一刻も早くこんな場所から出て行きたいと思っているので荷造りを手伝おうとしたが、必要な物は既に小さなスーツケースにまとめてあったらしくその必要はなかった。
なんでも、俺たちがここに来なくても数日中に一人で出て行く予定だったのだと。
「急にこんな事になってしまって、皆さんすごくピリピリしていたんです。中には助け合いとか言って強引に食料を分けろと言ってくる人までいて……。さっきの人は鈴木さんっていうんですけど、あの人なんて無理矢理この部屋の中に入ろうとしてきた事もあるんですよ?」
「それは何というか……変な人に好かれてたんだな」
「はは……私とお姉ちゃんって、昔から変な人に好かれやすいんですよね……」
乾いた笑みを浮かべる志保。
頭のネジが飛んでいるような奴が近くにいるともなれば、そりゃ危険を承知で逃げようと考えるのもおかしくはない。
姉である雅は幸の薄そうな美人という印象が俺の中であったんだが、どうやら妹の志保も似たような感じらしい。
「とりあえず荷物は一度俺が預かろう。必要な物だけにしたといっても、それを持って走り回るのは無謀だろうから」
「え、えっと……」
今日初めて会った俺に自分の所持品を預けることに抵抗があるのか、姉である雅にチラッと視線を向けた。
「千尋さんは大丈夫よ。すっごく優しくて善い人だから。ね、雫ちゃん?」
「え? ああ、そうですね。優しくてとても〝イイ人〟ですよ」
「……じゃあよろしくお願いします」
雅はともかく、雫の言葉には何か含みがあるように感じるんだが、俺の気のせいだろうか?
まぁ、俺だって自分が善人だと胸を張って言える訳じゃないから別に良いんだけどさ。
そんなことを考えながらも、差し出された荷物が入ったスーツケースを俺のアイテムボックスの中にしまう。
「あっ、消えた?」
「心配しなくても盗ったりはしないから安心してくれ。それにほら、取り出そうと思えばいつでも取り出せるから」
「す、すいません。急に消えちゃったからビックリして……」
「大丈夫だから気にするな。それより、このマンションにも誰かステータス持ちがいるのか? コレを他の住民たちに見せた時、驚いてはいたが何も聞いてこなかったんだよ」
「そのステータス? っていうのは分かりませんけど、不思議なことができる人なら二人ほど居ますよ。一人はこのマンションの管理人さんで、もう一人は……さっきの鈴木さんです」
へぇ、あの男もステータス持ちだったのか。
それにしては一撃で沈めれたが……いや、それは単純に俺の方が圧倒的にステータスの数値が高かっただけか。
ステータス持ちだとしても、レベル1とかなら大して強くはないだろうし。
「それで、その二人は一体どんな力を持っているんだ?」
「私は実際に見た訳ではないので詳しくは知りませんけど、管理人さんは外の化け物たちをこのマンションの中に入れないようにできるという話です。鈴木さんの方は、自分は『狂戦士』になったとかって自慢していました」
「狂戦士、ねぇ。ある意味あの男にピッタリの職業だな。頭のイカレ具合とか特に」
名前から察するに、たぶん近接系の戦闘職だろう。
ゲームとかだと理性を失う代わりにステータスが大幅に強化されたりする職業だ。
その性質上、かなり扱いが難しいので上級者向けというのがほとんどだが、その分強力な立ち位置に居ることが多い。
あの鈴木という男の目からも、まだまだ諦めていないような強い意志を感じた。
自分でも覚えていろとか言って俺を睨みつけて来ていたしな。
このまますんなり諦めてくれると助かるんだが、こういう時の感は外れた試しがないから注意しておかねば。
「よしっ、それじゃあそろそろ出発するか。話はここから出たあとにしよう。雫、念のため後ろに気を付けておいてくれ」
「はい、わかりました」
そうして部屋を出てから階段を降っていくと、タイミングよく下の方から大勢が近づいてくる足音が聞こえてきた。
大勢集まって一体俺たちに何の用だ?
平和的な話し合いとかだったら楽なんだが、ここ最近の俺のイベント発生率を考えると全く油断はできない。
「雫、一応戦える準備はしておいてくれ」
「戦闘になりそうなんですか?」
「さぁ、分からないな。できれば俺も人間相手は避けたいと思うが、向こうが戦う気なら応戦するしかないと思っている。ま、もしもそうなったら適当に銃を乱射してくれたらいいさ。銃なんて凶器を撃たれれば、たとえ当たらなくても確実に怯みはするだろうから」
「……わかりました」
雫はポケットの中に忍ばせていたハンドガンを服の上からそっと撫でた。
やはりモンスターを相手に戦うのと、人間相手と戦うのでは心の持ちようが違うのだろう。
一般人にとって殺人とは忌むべき所業であり、まともな感性をしていれば普通、人殺しなんて考えもしないからな。
俺は……どうだろうか。
できれば殺人なんてやりたくないが、必要なら躊躇わないくらいの気持ちでいる。
いざとなれば人間が相手でも覚悟はしているつもりだ。
もしかすると、ステータスの精神が高いからこうも冷静な思考が出来るのかもしれないな。
3階の廊下の部分で待ち構えていると、10人くらいの男たちがぞろぞろとやってきた。
先頭にいるのはさっきのストーカー男だ。
ずいぶんと嫌われてしまったみたいで、まるで親の敵でも見るかのように憎々しげな目で俺を睨んでいる。
「お前を殺してでも、志保ちゃんは僕が助けてみせるっ!」
「あぁん? いつのまに俺の方が悪役になったんだ? どう考えてもお前の方が悪いだろうに」
「……ふんっ、そんな戯言を言っていられるのも今のうちだけだ!『狂化』」
鈴木という男が『狂化』と口にすると、その瞬間に禍々しい気配が彼の身体から発せられた。
目は白目を向き、口はギリギリという音が聞こえそうなくらい力強く食いしばっている。
その姿は人間というよりも獣に近い印象を受けた。