訓練場に立っているのはツバキひとり。
周囲には数十名の海兵が転がっているが、どうやらツバキとの戦いで全力を出し尽くしてしまい、もうこれ以上は誰も立ち上がって来れないようだ。
ゾンビのように何度も立ち上がって来ていた根性のある海兵は、今は精根尽き果て白目を向いて気を失っている。
ただ、後遺症が残りそうな大怪我を負っている者はもちろん一人もいない。
そんなヘマをするほどツバキの実力は乏しくないし、そもそも彼から攻撃したのは数えるほどしかなく、今転がっている彼らは単純に体力の限界を越えているから倒れているのだ。
心が折れていない限りは時間が経てばすぐに元気になるだろう。
(うーん、中々楽しかったけど、準備運動には少し物足りないかなァ。このあと叔父貴と戦うんだから、出来るだけ万全の状態にしておきたかったというのが本音だ。もちろん、彼らを責めるつもりは全くないけど)
満足と言えば満足だし、不満と言えば不満である。
ツバキはこのあと元帥であるサカズキと手合わせすることになっている。
以前のやり取りで挑発した結果、見事目論見通りに戦えることになったのだ。
なので準備運動がてら自身のコンディションを整える為に、海兵達との訓練はちょうど良い思っていた。
ただ、彼らとの実力差があり過ぎて準備運動にはならなかった。
訓練としては楽しめたので満足しているのだが、スパーの相手として考えれば不足していると言うしかない。
これでは追加で相手を用意する必要がある。
「よし、それじゃあ君たちの中で戦いたい者はいるかい?」
と、ツバキは将校たちに問いかける。
「……よろしいのですか? この後、サカズキ元帥との手合わせをする予定だと聞いておりますが」
「大丈夫大丈夫。むしろ、感覚を研ぎ澄ませる為にこっちからお願いしたいくらいだよ」
毎日のように無法者を相手にしていた時期であれば、意識を少し切り替えるだけでエンジンが掛かっていたものだが、ここ最近はそこまでの強者を相手にしてこなかったというのもあって中々本調子とはなり難い。
とはいえ、先ほどの戦闘に加えて将校とも戦えば準備運動としては問題はないだろう。
「だからさ、誰か俺の相手をしてくれるって人はいないかな? もし勝てたら……一度だけ何でも俺に命令する権利をあげるよ」
将校達の間でざわめきが起こった。
海軍の大将ともなれば当然かなりの権力を持つことになる。
それは就任して間もないツバキであっても例外ではなく、そんな相手を一度だけとはいえ自由に動かせる権利など欲しくないわけがなかった。
しかし、相手がツバキであることを思い出し、すぐに名乗り出す者は残念ながらいない。
将校達は既に理解しているのだ。
ツバキが大将クラスの実力を有していることを。
「おれがやろう」
「す、スモーカーさん!?」
誰もが手をこまねいている中、一人だけ堂々と一歩前に出る者がいた。
口に葉巻を二本も加えている白髪の男。
彼の近くにいたたしぎ少尉はそんな男の行動に驚き名前を叫んだ。
「ははっ、威勢がいいねェ、スモーカー君。俺としても助かるよ。それじゃあメイナード君たちは寝ている彼らを医務室に運んでやってくれ」
「はっ、了解であります!」
そうして訓練場に転がっている者たちを移動させ、ツバキとスモーカーの二人が相対する。
ピリピリとした空気がこの場を包み込む。
先ほどの海兵たちとの戦闘とは一味違ったものになる、そんなことを考えさせられるようだった。
「先手は譲ろう」
「そうか。なら遠慮なく――『ホワイト・アウト』!」
スモーカーは身体を白い煙に変えて襲い掛かってきた。
能力者。
悪魔の実と呼ばれる果実を食べることで超人的な力を手に入れた者の事をそう呼び、スモーカーは『モクモクの実』を食べた煙人間である。
故に、自分の身体を自由自在に煙へと変化させ、相手からの攻撃を効かなくすることだって可能だ。
この能力を使えば大抵の相手には無傷で完勝できるだろう。
強力な悪魔の実を食べれば、それだけで一気に強者への階段を上り詰めることが出来るのだ。
「へぇ、悪魔の実の能力者か。中々使い勝手の良さそうな能力だけど……でもそんなに大きく広がっては良い的だよ?」
すると、不敵な笑みを浮かべているツバキの腕が黒く変色した。
まるで黒い鎧を身にまとっているような姿。
それを見たスモーカーは目に見えて動揺する。
「チッ、武装色の覇気か!」
「その通り。俺は大将に任命されているんだから、当然覇気だって習得しているよ。そして、この武装色の覇気をまとえば……スモーカー君のその身体にもダメージを与えられる」
「ぐふっ!?」
武装色の覇気は実体を捉える力。
それを纏えばたとえロギアの能力者が相手でもダメージを与えられる。
先ほどのツバキの攻撃はまさにそれだ。
スモーカーが身体を能力で煙に変えたとしても、武装色の覇気を使えばただの大きな的にしかならなない。
一見、無敵にも思える悪魔の実の能力者であっても、必要な技術さえ身に付ければこうして倒すことも可能であった。
煙の身体に重い一撃を食らったスモーカーはものすごい勢いで吹き飛んでいく。
「スモーカー君。君はちょっと悪魔の実の能力に頼りすぎだよ。今までその能力を使えば勝てないような敵に出会えなかったのかもしれないけど、覇気を習得している海賊なんて案外そこら中にいる。そんな戦い方では今後、通用しないと思った方がいい」
「はっ、うるせェよ!」
ツバキの忠告をそう吐き捨て、スモーカーは再び身体を煙に変えて迫ってくる。
やはり身体に染み付いた戦い方というのはそう簡単には変わらないらしい。
もっとも、それは最初からわかっていた事なので特別残念に思ったりはしなかった。
むしろ萎縮して戦うことを諦めてしまうよりは遥かに良い。
そしてこういった我の強い男は、下手に戦い方を矯正するよりも何度もブチのめしていれば勝手に成長していくことが多い。
だからこれから時間をかけてじっくりと強くしていけば良いと、頭の中で育成プランを考えつつ迎撃の体制を整える。
しかし、そんなツバキの考えは良い意味で裏切られた。
「ありゃ?」
さきほどと同じように覇気をまとった拳を振るったのだが、当たった感触がまったく無かった。
おかしいと思って手元をよく見てみれば、その部分だけがぽっかりと穴が開いており、ツバキの攻撃を受けないように能力を使って回避していたのだ。
なるほど、粗暴な見た目に反してちゃんと思考できる男のようである。
ちゃんと鍛えれば中々のものに仕上がるかもしれない。
「『ホワイト・ブロー』!」
感心している間にもスモーカーは止まらない。
今度は腕だけを煙に変えてロケットのような鋭いパンチをを打ち込んでくる。
「フフッ、やるじゃないか。これはずいぶんと楽しめそうだ。でも、せめて一分くらいはもってくれよ?」
ツバキは両腕に覇気をまとって放たれた拳を完璧に打ち落とすと、そう言って心底楽しそうに笑ったのだった。