人間など簡単に丸呑みしてしまいそうな巨躯。
赤い八つの瞳は生理的な恐怖を掻き立てられ、六本の足はそれぞれ死神の鎌のように鋭く、その姿は大の大人が見ても泣き叫んでしまうほどに恐ろしい姿をしている。
「……どうやらあいつを倒さないと目的地には到着出来ないようになっているみたいだ」
そう呟いたのは木ノ葉の額当てをした青年。
彼は第一試験が終了した際に唯一カムイと接触した人物で、実は前評判では一番評価の高かった忍でもある。
「チッ、何が蜘蛛を見たら逃げる事をお勧めする、だ。それって試験を放棄して諦めろって事じゃねぇか。ふざけやがって」
仲間の忍が苛立ちを露わにした。
森の中を隈なく探索した結果、目的地の建物があるとすればこの先だという事を突き止めたのだが、彼らはこの場で足踏みをしている状態だ。
理由は明白である。
進行方向には恐ろしい蜘蛛が待ち構えているのだから。
この試験の要であろうあのバケモノは、今も微動だにせず鎮座している。
既に迂回しようと別の道を探したが、そこにもまた別の蜘蛛が張ったと思われる巣があり、迂闊に近付くことは出来なかった。
焦りと苛立ちで悪態を吐いてしまうのも仕方のないことだろう。
「……どうやら俺たちであれを倒すしかなさそうだな。今なら他の連中は潰し合ったり、罠で足止めされているはずだから邪魔は入らない。やるなら今しかない」
「あんなバケモノを俺たちだけで、か。本当に倒せるのか?」
「見たところ動き自体はそこまで早くないと思う。だから糸にさえ気を付けて、下手に近付かなければそこまで苦戦するような相手じゃない筈だ」
リーダーの青年はこんな状況でも冷静だった。
戦力を正確に分析し、あらゆる選択肢を考慮したうえで、戦うことを決めたのである。
「そうか、お前がそう言うなら信じるよ。──よしっ、やるか!」
「ああ、そうだな。やろう!」
他の二人も彼の事を信頼しているようで反対意見は無く、それどころかやる気を漲らせた。
この試験が始まってから既に1チームを脱落させているのだが、もしかするとそれが彼らの自信に繋がっているのかもしれない。
「最悪、あいつを倒す必要はない。敵わないと判断すれば森の中心部へ向かって逃げるぞ。そこがゴールだ」
「了解っ」
「作戦はどうする?」
「お前たちは遠距離からあいつの注意を引いてくれ。その後、俺が一番威力のある術を叩き込む。それでも倒せなかった時は、諦めてさっさと逃げる。いいな?」
話を聞いた二人は小さく頷いた。
そうして簡単な作戦を立てた後、彼らは別々の場所へと散らばってジッと息をひそめて合図を待つ。
遠くから誰かの悲鳴のような声や不気味な鳴き声が聞こえるが、思わず反応してしまわないように拳を強く握りしめた。
「──今だ!」
リーダー格の青年が声を上げる。
すると、淀みのない動きで他二人が連携しながら飛び道具で蜘蛛を撹乱し始めた。
その間に青年は術の印を結び、体内のチャクラを練り上げていく。
幸いにも陽動は上手くいっているようで、青年の方にはまるで関心が向いていなかった。
おかげで思いのほかすんなりと術の準備が整った。
「お前ら、そいつから離れろ! 《風遁・大突破》!」
そして術を発動させると、指向性を有した荒れ狂う暴風が蜘蛛へと襲い掛かる。
この術は術者の技量によって威力が大きく左右されるが、繰り出された暴風の威力は決して低くは無い。
木々の間に張り巡らされていた糸が次々と千切れていき、広範囲に広がる蜘蛛の巣の一部を破壊することに成功した。
蜘蛛の身体にもいくつか傷ができており、そこから紫色の血が流れ落ちている。
「キシャアァァ!」
しかし、その攻撃はどうやら致命傷とはならず、ただ蜘蛛を怒らせただけのようだった。
「う、うわぁ!?」
蜘蛛の口から糸が吐き出される。
油断してしまっていたのか、仲間のひとりが警戒していた筈のそれに足を絡め取られ、空中に宙吊りにされてしまう。
急いで苦無で断ち切ろうとするが、慌てている所為か中々上手くいかない。
そうしてもたついている間にも悪魔はゆっくりと近付いて来ている。
「た、助け──」
「シャァァアアア!!」
八つの瞳が恐怖に歪む顔を映し出す。
目の前にまで迫る恐怖にすっかり身体が硬直してしまっている。
低ランクの任務は幾つかこなしてきた彼らだったが、ここまでの命の危険を感じたのは始めてであり、死神の鎌が持ち上げられるのを見ていることしか出来なかった。
そしていよいよ振り下ろされそうになった時、何とか動いたのはやはりリーダーの青年だった。
「こっちだバケモノ!」
咄嗟に起爆札付きの苦無を投げて蜘蛛の注意を逸らす。
勿論これで倒そうとは思っていない。
仲間が殺されそうになっている光景を目の当たりにし、考えるよりも先に手が出てしまっただけだった。
それでもその爆風によって一時的な恐慌状態から脱した仲間は、自力で糸を断ち切って拘束から抜け出した。
「大丈夫か!?」
「あ、ああ。なんとか」
見たところ彼に大きなけがは無かったが、状況は未だに悪いままだ。
とはいえ、最初の術で蜘蛛の巣の一部が壊れており、今なら全員で目的地へと逃げることができる。
元々倒せそうになければ逃走することを視野に入れていたので、その判断を下すことにはなんの葛藤もない。
もちろん追撃される危険もあるが、このまま倒そうとするよりは遥かに勝算があるだろう。
そうしてリーダーの青年が仲間二人に逃走の合図を送ろうとした次の瞬間、上空から途轍もない圧力を感じた。
「──《風遁・烈風獣王掌》」
上から蜘蛛目掛けて降ってきたナニカは、周囲一帯にまで影響がでるほどの破壊力を持っていたのだった。