身体の力がフッと抜けていき、その場にへたり込んでしまう。
どうやら自分が思っていた以上に肉体的にも精神的にもギリギリだったようだ。
そして気が緩んだ所為か、ゴブリンに棍棒で殴られた左腕と脇腹がズキズキと痛み出してくる。
「生きてるだけマシだが、勉強代にしては高くついちまった」
痛む脇腹を右腕で摩りながら、自分の口からそんな乾いた声がこぼれ落ちた。
このままではまともに動き回ることもできないので、ポイント交換のスキルを発動し、アイテムの項目からポーションを選択する。
今あるポイントは86ポイント。しかしポーションは10級が10ポイントで、9級が50ポイント。そして8級が100ポイントで交換できるようだ。
それぞれに記載されている効果の説明を見ても、10級や9級では確かな効果があるのか分からない為、できれば8級のポーションと交換したいところなのだが……。
しかし、ポイントが少し足りない。足りないのは14ポイント。
つまりあの時、おにぎりと水を交換していなければ8級のポーションを交換出来たという事だ。
ちなみにそれぞれの説明文には、10級のポーションは軽い体調不良や擦り傷程度しか治らず、9級のポーションは10級のポーションよりも多少マシなくらいの効果らしい。
そして、8級のポーションだと打撲や骨にヒビくらいの怪我なら治してしまうようだ。
「あ、ポイントなら目の前にあるな」
あの時我慢していれば……と、軽く後悔していたが解決策を思いついた。
ゴブリンの死体をポイントに変えてやればいいんだ。
ゴブリンの死体が5つだから、全部で25ポイントにもなる。今持っているポイントと合わせれば8級のポーションが交換できる計算になる。
俺はさっそくゴブリンをポイントに替えて、画面に表示されているポーション8級を選択した。
《『ポーション8級』は100ポイントです。交換しますか? YES or NO》
当然、YESだ。
だがこれでポイントはスッカラカンになってしまった。
つまりどんな怪我を負っても、金を手に入れない限りポイントでポーションを購入することはできないということだ。
早いとこ現金を何処からか回収しておきたいところだな。
そんなことを考えながら、出現したポーションの瓶を手に取る。
「そういえば、これってスゲェ不味かったな……」
あの時のひどい味を思い出して気分が下がるが、飲まないという選択肢は無いので、気を取り直して一気に飲み干した。
うげぇ、やっぱり不味い……。
これのおかげで命を救われているが、それでも何度も味わいたくない味だ。
ただ、本当に死にかけていた時に飲んだ6級のポーションよりは幾分かマシな味だった。
まぁ、所詮誤差の範囲でしかないから何も嬉しくはない。
そして『良薬は口に苦し』という言葉を体現しているこのポーションは、不味い分しっかりと効果が現れているようで、身体の痛みが嘘のように消えていった。
しかし、まだゴブリンが何処かに潜んでいるかもしれない。
この階くらいは隅々まで探索しておくべきだろう。
安全を確保しておかないと、おちおち休むこともできないし。
「っと、その前に」
村田さんの遺体の前に膝をつき、目を瞑って手を合わせる。
ゴブリンどもに食い漁られてしまって、もう誰かすら分からない状態になってしまっているが、この遺体は間違いなく村田さんなのだ。
奥さんと一緒に、俺に色々とよくしてくれた――
「……おいおい、ちょっと待て。村田さんの奥さんはどこに行った?」
村田さん夫婦は既に定年を迎えているため、今日みたいな平日であっても部屋に居るはずだ。
その上すでに外は暗くなり始めているし、旦那さんもマンションの中に居たから外出しているという線も無い。
ということは、まだ部屋に残されているって事になるんだが……。
ふと、村田さんが俺の部屋に助けを求めていた時のことを思い出す。
『秋月君! 居るなら返事をしてくれ! 気味の悪い連中が私たちの部屋に……や、やめ――』
「っ! そうだ……! なんでもっと早く気付かなかったんだ。あのゴブリンたちは、村田さんの部屋に現れたんだ!」
俺の部屋に現れたゴブリンのように、村田さん夫婦の部屋にも何処からともなく出現したのだろう。
そして、俺に助けを求めに来て力尽きてしまった。
そんな単純なことにも気が付かなかった自分に腹が立つが、それだけ混乱していたということか……。
その事実に思い至ると、落ちていた包丁を拾ってすぐさま立ち上がり、夫婦の部屋へと向かう。
その際に彼の遺体が目に入ってきて、俺の足がピタリと止まった。
しかし、いつ襲われるかもわからないこの状況で背負って行くわけにもいかず、やむなくその場に放置する。
「……すいません。後で必ず供養します」
後ろ髪を引かれる思いを抱きつつも、再び目的の部屋へと走る。
マンションの廊下は不気味なくらい静かで、嵐の前の静けさという言葉が頭をよぎった。
部屋の前に到着したのだが、ドアが開きっぱなしになっていて、そこから鼻に付く異臭が漂ってきて表情が歪む。
俺は意を決して足を踏み出した。
「なんて臭いだ……ゴブリンが五体並んでいた時よりも臭いぞ」
そんな強烈な臭いが立ち込める室内を、唯一の武器である包丁を構えて進む。
部屋のあちこちは強盗にでも入られたのかというくらい荒らされていた。
「ゴブリンたちが荒らしたのか? いや、俺の部屋みたいにドラゴンにやられた可能性もあるな」
そんな事を考えながらリビングに進むと、リビングに人影が見えた。
奥さんかと思い声を掛けようとするが、ギリギリのところでで踏み止まる。
俺の視線の先には――骨ごと人のようなナニカをボリボリと食らう、バケモノの姿があった。