ギロリと不気味な視線を雅の妹へと向ける男。
はっきり言って気色悪い。
できれば今すぐに視界から消えて欲しいとさえ感じる。
男の俺でさえそう思うのだから、実際にその視線を向けられている彼女はさぞかし恐ろしいことだろう。
「お前ら、はやく志保ちゃんから離れろ! 志保ちゃんは僕だけを見ていれば良いんだ。だから僕以外となんて話す必要はない。ましてや、男なんて論外だ! さぁ志保ちゃん、いい子だからこっちにおいで」
「ひっ!」
男が一歩踏み出すと、雅の妹である志保はビクッと肩を震わせた。
雅も怯える妹を庇おうと前に出て隠そうとしているが、ヤバそうな雰囲気を放っている男に睨まれて明らかにビビっている。
はぁ、この状況でただ見ているという訳にもいくまい。
俺は男と雅の間に割り込むような形で前に出た。
「待てよ。それ以上この人に近づけば、アンタを力づくで吹き飛ばすぞ?」
「あ? 部外者は黙っていろ! これは僕と志保ちゃんだけの問題なんだ。余計な口出しはやめてくれ!」
「いやいや、怯えているのが見てわからないのか? それに、俺はともかく雅は彼女の姉だ。部外者というならアンタの方が部外者だろう」
「うるさいうるさいっ、そんなことはどうでもいい! いいから早く志保ちゃんから離れるんだ! 彼女は僕の婚約者なんだぞ!?」
駄目だこりゃ。
駄々を捏ねる子供みたいに、まったくこっちの話を聞く気が感じられない。
見ての通り情緒もかなり不安定だし、何かアウトなクスリでもやっているんじゃないだろうか。
とはいえ本当に、本当に僅かな可能性として、この男が婚約者だと言う可能性もない訳じゃない。
それだと俺が間違っている事になってしまう。
……ま、本人が怯えている時点でそれはほぼ無いんだろうけど。
「なっ!? 私はあなたの婚約者になった覚えはありませんっ。鈴木さんが一方的に付きまとってきているだけじゃないですか!」
「志保ちゃん……なんでそんな酷いことを言うの? だって僕たちは一緒になる運命じゃないか。志保ちゃんは毎日顔を合わせると僕に必ず挨拶してくれた。それも笑顔でだ。だから僕たちは相思相愛なんだよね? 心配しなくても、すぐに僕が助けてあげるからね?」
ここまで、だな。
一応警告はしたから、多少手荒にでも強制的に黙らせるとしよう。
聞いていて寒気がするほど気持ち悪いし、これ以上コイツの話を聞いても無意味でしかない。
俺は少しずつにじり寄ってくる男の鳩尾に、軽く力を込めた拳を突き刺してやった。
「よっ、と」
「がっ! うぅ……」
するとその一撃は綺麗に決まったらしく、男は呼吸もままならないのか苦しげに蹲ってしまった。
俺とこの男では文字通りレベルが違う。
むしろ手加減してやったんだから感謝して欲しいくらいだ。
本気で殴ってしまえば、それこそスプラッター映画みたいにエグいことになるかもしれんからな。
ただ、すぐにジロリと睨みつけてくるその根性だけは尊敬に値する。
そのエネルギーをもっと別のことに活かせば、女にモテるのだってそう難しくは無いだろうに……つくづく残念な男だ。
「これ以上やっても無駄だ。分かったらそこで大人しくしていろ」
「……お、覚えていろよ。僕の志保ちゃんは必ず取り返してみせるからな?」
そんな捨て台詞を吐き、男は腹を押さえながら去っていった。
思ったよりも回復が早かったな。
どうやら手加減し過ぎていたみたいだ。
あれ? でも俺たちの監視はしなくてもいいのか?
ここに入る時はあれだけおかしな真似をするなと言っていたくせに、監視する者がいないなら荒らし放題なんだが……。
まぁもちろん、人目がある以上はそんな事はしないがね。
そんなどうでもいいことを考えていると、後ろからドサッと、誰かが倒れる音が聞こえてきた。
「ど、どうしたの志保! 大丈夫!?」
「うん、大丈夫。ただ少し気が抜けちゃって……」
振り返ってみると、妹の方が尻もちをついていた。
おそらく極度の緊張状態から解放され、身体からスッと力が抜けてしまったのだろう。
人から向けられる悪意ってのは思った以上にダメージを食らうから、彼女がそうなってしまうのも無理はない。
雅が介抱している間、なんとなく妹の方に『鑑定』を使ってみることにした。
《間宮 志保 20歳 女 レベル―― 種族:人間》
おっ、少しだけ表示される情報が増えている?
いや気のせいか。
そういえば人間に使ってみたのは初めてだし、使ったことがあるのはがモンスターだけだからそう感じたのだろう。
本当に使えないスキルである。
「なぁ二人とも。再開に水を差すようで悪いんだけど、早くこのマンションから出て行かないか? さっきの男が戻ってきたら、また面倒なことになるかもしれないぞ?」
「あ、すいません。ほら志保、急いでここから出て行く準備をするの。安全な場所へ避難するよ」
「うん、分かった。えっと、もしかしてお姉ちゃんの彼氏さんですか?」
「俺と雅はそんな関係じゃない。俺たちは友人……いや、知り合いか? まあとにかく、そこまで深い仲ではないよ」
「そこまではっきり言わなくても良いじゃないですか……」
雅からジト目を向けられる。
じゃあ俺はなんと言えば良かったんだ?
ゴブリンに襲われているところを助けた者です、とかか?
「あー、とりあえず助けて頂いてありがとうございました。私は間宮 志保といいます。姉がお世話になっているみたいで……」
「成り行きだから気にしないで良いよ。俺は秋月 千尋。それでこっちが――」
「黒島 雫です」
ペコリと雫が頭を下げる。
俺たちは自己紹介もそこそこに、この建物から出ていく準備を開始した。