ゴブリンの数は五体。そしてそのうち二体は棍棒で武装している。
対する俺はリーチの短い包丁だけ。殺傷力は棍棒よりも上だが、いかんせん相手の数が多すぎる。
それにただの一般人の俺が、いくらバケモノとはいえ人型の生き物を殺せるのか?
もし俺がためらいなく最初の一体を殺せたとしても、他の奴らにタコ殴りにされてしまうだろう。
……一番良い選択は、このまま何もしない事かもしれない。
今出ていっても多勢に無勢。全員を殺しきることは難しいだろうし、勝っても無傷とはいかない。
近くにいるバケモノがあの五体だけという保証もない上、対峙している最中に増援が来てしまえば勝利は絶望的だ。
だからとりあえずこの部屋の家具を集め、簡単なバリケードを作れば今日くらいはどうにかなる。
もし仮に突破されたとしても、一対一の状況を作り出せば撃退する事はそう難しくないと思う。
打ち所が悪かったとはいえ、あいつらの同類は結構簡単に死んだしな。
――だが、それで良いのか?
そんな想いが頭をよぎった。
「……はぁ。あの人達には世話になったし、たまには感情に従ってみるのも悪くないか」
ゴブリン達に寝込みを襲われるのは面白くないしな。
あまりにも衝撃的なものを見てしまった所為で少し……いや、かなり弱気になっていたみたいだ。
そんな気持ちを振り払う様に、覚悟を決めて包丁をギュッと握りしめる。
そしてゴブリンを倒すイメージを頭の中で何度も想定し、効率の良い倒し方……いや、殺し方を模索する。
以前通っていた総合格闘技のジムのトレーナーに、大切なのは相手を倒すイメージだと教わった。
そのトレーナーも、まさかこんな事に使われるとは思っていなかっただろうがな。
何度も頭の中でシミュレーションし、自分の中でイメージが固まったので、ドアノブに手を掛けて音を立てないようにゆっくりと開く。
ゴブリン達は食べるのに夢中でこちらに気がつく様子は一切ない。
そのまま近づいていき、ゴブリンの首筋に包丁の刃を当て、滑らせるように一気に切り裂いた。
噴水のように血が吹き出し、それを見た他の四体のゴブリンは唖然といった様子で間抜け面を晒している。
首を切り裂かれた奴は声もあげる事なく絶命した。
まずは一体。
ゴブリン達が慌てて動き始めようとするがその前に、左隣にいた奴にも同じような要領で包丁の刃を滑らせる。
しかし、今度は傷が浅かったらしく、血が噴き出しながらも反撃してきたのでそれを躱し、そいつの身体の中心に包丁を突き立てた。
これで二体。だが思わぬ反撃を食らいそうになり焦ってしまい、包丁を力任せに突き刺してしまったので、ゴブリンの身体から包丁を引き抜くことが出来なかった。
咄嗟に落ちていた棍棒を拾い上げ、近くにいた奴に野球のバッターのようなフォームでフルスイングをする。
すると『パァン!』という頭が割れる音と棍棒が折れる音が同時にした。
三体目もこれで終わり。自分でも信じられないくらい、流れるような動作でゴブリン共を殺している。
しかし、ここからは俺も相手も武器は無いので素手での殺し合いだ。さらにゴブリンはまだ二体いるので油断は出来ない。
ひとまず二体いるゴブリンのうち、一体に押し出すような前蹴りを繰り出して距離を取る。
二対一の状況を作られると戦いにくいからな。
これで蹴り飛ばした方のゴブリンとは距離を取れたので、もう一体の方とは数秒間だけ一対一で戦える。
それだけあれば……十分だ!
そのままもう一体のゴブリンに肉薄し、身体を捻って遠心力を利用した右フックを顎に向かって放つ。
ただでさえ勢いが乗っていた右フック。それに加えて遠心力で威力が底上げされたパンチは、見事にゴブリンの顎にクリーンヒットした。
顎の骨が砕けるイヤな感触が手にまとわりつくような気がしたが、今の俺にそんな事を気にする余裕は無い。
念のため、崩れ落ちるゴブリンの頭を目掛けて蹴り上げの追撃を加えた。
よし、これで四体!
