を嫌っていた。
 なので彼にとって、両親とは前世の父と母だけなのだ。

 しかし、それらを知らない紅は地雷を踏んでしまったと思い、些か配慮に欠ける質問だったとして後悔した。
 微笑みが絶えなかった顔を一変させ、申し訳なさそうな表情を浮かべている。

「……ごめんなさい。迂闊だったわね」

「あ、育ててくれた人は別にいますから、本当に気にしないでください」

 カムイは慌てて訂正したのだが、それが返って紅の深読みを加速させてしまったようで、この場の空気がより一層暗いものになってしまう。
 この世界の親に対しては本心からどうでも良いと思っているので、それに関して紅に心配してもらうのは心苦しいものがある。

 どうしたものかとカムイが頭を悩ませていると、突然紅に優しく抱きしめられ、視界が彼女の身体によって暗闇に覆われると同時に甘い花の香りに包まれた。
 あまりにも突飛な行動に思わず面食らってしまい、カムイは動揺する感情を隠しきれていない。

「く、紅さん……?」

「大丈夫よ。少なくとも私が一緒に暮らしている間は、カムイに寂しい想いは絶対にさせないから」

 その言葉で紅が微妙に勘違いをしていることは分かったが、前世の記憶があるなどという奇想天外な話を出来るはずもなく、結局そのまま紅からの抱擁を大人しく受けることにした。
 今の状況は決して嫌ではないのだが、紅を騙しているような罪悪感がカムイを襲う。

(……いや、ごめんなさい。胸の感触が気になってそれどころじゃないです)

 身長差によって頭部に感じる二つの膨らみ。
 確かに罪悪感は抱いていたが、それを吹き飛ばすだけの魔力が紅の胸部にはあったのだ。

 気恥ずかしいような嬉しいような、そして申し訳ないような何とも言えない時間を悶々とやり過ごし、数分後にようやく解放された。
 しかし解放された後でも、紅はまるで泣いている子供をあやすような手付きでカムイの頭を撫で続けている。

 それには流石のカムイも堪らずに口を開く。

「あ、あの……そろそろ恥ずかしいんですが?」

「カムイはもっと私に甘えても良いのよ? 今日会ったばかりだけど、貴方のことを放っては置けないから」

「は、はぁ……」

 変なスイッチが入ってしまったらしく、カムイは紅が満足するまで早々に諦めることにした。
 だが、カムイのお腹からぐぅぅ、という腹の音が鳴り響く。

 抜け出すにはここしかないと思い、カムイは口を開いた。

「紅さん、お腹が空きました」

「あら、そういえばそろそろ夕食の時間ね。何処かで食べていく? それとも私が何か作ろうか?」

「紅さんの手料理でお願いします」

 紅からの質問に、カムイは食い気味で即答した。

 何故なら、女性の手料理には前世からの憧れがあるのだ。
 生まれ変わる前は大学生だったので当然彼女もいたことはあったのだが、まともな料理を作れる恋人は一人もいなかった。
 むしろ一人暮らしをしていたカムイの方が上手く作れるくらいである。

 故に母親以外から手料理をご馳走されたことはなく、一種の憧れのような感情を抱いていた。
 それが紅ほどの美女から料理を作ってもらえるとなれば、カムイがその話に飛びついてしまっても無理はない。

「……そんなに期待されても、普通の家庭料理しか作れないわよ?」

「いえ、普通で良いんです! レシピに載っていない下手なアレンジなんか加えず、しっかりと基本に忠実な料理であれば大満足ですから!」

「そう? なら大丈夫だけど……」

 そう言いつつも、紅の顔にはまだ若干不安が残っているように見える。
 カムイが自分の手料理に期待しているのは火を見るよりも明らかであり、その期待に応えられるほど、料理の腕に自信がある訳ではないのだ。

 しかし、そんな心配は不要である。

「はいっ、最悪食べられるレベルなら問題ありません! 塩と砂糖を間違えるくらいなら大丈夫です!」

 カムイは迷いの無い笑顔でそう言った。
 今の発言から分かる通り、カムイの中で設定されているハードルはもの凄く低い。
 それこそ、茹で卵に紅が塩を掛けたものを出せば、それだけで泣いて喜ぶ可能性すらある。
 紅が不安に思う必要などまるで無かった。

 カムイの言葉を冗談と思ったのか、紅は笑みを浮かべる。

「フフッ、塩と砂糖なんて間違える訳ないじゃない。でもそこまでカムイが言うなら、できるだけ美味しい手料理を作ってあげるわ」

「ありがとうございます!」

「ならまずは買い出しに行かないとね。カムイには荷物持ちでもしてもらおうかしら?」

「喜んで」

 今日一番の笑みを見せている今のカムイは、年相応の幼い子供にしか見えない。
 それが紅にはひどく尊いもののように感じていた。

「紅さん、早く行きましょう? 美味しい料理が俺たち待ってますよ?」

「はいはい、今行くわ」

 妙に張り切っているカムイを見て、紅は呆れながらもどこかホッとしたような表情を浮かべるのだった。

 

   

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