ツバキが大将に任命されてから数日後、今日から正式に海兵としての仕事が始まった。
それまでの間は腕が鈍らない程度にのんびりしていたが、ここからは自分を推薦したサカズキの顔をつぶさない為にもそれなりに働かねばならない。
海軍で働きたいと思っていた訳ではないとはいえ、一度引き受けた以上は自分なりにやり通すつもりでいるのだ。
と、そんな風に気合を入れて新たな職場へと出勤したのだが……。
「……海軍って、意外と書類仕事が多いんだなァ。俺には最低限の学しかないから、こういう仕事をするくらいなら海賊とドンパチやってた方が楽で助かるんだけど」
ツバキを待っていたのは、山のように積み重なっている大量の紙の束だった。
与えられた専用の執務室にこもってひたすらに紙切れと格闘する。
海軍の業務は海に蔓延る海賊を捕縛することだと勝手に思っていたので、これは予想外に辛い仕事である。
頭脳労働よりも肉体労働派のツバキにとって、この時間はあまり好ましくない。
こうして机に長時間かじりついているくらいならば、百人の賞金首を捕まえて来いと命じられた方が遥かに気が楽だ。
思わずため息のひとつやふたつこぼれてしまう。
とはいえ、彼は途中で仕事を放り出すような性格でもないので、慣れないながらも少しずつ片付けていった。
最低限の学しかないというのは事実だが、それは頭の出来が悪いというわけではない。
時折やって来る来客の相手をこなしながら、決して遅くはない速度で順調に仕事を終わらせていく。
ちなみに、来客というのは主に海軍将校たちだ。
本来であれば新参者であるツバキの方から赴くのが筋なのだが、彼が多忙だということを慮って向こうから挨拶にやって来てくれている。
見た目が厳つい者が多かったので少し不安だったものの、思っていたよりも良い人ばかりだと密かに安堵していた。
「……また来客かな?」
ペンをぴたりと止めて唐突にそう呟くと、そのあと予知していたかのように扉がコンコンとノックされた。
一息入れようとしていたのでちょうど良いタイミングだ。
コキコキと肩を回しながら仕事を中断し、来客の対応するため手早く机に散らばっていた書類を片付ける。
「入って良いよ」
「――失礼します。本日よりツバキ大将直属の部隊に配属となりました、たしぎ少尉であります」
ハキハキとしたよく響く声に、模範的で綺麗な敬礼。
たしぎと名乗ったこの女性には見覚えがあった。
サカズキから渡された書類の中に、自分の部下となる海兵の名前が書かれた物があったのだが、その名簿の中に彼女の名前も入っていたのだ。
海軍のような血生臭い職場にも若い女性がいるのだと、少しだけ気になっていたのを覚えている。
「君のことは聞いてるよ。いきなり大将になった素性もわからない男の下に付くのは嫌だろうけど、まァよろしく頼むね」
「いえ、貴方のお噂は聞いています。ツバキ大将のことは以前から、億越えの海賊を捕らえてくる賞金稼ぎとして有名でしたので」
「え、そうなの?」
「はい。賞金稼ぎとして名を馳せている者は少なくないですけど、精々数百万ベリー程度の賞金首しか倒せませんから。そんな中、無傷で億越えの賞金首を捕まえてくる人がいると本部で噂になっていました」
「へー。俺っていつのまにか悪目立ちしてたのか」
少しやりすぎたみたいだな、とツバキは過去の行いを恥じるように視線を逸らした。
賞金首を捕まえていたのは旅の路銀を稼ぐ為だったが、中にはそれなりに強い者も居たので、それが噂を広めるきっかけとなったのだろう。
海賊達は実に良い財布となってくれる上、海軍の基地に連れて行けば大金を貰える。
強さを持つ者からすれば最高の稼ぎなのだ。
(あれでも変に目立たないように結構相手を選んでいたつもりだったんだけどなァ……)
ただ、今思えば多少調子に乗ってしまったと思うところはある。
海軍に入隊した今であれば武勇伝とされるかもしれないが、そうじゃなければ間違いなく黒歴史確定だ。
もっと慎重に動くべきだったと反省する。