俺は残ったゴブリンと対峙した。
しかし、コイツは仲間を殺し続ける俺を見て完全に怯えている。
俺が一歩近づけば一歩後ずさるという状況が続き、このままでは埒が明かないと思った俺は一気に片をつけようとし……呆気に取られた。
「ギァア…………」
目の前のゴブリンはなんと、土下座して命乞いをしているのだ。
初めての殺し合い、初めての命のやり取りで浮かれていた熱がサーっと引いていく。
生き物を殺すという事は思っていた以上に精神的なダメージがあるらしく、戦闘の高揚感で打ち消されていた疲労感がドッと押し寄せてきた。
これ以上はコイツに戦う意思は無いだろうと思い、俺はゴブリンに対する警戒を解いた……いや、解いてしまった。
「なっ! くっ……」
油断するのを待っていたかのように、土下座の態勢のまま俺の腹を目掛けて頭突きを食らってしまう。
頭突きの勢いと衝撃に負けてしまい後ろに下がる。
そしてその怯んでいる間に落ちていた棍棒をゴブリンが拾い、俺が仲間のゴブリンに行ったフルスイングを覚えているのか、俺と同じようなスイングフォームでこちらに殴り掛かってきた。
その攻撃をなんとかガードしようとするも、コイツとの身長差が仇となり上手くガードが出来ず、腹に鈍い痛みが襲う。
体格差があるので吹き飛ばされはしなかったのだが、棍棒で殴られた腹が痛み、思わず膝をついてしまった。
「ギャギャッ、ガギャギャ」
今度はこちらがゴブリンを見上げ、ゴブリンが俺を見下ろしている状況だ。
醜悪な笑顔を貼り付け、これから甚振ってやると言わんばかりにこちらを見ている。
ついさっきまでは、俺に媚びへつらっていた奴だとは思えないほどの変わり身の早さだ。
そしてジワリジワリと徐々に近づいてくる。
……騙し討ちは卑怯だ、なんて甘いことは言わない。今行なっているの試合ではなく殺し合いなのだから。
こういう状況になったのは俺が油断したせい。
コイツらの本性は見ていたはずなのに、最後の詰めが甘かった。
生き残るために足掻く事は悪いことではない。
むしろ相手の裏をかくために土下座したコイツを褒めてやろうじゃないか。
だがな――
「――テメェは俺以上に油断しすぎだ!」
膝をついた状態から飛び上がり、ゴブリンの左目に向かって貫手を放つ。
貫手は何本かの指先を使って相手を突く技で、パンチよりも力を一点に集めることができ、首や目などの急所に当てれば非常に凶悪な技になる。
しかし、その危険性からほぼ全ての格闘技において禁止されていて、慣れない者が使用すれば自分の指を脱臼したり、最悪骨が折れてしまう諸刃の剣だ。
当然、そんなものを自分の目に受けたゴブリンは無事では済まない。
「ギャ…………グギャアアアアアアアア!!!」
俺の指がゴブリンの目に突き刺さり、甲高い不快な声で泣き叫ぶ。
「うるせぇよ。さっさと……死ね!」
目を貫かれた痛みで転げ回っているゴブリン。その顔面を踵で力いっぱい踏み付ける。
その一撃によってゴブリンは完全に沈黙した。
周りにはゴブリン達の死体が転がっており、コイツらの紫色の血がこの場所を別世界のように感じさせる。
《レベルが上がりました。ステータスを確認して下さい。》
一息つく間も無くそんな声が頭に響いてきた。
「……ったく、少しくらい空気を読めっての」
俺の身体と精神は人生初の殺し合いで疲れ果て、自然とその場にへたり込んでしまった。