「ところで……少尉はこれが気になるのかい?」
そこでふと、彼女の視線が自分とは別の場所に散っていることに気付いた。
たしぎが先ほどからチラチラとツバキ……ではなくその横に立て掛けてある一振りの杖に熱い視線を送っていたのだ。
その事に気付いたツバキは苦笑しながら杖を手に取った。
「す、すいません! それってやっぱり最上大業物の『長曽祢虎徹』ですよね!?」
「その通りだよ。よく知っているね」
ツバキが自らの武器として持ち歩いているこの刀は、たしぎが言ったように最上大業物として数えられている刀のひとつだ。
鞘に収められている見た目は杖だが仕込み刀のようになっている長ドスであり、武器としての価値は計り知れないほどの逸品である。
ただ、見た目が他の最上大業物と比べて地味だからなのか、一目見て名称を言い当てられることは非常に稀である。
だからこそ彼女が長曽祢虎徹だと言い当てたことにツバキは驚いたのだった。
「よかったら少し持ってみるかい?」
「えっ、良いんですか!?」
「構わないよ。ずっと俺が持っているより、たまには純粋な心を持った子が握った方がこの子も喜ぶだろうからねェ。それに、君なら粗末には扱わないだろう?」
「もちろんです!」
変な輩ならばともかく、ここまで刀に対する愛情を見せているたしぎであれば愛刀に触れるくらい問題はない。
それにツバキは刀に魂が宿っていると考えている。
生粋の人斬りの手に在り続けるよりは、純粋な心を持った彼女にに持たせてみるのも面白いと思っていたのだ。
そうしてたしぎに虎徹を渡すと、彼女は落とさないように両手でそれを受け取り、ゆっくりと鞘から刀身を抜いていった。
「うわぁ……これが最上大業物の刀。外見は杖なのに、本当にすごい迫力ですね。持っているだけで圧倒されてしまいそう。それに何より、とても……綺麗」
刃物にうっとりと見惚れる女性。
傍から見ればかなり危ない人だが、それだけ不思議な魅力がこの刀にはあった。
刀身が妖しい光を放っている魔性の武器。
これまで何人もの人間を――それこそかつての所有者たちを含めて葬ってきた、紛れもない妖刀である。
「ははっ、でも気を付けてね。一応この子って妖刀と言われている物だから。ひょっとすると君も呪われてしまうかもしれない」
「えっ!? お、脅かさないでくださいよ。呪いって言ってもあくまで噂、ですよね?」
「それがあながち噂ってわけでもないんだよねェ。これの所有者だった者は、たった二人を除いて全員が惨たらしく亡くなっているらしいからさ。案外、本当に呪われるかもしれない」
それを聞いた彼女の顔色が一瞬で真っ青になってしまった。
手に持った刀を落とさなかったのは好感が持てる。
刀好きというのは伊達ではないようで、たとえ妖刀であっても粗末に扱いたくないのだろう。
ツバキの中でたしぎに対する評価が一段階上がった。
「ごめんごめん。そこまで怯えなくても大丈夫だよ。少なくとも俺が持っていれば問題無いみたいだし、実はすごく素直で好い子だから。触ったくらいじゃ何もならないと思うよ」
「なっ、それじゃあやっぱり私を脅かしてたんじゃないですか……!」
「ははは、でも誰にでも触らせるという訳じゃないさ。たしぎ少尉だったら大丈夫かなと思ったから、この子を持たせてみたんだ。それでどうだい、最上大業物を持ってみた感想は?」
怒ってくるたしぎをなだめながら問いかけた。
根が真面目なのか、彼女は質問にもしっかりと答えてくれるようで、まずは自分を落ち着かせるように深呼吸する。
「――綺麗、そう感じました」
そして、たしぎは手に残った感触を確かめたあと、はっきりとそう言った。
「ほぅ、この子を妖刀だと知ったうえでそう答えたのは少尉で二人目だよ。君とは仲良くなれそうだ」
「え、えぇ。こちらこそよろしくお願いします……?」
急に上機嫌になったツバキに少しだけ納得のいかない表情を浮かべるたしぎだったが、彼が新しい上官であることを思い出し、差し出された手をしっかりと握り返したのだった。